「SNSで☓にたいと呟くメンヘラは全然死なない。本当に☓ぬ人間は黙って☓ぬ」的な俗説があるけど、米国調査において州ごとの自☓関連ツィート数と州の年齢調整済み自☓データの間には強い相関関係が認められてるんだよな。要はTwitterで☓にたいと呟く人間は本当に☓んでいる pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24121153/
社会不適合人間、往々にして自分が泣いたり怒ったりしても全く感情を尊重されず、逆に揶揄されたりしてきたので、感情を表に出さなくなるんだよな。最終的には自尊が磨り減って自分の感情を表に出すこと自体に恐怖するようになり、喜怒哀楽の感情表現が全て「曖昧に笑ってやり過ごす」と化すというな。
「死ぬこと以外かすり傷」というけど、往々にして社会不適合人間は常に生きてるだけで致命傷状態なので、かすり傷を負った瞬間に色々限界がきて全てが無理になる事がよくあるんだよな。社会不適合人間にとってはかすり傷でも、黒ひげ危機一発。
幼少期に周囲から抑圧されて育つと、自分の感覚を信じられなくなるので、理不尽で嫌な事に対して「これは変だ!理不尽だ!」と思えなくなってしまうんだよな。それ故に通常人間だったら逃亡/反抗するような場面でも、「自分の方が変なのかも」と迷ってしまい、気が付けば損な役回りに陥りがちというな
精神科に行っても、話す時間が短かったり話したい事を話せない場合は、「相談内容や健康状態をメモにして渡す」のがお勧めな。人間は文字の方が情報伝達は早いし、書き出す事で悩みや辛さの輪郭がハッキリする事もある。無理に話そうとしても無理な場合は、形を変えて伝えてみる選択肢もあるというな。
小さい頃に「真面目で良い子」と呼ばれた人間、往々にして他人の感情には敏感なのに、自分の感情把握は苦手なので、物事に違和感を抱いてもそのまま周囲に流されてしまいがちなんだよな。結果、後になって自分の状況や感情が分かってしまい、その時を思い出しては悔しさに苛まされる羽目になるというな
他人を過剰に気遣うコミュ障、往々にして空気をよく読んで察しようと必死だけど、コミュ障故に大体は空回りに終わるんだよな。そして他人を気遣う性質上、終わってからは「ああすれば良かった!」と後悔が止まらず、罪悪感に駆られて過剰に謝ったり、距離を変に調整する等の奇行に走りがちだというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、「承認欲求の穴の空いたバケツ」と例えられる事が多いけど、彼等の求めてるものは承認ではなく「不安から逃れたい」なんだと思うんだよな。それ故に如何に承認を得ても「1瞬の安堵」にしかならず、すぐに不安に襲われて延々と1瞬の安堵の為に承認を求め続けてしまうというな
発達障害人間、「みんなが普通にやってる事」に対して当時は理解が追いつかずキョトンと見守っていたけど、後から徐々に意味/意義が浮かび上がってきて唐突に全て分かってしまい、記憶を反芻しては後悔に苛まされるという「恥の多い生涯を送ってきました」を不可抗力的に体現してしまいがちというな。
@twit_shirokuma 「非モテ」に関しても本には書いてますが、既に童貞卒業してしまったのと、現在自分にはパートナーがいるのと、女性(と思われるアカウント)から性的なDMが1日3〜4通来るようになってしまい、当事者属性として「非モテ」を名乗れなくなってしまったという事情があります。
【書籍発売のお知らせ】 色々と事情があってKADOKAWA様より本を出させて頂く事になりました 発達障害含む陰キャやコミュ障や非モテの生き辛さと、その緩和や展望について色々書いてます 発達障害、生きてるだけで疲労困憊(6月10日発売) Amazon→amazon.co.jp/dp/4040646029/… #生きてるだけで疲労困憊
陰キャという言葉、自分から「どうも変人です!」「マトモな人間ではありません!」と堂々と言えるほど逸脱してるわけでも逸脱したいわけでもないが、「真っ当な人間です」「極々普通に生きています」とは決して自認出来ない「普通未満・逸脱以上」を指す人間達の自称として、あまりに便利なんだよな。
陰キャは往々にして「自分が無い」と思われがちだけど、あれは実際のところ「極度の怯えで自分を出せない」という方が正解なんだよな。過去の様々な経験で、目立つ事や自己主張や挑戦する事のリスクを骨身に叩き込まれており、頭の中は常に「如何になぁなぁにやり過ごすか?」で占められてるというな。
メンがヘラッてる時の辛さは、具体的な問題単体に苛まされてるというよりも、往々にして「今みたいな状態が永遠に続くのか?」という不安と恐怖なんだよな。それ故に問題1つ1つは解決可能だとしても、「解決出来てもどうせ…」的な諦観から面倒臭い以外の感情が薄れていき、気力が湧かなくなるというな
ADHDの人間には、往々にして「今思いついた事を最優先と感じてしまい、さっきまでやっていた事に集中出来なくなる」傾向が見受けられるけど、それを端的に表すのが「インターネットで次々とタブを開いていくが、前のタブを見返す事は滅多にない」現象なんだよな。
「辛い時は辛いと言う」事が出来るのは強者の特権で、弱者は往々にして「ギリギリのプライドや意地で自分を踏み留めてる」「周囲に信頼出来る人間がいない」が故にSOS発信が困難になってしまうんだよな。例えば虐められっ子にとってイジメ以上に「虐められを認め告白する」がキツイ場合もあるというな
コミュ障で困るのは「穏やかな否定や怒りの表明」が出来ない事で、嫌な事や不本意案件があっても、それをどう指摘していいか分からず「我慢」で全て解決してしまうんだよな。結果、積み重ねで限界を迎え、傍目には「突然ちょっとした事でブチ切れたり逃亡する☓☓」という完璧な悪者に映る悲劇があるな
過干渉なママに育てられた人間、往々にして行動原理が「自分がしたい/したくない」ではなく「人間から何言われるか分からないからやる/やらない」になるので、如何に努力して成果を出しても達成感ではなく「これで悪く言われない」という安堵感が先に来るし、疲労感がひたすら蓄積されていくというな。
コミュ障が会話の後に脳内で「変じゃなかった?」「ああ言えばよかった」的な反省会をやる理由、端的に言えば「会話時は緊張感で思考や視野にデバフがかかってる」からなんだよな。それ故に緊張が解けてくるに従って様々な見落としや失敗に気付いてしまい、何度も悔しさを噛みしめる羽目になるというな
人間を怒鳴ったり強い言葉を使う事の何が悪いって、「恫喝して言う事を聞かせた」という成功体験を得てしまう事なんだよな。その成功体験に引きずられると恫喝が癖になるし、周囲は離れていくしで☓☓化に歯止めが効かなくなり、最終的には「誰からも相手にされず1人でキレ続ける生物」と化すというな
必死で社会に適合しようとしてる社会不適合人間、どんなに社会適合人間の言動をエミュレートしてトレースしても時間が経つごとにボロが出始めるので、傍目には「個性的なのに自分の意思がなく、他者に凄く気を遣うのに空気が読めず、神経質で真面目なのにミスが多い」という矛盾生物に映りがちというな
「誰もが好きに発言出来る空間」というのは、当然だけど「誰からも好き勝手に自身の発言を言及される空間」でもあるので、結果として自由故に凄まじい同調圧力やマウンティングや謎ルールが発生する傾向があるんだよな。自由を謳う暴走族は、往々にして学校よりも決まり事や礼儀に滅茶苦茶厳しい法則。
インターネットは構造的に「ネットを使えて尚かつ時間を注げる層が支配的になる」傾向がある為、Twitterというsnsは中高では少数派だった、「クラスに馴染めないインドア派な陰キャ(オタク)」「噂話大好き女子(主婦)」「社会不適合人間(無職/フリーランス)」達が濃縮された空間になるというな。
先延ばし癖の強引な解決法として「何か嫌/面倒なタスクを設定する事で、それへの回避行動(先延ばし)として他のタスクが捗る」というのがあるんだよな。掃除してる時に目に入った本を読むと異様に面白く感じたり、風呂に入る前にスマホ見始めたら止まらなくなったりする現象を、逆に利用するというな
先延ばし癖のあるADHD、締切が迫るほど「時間切れによる精神不調の為に時間を使って精神を安定させようとしてしまう」重力により動けなくなるものの、焦燥感や罪悪感は膨れ上がり続けるので、本人的には多大な苦痛に苛まされてるものの、客観的には「ダラダラ楽してる」ようにしか見えない悲劇があるな