完全な他人なら上手く話せるコミュ障は、要するに「予め決められた役」を1時的に演じきる事は出来るんだよな。それ故に、この手のタイプは逆にプライベートな関係/長期的付き合い/肩の力を抜いた場だと、素の自分は駄目!以外にどのように振舞えばいいか分からず、陸に打ち上げられた魚になるというな
自己肯定感が低いと自尊心も低くなるわけではなく、「これまで譲ったら自分の存在価値が無くなってしまう!」と斜め上に高くなる事もあるんだよな。少しでも傷付くと☓ぬスペランカー状態なので、非を認めなかったり、他者にマウントしたりして、自己肯定感が低いからこそ尊大/攻撃的になるというな。
繊細な人間が「他人に迷惑をかけてはいけない」を忠実に実行すると、人生が上手くいってる時は「優しい」と称されるけど、転落すると「他人がこんな自分と関わるのは迷惑では?」と周囲を拒絶するしかなくなってしまい、結果として「無気力でセルフネグレクト気味な厄介人間」と称され易くなるというな
助けを求められない人間は、往々にして今の苦しみよりも「助けを求めることで発生する諸々の面倒や心理的負担」の方を忌避したがっているんだよな。良いも悪いも現状維持は最も面倒や変化の少ない営為なので、本当に××な状態の人間は「余裕ないけど、助けを求めるだけの余裕もない」ジレンマに陥りがち
嫌な事を嫌と言わない人間は、往々にして優しいとか気が弱いというよりも「嫌と言うと色々と面倒になりそうだから我慢しておく」というタイプな事が多く、いざキレる時は何もかもが面倒でどうでもよくなってる状態なので、周囲が唖然とするような選択をアッサリして何もかもを道連れにしがちというな。
自己肯定感の低い人間は、すぐ謝るタイプ以外にも絶対謝れないタイプもいるんだよな。この手の人間は、自己肯定感低いからこそ「自分は正しい」を拠り所にしており、それに1点でも傷がつく事に耐えられない。結果、周囲に強情な態度を取って孤立し、更に「自分は正しい」に依存する悲劇があるというな
よく喋るタイプのコミュ障は必ずしも「空気が読めず自身の失敗が分からない」とは限らないんだよな。この手のコミュ障は空気は読めるが故に沈黙/気まずさに耐えられず口を開き、失敗に敏感な故に取り繕う為に喋り過ぎてしまうタイプもいて、帰宅後は自分の失敗を脳内で思い返して悶絶してるというな。
小さい頃から「周囲に怒られないこと」を第1目標に生きてきた人間、もう「自分の意思や欲望を全部抑えて他者に合わせる」が習慣として身に付いてしまってるので、「自分はどうしたいの?」「将来の夢や目標は?」等と聞かれても「とにかく楽でいたい」以外の回答が思い浮かばなくなってしまうというな
自己肯定感の低いメンヘラ、人間と接しても「私なんかと付き合うのは迷惑では?」と思ってしまい、好意を持たれても「私はそれに応える事は出来ない/私を誤解してる」と怯えてしまい、嫌われて「やっぱり私はそうだよね」とホッとしてしまうので、延々と人間関係が出来ては消えてくを繰り返すというな
発達障害者にとって大学が鬼門なのは、その独自のシステムにより生活習慣が壊れやすいからだと思うんだよな。カリキュラム自由に組めたり、欠席が容易だったりする事が逆に「平日のタイムスケジュールが不規則」という障壁になってしまい、混乱したまま、いつの間にかルーズが常態化してしまうというな
「大人になってから時間が過ぎるのが早い」というのは、正確には「子供と違って記憶に残るようなイベントが自然発生しない」なんだよな。労働の時間が如何に長く感じても、それ自体は毎日の繰り返しに過ぎないので、記憶に残る事なく消えていき、そして記憶に残った面白きアニメで年月の経過を実感する
コミュ障は文章では割と話せる印象があるけど、根底にある人間への恐れや自信の無さから解釈の余地を増やしたり曖昧にしたりして保険をかける傾向があるので、「まあ」という自分の見解に留保をかける文頭や、「ー」という自分の見解を曖昧にする文末や、黙点(…)を封じられたら完全に詰むというな…
陰キャは人間嫌いというよりかは、何かに参加したり意思表示する度に「例外」扱いされてきた為に、「自分は“みんな”の中に入ってない」事が骨身にしみてるからなんだよな。それ故に距離が詰まっても、将来的に「自身が例外処理される」事を前提に予防線を張ってしまい、関係が出来ては消えてくというな
自己肯定感を低くする方法は「嫌いな人間の不幸を願う」ことなんだよな。これをやると当然の帰結として「悪人は不幸になり、善人は幸福になる」という公正世界信念が強化される。結果、自身の不幸や嫌いな他者の幸福が「自分が間違ってる証」となってしまい、自己肯定感がガリガリ削られていくというな
「真面目で良い子」と呼ばれた人間は、往々にして幼少期自我を見せる事を批判され過ぎ、自発的行動に恐怖を抱くようになった生物なんだよな。それ故に人生の転機に「貴方の人生だから自分で決めろ」と言われるのは暗闇の中に突き放されるに等しく、1度躓くとそのまま起き上がれず色々詰んでくというな
幼少期に周囲から抑圧されてきた人間は、怒らなくなるというより「怒りを感じた瞬間に心のシャッターが降りてきて、ある種の無感になる」事が多いんだよな。怒りの念が即「もうどうでもいい」みたいな諦観や呆れに塗り潰されていき、「面倒だから早く終わらせたい」という感情しか抱かなくなるというな
自己肯定感の低いメンヘラは好きな相手なら腹を割って話せるわけじゃなく、「良い面ばかり見せようとする」という形で本音を隠すんだよな。相手を大事に思うあまり、「悲しませたり失望させたくない」と相手が喜びそうな言動ばかりし、やがて疲弊し「好きだけど1緒にいるのが辛い」状態になるというな
ADHDの人間には、往々にして「今思いついた事を最優先と感じてしまい、さっきまでやっていた事に集中出来なくなる」傾向が見受けられるけど、それを端的に表すのが「インターネットで次々とタブを開いていくが、前のタブを見返す事は滅多にない」現象なんだよな。
人生に支障をきたしてる人間は、往々にして悩みが複合的だったり、自分でも辛みを把握出来てなかったり、最悪何から話せばいいか分からん状態にあるので、「何が辛いの?」と抽象的に言われても言語化出来るとは限らないんだよな。結果、周囲は自己責任と諦め、当人は更に××化する悪循環があるというな
初対面で「真面目」と評されやすい社会不適合人間は、往々にして「手の抜き方が分からないが故にコードを厳守せざる得ない」だけなので、緊張感の弛みや疲労で日を追う毎にボロがでるし、他人の見てないところだといい加減になってしまうし、初対面の好印象さが悪くでて、色々難しい立場になるというな
メンヘラが人間関係壊す理由、大体「相手に友達兼恋人兼カウンセラーなどのマルチタスクを求める」からなんだけど、何でそうなるか?というと人間関係が希薄な故に、それを補うべく1人の人間に全てを求めざるを得ないからなんだよな。健全な人間関係を築く為の健全な人間関係がない…というジレンマな
「努力は必ず報われる」「善は栄え悪は滅ぶ」的な信念が強い人間ほど弱者に厳しくなるのは当然で、これは裏を返せば「報われてない人間は努力不足」「不遇な人間は悪人」という事になるんだよな。それ故にこのタイプは「強い弱者」を愛す1方、何の魅力/能力なき「弱い弱者」は容赦なく☓☓するというな
自己肯定感の低いメンヘラに「自分を大事に」と言っても、その手の生物は往々にしてやりたい事や意思を抑圧され続けて「もう望みを持つこと自体が面倒」になってるので、自分を解放すると「何もしたくない」以外の感情が消失して、他人にも自分にも気を使わないセルフネグレト1直線になるバグがあるな
自己肯定感の低い人間は「誘う」が出来なくて、常に他者に申し訳なさを抱いてるが故に「あの人間に会いたい」と思っても、即座に「でも迷惑じゃないか?」「自分なんかが…」等と延々と考え始めてしまうんだよな。結果、自分から連絡やアポといった動作を起こせず人間関係が出来ては消えてくというな。
ADHDのタスク管理tips ・作業空間から余分な物を取り除き「衝動性の芽」を潰しておく ・思い付きや衝動性に襲われた時は身体を思いっきり動かして発散する ・長期タスクの見通しはネガティブに(先延ばし防止)、短期タスクの見通しはポジティブに構える(逃避防止) ・タスク中にTwitterを見ない