と言っても「電車男」が流行った頃のオタク達は「脱ヲタ」と称して恋愛しようとはしたし、最近は「俺オタクだけど普通に彼女いるよ」がイキリでもなんでもなく普通になったしで、今ならワンチャン恋愛が流行る気がしないでもない
オタク、軽音アニメが流行ればギター始めるし、キャンプアニメが流行ればキャンプを始めるし、競馬ソシャゲが流行れば競馬を始めるんだけど、恋愛モノはずっと流行り続けてるのに特に恋愛する事はないという悲劇があるというな
「☓☓な人間は関係を即切れ」「貴方は相手に合わせる必要はない」的な言説は、あくまで「選べるだけの魅力や人脈がある」人間の話であり、普通/魅力に乏しい人間がそれやり過ぎると「互いに歩み寄り支え合う」という人間の輪から外れてしまい、永遠の孤立が約束されてしまうので注意が必要というな。
自己肯定感を高めるには「ありのままの自分」を曝け出して受け入れられて、「私は優れてなくても醜くても世界に存在していいんだ!」という安心感を得る必要があるんだけど、当然に安心感が無いと自分を曝け出す事は出来ず…自己肯定感を高めるだけの自己肯定感がないという事態に陥ってしまうというな
「大人しい人間がキレると怖い」というの、正確には「大人しい人間は限界まで溜め込んでしまう」何だよな。良いも悪いも「自分さえ我慢すれば…」精神で人間関係の軋轢を極限まで回避するけど、だからこそ限界に達して軋轢が不可避になると「もうどうでもいいや」精神で全てぶちまけてしまうというな。
「努力は必ず報われる」「誰にでも可能性はある」みたいな言説は、格差が乏しくスタートラインのバラつきが少ない頃は純粋なエールだったけど、所得/文化/人間関係資本等の格差が激しくなり過ぎて、「貴方が不遇なのはスタートライン問題ではなく貴方の努力不足」という呪いに変わってしまったというな
陰キャの人間が人間関係を悲観的に捉えがちなのは「期待して拒絶される恐怖」が骨の髄まで染み込んでるからなんだよな。良いも悪いもイジメや抑圧や拒否された体験により「調子に乗ると傷付く」ことを学習して身の程を弁え過ぎてしまい、悲観的な物の見方がある種の自己防衛になってしまってるというな
人間不信のメンヘラ、往々にして「適度な距離感」が分からないが故に人間関係が依存と孤立の2択になってしまいがちなんだよな。迷惑をかけないよう自立しよう!と思うと誰にも頼れず心を開けず孤立し、他人を信じよう!と思うと自分の強固な人間不信を全否定しようとして相手に依存してしまうというな
インターネットのサクセスストーリー、大体は「太い実家」「理解のあるパートナー」「謎の支援者や金やコネ」が出てくるんだけど、これは逆説的に「現代日本において成功するには何が必要か?」を表しているんだよな。つまりそれらを持ち合わせず努力してる人間はサクセスする事なく消えていくというな
自己肯定感低いメンヘラ、往々にして愛されたいと思ってる1方で「私は人間から嫌われる」という強固な世界観を有しているので、「人間から愛され大事にされたくてしかたないが、いざ愛され大事にされると認知不協和で全てひっくり返したり逃亡したくなる」という難儀な状態に陥りがちになるというな。
イジメを経験すると、相手の敵意や悪感情を察して先回りして機嫌をとる/逃げる癖がつくけど、常に怯えてるが故に普通人間の意図や感情については分からなくなるんだよな。それ故に普通人間からは「いつもビクビクして無用な気を回す生物」と疎まれ、アレな人間に狙われやすくなる悪循環があるというな
「最近のオタクは考察しない。ただコンテンツを皆に流されるままに消費してるだけだ!」みたいな言論、実は40年以上前からずっと言われ続けているんだよな。要はこの手の言論は単純に人類普遍の「最近の若者は…」現象に、オタク独自の同族嫌悪が合わさっただけのアレというな。
発達障害人間、割と人前では明るく振舞うし会話もそれなりに盛り上げられるケースが少なくないんだけど、往々にしてその手のタイプは無理にテンション上げたり、必死でそれっぽい人間に擬態してるだけなので、家に着いた瞬間に電池が切れて動かなくなり、そのままn時間はグッタリしてるというな。
自己肯定感の低い人間、往々にして信頼出来る人間が皆無で寂しを抱えているんだけど、いざ人間と仲良くなれそうになっても「本当の自分を知られたら失望されるし嫌われる」と心を開けず必死に自分を隠してしまい、結果「嫌じゃないしむしろ好きだけど1緒にいると辛い」的な状態に陥ってしまうというな
発達障害人間の労働、往々にして段々とボロが目立つようになるから周囲は「真面目だと思ってたが実は適当/サボり人間だった」と解釈するけど、本人的には手を抜くどころか「ヤル事や要求水準が増えて頭がパンクしてきたし緊張と焦燥感で冷静になれない」と必死で頑張ってる悲劇が生じがちな気がするな
【書籍発売のお知らせ】 色々と事情があってKADOKAWA様より本を出させて頂く事になりました 陰キャ・オタク・元非モテ・発達障害会社員の私の半生や、そのような社会不適合人間の生き辛さの緩和や展望について書きました 『生きてるだけで、疲労困憊。』(7/21発売) Amazon→amazon.co.jp/dp/4040646029/…
リクルート、80年代に「フリーターこそ新時代の生き方!」と持て囃してご覧の有様なわけだけど、本当に酷いのは「40代の再チャレンジはこちら!」「無職も転職支援エージェントを!」とワープア2毛作やってるところなんだよな。武器を売り付ける為に戦場を作ってるという点でアナハイムを超えてるな。
「他人に迷惑をかけてはいけない」を自己肯定感の低い人間が強く内面化すると、他者に関わろうとすること自体に「自分なんかと1緒にいても…」と罪悪感を覚えてしまい、他者の気に1切触らないように過剰な努力して潰れたり、他者に自分から距離を縮められなかったりで孤独が保証されてしまうというな。
よく喋るタイプのコミュ障は「滑ってる事に気付けない」のと「沈黙に耐えられない」のがいて、後者は常に「相手にプラスを与えないと」と強迫観念に駆られてるので、自分が滑ってるからこそ「リカバリーしないと!」と話し過ぎてしまい、会話が終わったら羞恥と後悔に苛まされ消えたくなってるというな
人間関係リセット癖のある人間、往々にして最初は印象良いんだけど、それは「自分は嫌われる」という恐怖故に必死に取り繕ってる面があるんだよな。それ故に1見社交的かつ明るく見えても会話が終わった後は疲労でグッタリだし、それを表に出せないしで、ある日キャパを超えて全てから逃亡するというな
虐められたり毒親育ちの人間、往々にして「自分が我慢すれば丸く収まる」という事を骨の髄まで叩き込まれてるので、明らかに相手が変/危険な場合でも「自分が悪いのかも?」「公平公正に対応しないと」と反射的に思ってしまい、結果ますます我慢を要求される立場に陥りがちになる悪循環があるというな
メンヘラが人間関係を壊す原因は大体「依存」なんだけど、その裏には「人間関係が乏しい/心を開ける人間がいないが故に1人に過剰な期待してしまう」構造があるんだよな。他に信頼出来る人間がいないが故に信頼出来る人間が出来ると心のダムが決壊し、あれもこれもと1人に全てを要求してしまうというな
オタクの定義が難し過ぎる事から「オタクと発達障害の関連性」そのものズバリな研究はないんだけど、「ASD女性は男色に興味を示しやすい」「ASDは数学に強い」「集団行動が苦手で運動音痴」「3次元人間との会話ではなくフィクションから言葉を学ぶ」みたいな話から大体答えは出てる気がするんだよな…
ポケットモンスター セックス出来るママ(弱くても情けなくても自分を性含めて受け入れてくれる女性)/ セックスを要求しないパパ(性を差し出さなくて自分を守り優しくしてくれる男性)
悲しかったり腹立たしかったりしても何も言わない人間は、良い悪いは別にして「自分の感情は尊重されない」と学習してしまってるんだよな。感情を出した結果、否定されたり嘲笑されたりで余計に傷付いた経験が多過ぎて、自分の感情を押し殺して口を噤むのが自己防衛術になってしまっているというな。