自己肯定感の低い人間がコミュ障を併存しやすい1番の理由は、「本当の事を言えない」事で、自分の言葉や思考に自信が無かったり、本音を晒して傷付くのが怖かったり、他者に否定されてきたが故に曖昧に濁すのが処世術と化している。結果、誰にも本当の事が言えず人間関係が出来ては消えてくというな。
1人暮らしでやってはいけないのが「面倒は後でやればいい」思考なんだよな。1人暮らしは自分以外に苦言を呈す人間がいないので、環境が駄目になると「鈍感」になる事で乗り切ろうとしてしまう。結果、どんなに部屋が荒れても栄養バランス崩れても危険信号を受信出来なくなり、色々手遅れになるというな
現代社会、1昔前は「環境が悪いなんて甘え!努力不足!上の人間は努力したから上にいる!嫉妬で認知を歪ますな!」みたいな説教が主流だったけど、様々な研究で「人間の成功は本人努力より生まれと環境に大きく左右される」事が明らかになり、認知が歪んでいるのはどっちか?の潮目が変わりつつあるな
「オタクは否定から入る」みたいな話、「いや、そんな事はないから」と言うと「ほら否定するじゃんw」となってしまうし、「そうだね」と言えば「やっぱ自覚はあるんだねw」となってしまうしで、実質「そんなこと言わせちゃってごめんね!」と強く抱きしめて相手の××を折る以外の選択肢がないというな。
「人間は努力次第で何にだってなれる!」は格差が小さい頃は希望だったが、格差が拡大するにつれて「貴方が不遇なのは努力不足だからだ!」という呪いに変わっていき、研究によって遺伝&実家の所得が人生に与える影響のデカさが明るみになった結果、「親ガチャ」という言葉が誕生してしまったというな
「真面目で良い子」と呼ばれた人間は「あまり怒らない優しい子」も兼ねてる場合が多いけど、往々にして「怒らない」というよりは「怒り方が分からない」ケースが多いんだよな。怒りの念が湧いても種々の経験で身に着いた諦観で、曖昧に笑って自他を誤魔化す処世術でやり過ごす癖が出てしまうというな。
自己肯定感は「自分は凄い人間である!」ではなく「自分は凄くないかもだけど、それはそれてして自分は存在してもいい!」という感覚なので、それが無い人間は常に寒さに凍えている状態であり、必死に他者からの承認というマッチを集めて暖をとっても、1時的に満たされるだけで直ぐに冷えてくというな
イジメや虐待を受けた人間は、相手の顔色を伺って先回りして保険をかけるみたいな癖がつきやすいけど、傍目には「常に怯えて過剰に気を回して勝手にダメージを受ける」仕草に映るんだよな。戦争が終わっても心身に染み付いた恐怖は拭えず、自分の中だけで戦争が永遠に続いてるランボー状態だというな。
ADHD人間にありがちな「手遅れになってる可能性が怖過ぎて確認が出来なくなる」現象、焦燥感や罪悪感はあるんだけど、だからこそ心身が重く動けけなくなってしまうので、実際に「もう間に合わないことが確定/締切を過ぎる」と悲嘆すると同時に心身が1気に軽くなり、何処かホッとしてしまうというな。
コミュ障は「空気が読めない」というよりも、「空気は読めるけどギクシャクしてしまう」人間も多いんだよな。この手のタイプは空気が読めるが故に、必死で言動の「正解」を見付けようと力んでしまう。結果、言動が何処か不自然になってしまい、それが自分でも分かるので、更にギクシャクしてくというな
自己肯定感の低いコミュ障、友達がいないわけでは無くても「自分は相手の事が凄く好きだけど、相手には(自分より親しそうな)友達が沢山いるし自分への思い入れは…」と妙な気遅れから、周囲に「☓☓とは友達だよ」と断言出来ず、相手に迷惑かも?と距離を縮められず、気が付けば疎遠になるというな。
幼少期に「自分が何をやりたいか?ではなく、やらないと他人から色々言われて面倒な事になりそうだからやる」を行動原理にしてきた人間、往々にして大人になると「楽したい」以外の意思が弱く、1度でも躓いて他人から色々言われると「もういいや」と全てが面倒になる自堕落人間になりがちな気がするな
人間、食って寝るだけだと心身は回復するけど「満タン」にはならないんだよな。人間が満タンになる為には、イベントや旅行や温泉などで色々溜まったモノを落とし切ってリセットをかける必要があって、それをしないと徐々に食って寝る事による回復量が減っていき、疲労状態がデフォルト化してくというな
自己肯定感が低い人間は、「相手に会っても自分は相手に何らかのプラスを与えられない」という思いから、好きな人間に対して妙な遠慮や距離感調整をする傾向にあるんだよな。そして、その事に気を遣われると申し訳なさで更に「自分は何も与えられない」事実に絶望し、疎遠になるしかなくなるというな。
「鬱は金があれば治る」「鬱はスポーツや筋トレで治る!」「鬱は他人から承認されまくれば治る」的な言説、全米オープンテニス優勝60億円プレイヤーの大阪なおみさんのうつ病公表で全て吹き飛んでる気がしなくもないな
幼少期は神童だったが段々と駄目になってくタイプの人間、往々にして小さい頃は「そうしてるのが1番楽だし期待を裏切ると面倒になるから」という理由で勉強などに励んでいたので、1旦躓くと「期待を挽回するのも期待されるのも面倒」な事を学習し、最初から期待されるのを避けて自堕落になるというな
ADHDの「手遅れ/間違いだったら?という恐怖感から先延ばしして全てを破綻させる」現象は、ちゃんとやらなきゃ!と思うほど恐怖感が増して逆に動けなくなるんだよな。なので、その場合は身体を動かしたりアニメを見ながらなど、まずは「不真面目」に取り組むのがお勧めな。とりあえず着手するのが大事
コミュ障の中には「ガチで話せない」タイプ以外にも、「社交的な人間を演じられるが疲れる」タイプがいて、後者は1見コミュ障には見えないけど、話す事や表情作りに凄くエネルギーを使って苦しんでるので、どんなに会話が盛り上がっても「2次会」的な話しになると急にノリが悪くなる特徴があるというな
自分1人で全てを抱え込む人間は、大体はそれが非効率だと自覚はあるんだよな。その手の人間は「相手に弱みを晒す面倒/無理解/屈辱リスクを考えれば、1人で抱え込む方がマシ」という結論に至ってるので、「何で言わないの?」と言われる度に、周囲の無理解/面倒さを感じ更に抱え込むようになるというな
本当に厳しい環境に置かれた人間は、我慢/忍耐強くなるどころか「長期的に取り組む」という発想を奪われていくんだよな。常に「このギリギリがいつ破綻するか?」という不安に襲われており、少しの躓き/損が致命傷になるので挑戦出来なくなる。結果、傍目には短期的益ばかり求める怠惰者に映るというな
「現代文は無勉でも成績良い」人間は、往々にして「言葉を声ではなく文章から学んだ」個体なので、リアルでは相手や自分の言葉の意味に気を取られ過ぎてノンバーバル言語を見落として齟齬を起こし、それが更に文章に走らせて人間を避けさせる為、最終的には高確率で高学歴社会不適合人間になるていうな
矛盾してるようだけど、人間は疲れ果てると「休む」事が出来なくなるんだよな。確かにダラダラしたり横になったりは出来るけど、「気持ちを切り替えてやりたい事をやる/嫌な事を考えない」というHP・MPを満タンにする営為を行えなくなる。疲れているのに、疲れを取るだけの体力・精神力がないというな
コミュ障は普通に会話してるように見えても、常に裏で陽キャ/普通の人格というOSを仮想環境で回しながら、同時に常駐空気読みソフトと「これを言ったらこうなる」という常駐演算ソフトを動かしているので、実はメモリ不足でちょっとした事でフリーズするし、終わった後はグッタリしてしまうというな。
発達障害者の「その時には分からないが、時間差で情報と情報が統合されていって輪郭が浮き上がり、突然に全体像を理解する」という現象は、昔から「弱い全体的統合(weak central coherence)」として言及されていたんだよな。細部に集中するあまり、全体的な輪郭や文脈的意味を犠牲にしてしまうという
「苦労が人間を育てる」というけど、本当に厳しい環境に置かれた人間はその対処で精1杯なあまり、他の事に気が回らなくなったり、活動範囲を広げられなくなるんだよな。結果、同年代の人間が出来てる/知ってる事に対して遅れが目立つようになり、「苦労してないんだね」と煽られる羽目になるというな。