人間は過干渉なママに育てられると、自我を常に抑圧されるので自己主張に罪悪感を抱くようになり、常に遠慮する「真面目で良い子」になるんだよな。しかし、それ故に周囲から浮き気味になり、同性代の人間関係から社会性を学ぶ機会が失われ、最終的には社会から取り残されて途方に暮れる生物が誕生する
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間関係では「嫌われてる/これから嫌われる」事を前提として振る舞いがちになるんだよな。その為、傍目には凄く丁寧で明るく社交的なのに、何かにつけて遠慮したり、どんな時も羽目を外したがらない「控え目でノリの悪い陽キャ」という謎の生物に見えるというな
ADHDが得たら××になる成功体験1覧 ・家からの出発予定時間が遅れたものの遅刻ギリギリセーフ ・過集中により短時間で放置してたタスクを片づけた ・1夜漬けで試験突破 これらの成功体験を得てしまうと、上手くいった時の報酬の凄まじさから積極的に「ギリギリ」を狙うようになってしまい。。。
陰キャの嘆きに対して「そんなんだから陰キャなんだよ!努力しろ!」と言う人間がいるけど、陰キャと陽キャの違いは正に「自分が報われる事を信じられるか」にあると思うんだよな。良いも悪いも陰キャのネガティブは「期待したり調子にノると痛い目を見る」を学習し、その世界観に適応した結果というな
コミュ障がメッセージを返信しようとすると、「即既読つくとか気持ち悪いか?」「ずっとSNSに張り付いてると思われる?」と変に時間調整かけたあげく、「これは馴れ馴れし過ぎない?」と文章にも変な調整かけてしまい、結果として中途半端な時間に事務的なメッセージを返す羽目に陥りがちだというな
コミュ障を自称する人間、往々にして話すとそれなりに応対は出来るけど、表面上は問題ないように見えても本人的には「気を抜く事が許されない1ミスで詰む制限時間内に正しい選択をし続けるゲーム」状態なので、社交が終わった後はMPが尽き果てて、家では何も出来ない魂の抜け殻と化してるというな。
人間関係リセット癖のある生物、大体は「嫌な事を嫌と言うと面倒になりそうだから」と溜め込むタイプであり、リセットする時は嫌な事が起きた時というより「それがキッカケで面倒臭さの限界を超えた」時であり、面倒が発生する環境自体が無理になってるので、実質的にリセット以外解決法がないんだよな
ADHDの「タスク管理が苦手で気が散りやすい」と、ASDの「キッチリしてないと気が済まない」が合体すると、「色々と準備不足で予定に遅れそうなのに、いざ準備を始めると時間がないと分かっているのに妙なところが気になったり拘ってしまったりで全然終わらない」という地獄が生まれるというな。
発達障害者が怒られても表情が変わらないというのは、恐らく小さい頃からの叱責や虐めによって「自発的に状況を変えられない」事を叩き込まれたが故の学習性無気力だと思うんだよな。それ故に人間から怒られても、諦観から脳が「その場で消費MPが最も少ない言動を取るモード」に入ってしまうというな。
ADHDは面倒なタスクを先延ばしにしがちだけど、いざやり始めると「もう面倒な状態になっているし、少しでも次に持ち越したくない」という思いから、やる前はグズッていたにも関わらずタスクを完璧にやり遂げようとするんだよな。その意味でADHDのタスク処理は基本的に「1筆書き」になりがちというな
ADHD、お風呂に入るのは好きだけど入るまでが長く、人間と遊びに行くのは好きだが準備や家を出るのはダルく、趣味やタスクには妥協なく全力を注ぐが着手する気力は出ず…と往々にして「ワクワクする事が好きだし直ぐワクワクするけど、そこに行くまでを極端に嫌がる」という矛盾した性質があるというな
ADHDの「衝動的で思い付いた事に夢中になる」と「先延ばし癖や慢性疲労」が合わさった結果、傍目には「遊びの誘いとか企画とかにめっちゃ乗り気で断らないし、やってる最中もノリはいいのに、何故か直前は凄く面倒そうにしているし遅刻しがち」と映る不思議な生物が誕生するというな
「人間に嫌われるのが怖い!」という自己肯定感の低いコミュ障は、まだ「自分は嫌われてない/何かしない限りは嫌われない」と思える時点でマシな部類で、本当に自尊がヤバくなると「自分は既に嫌われてる」が前提になり、人間が自分を嫌わない状況下だと逆にソワソワし物凄く不安に襲われるというな。
親ガチャに反論する為に出てくる「私は底辺から努力で這い上がりました」物語、途中まで共感しながら読んでたら唐突に「理解のある親族・縁者が援助してくれました!」というフレーズが入ってきて逆に親ガチャの存在を補強してしまうの、完全に生き辛い漫画の「理解のある彼くん」と同じ構造なんだよな
先延ばし癖のある人間は、往々にして完璧主義者も兼ねてる事が多くて、「やり始めるとトコトンやり過ぎてしまう」事が自分でも分かるが故に、ヤル気の無い時は「面倒臭い」という感情に支配されてしまうんだよな。結果、着手は遅いが着手したら変な所に拘りが出て終わりが見えないという地獄が現出する
陰キャには友達が全くいないわけではなくても、だからこそ「自分は友達が少数しかいないし、相手を超大事に思ってるけど、相手は友達が沢山いるし、自分は相手にとってはワンオブゼム」という形で病む事があるんだよな。陰キャの苦しみは誰かのナンバーワンにもオンリーワンにもなれない事だというな。
陰キャの人間、往々にして「1人が1番気楽で他者と1緒にいるとメッチャ疲れる」的な特性を持っているんだけど、同時に「ガチで1人だと寂しくなる」という人間として当然の特性も持ってるので、結果として「他者といるとストレスで辛くなるけど1人だと虚無感で辛くなる」という地獄が誕生するというな。
「やれば出来る子」というのは、換言すれば「自発的に何か行動出来ず、モチベーションが外発的動機付けや危機感に依存してる」という事なので、大人になるにつれて周囲からあれこれ言われなくなる&「やれば出来た経験」の積み重ねで危機感が薄れていき、最終的には「やっても出来ない」状態に陥りがち
ネットリンチでテラスハウス出演者の木村花さんが自殺した当初のTwitterは「私刑は如何なる理由があっても駄目」「思い遣りを」「自分の言葉が他者を追い詰める自覚を持とう」的な優しさに溢れていたけど、それから1年も経たない内にごらんの有様だよ!になるの、分かってたけど色々虚しさを覚えるな。
「人間に迷惑かけるな」と過剰に叩き込まれたコミュ障は、人間と接すること自体に「迷惑かけるかも」と罪悪感を抱くようになるんだよな。結果、頭で大丈夫/必要と分かっていても他者に相談や協力要請が出来なくなって問題を引き起こし、更に「これ以上迷惑は…」とデッドロックが強化されてくというな
コミュ障、TwitterやLINE等のsnsではリプライ貰っても「こんなこと言うのは失礼?」「相手に変と思われないかな?」「力み過ぎではないかな?」等と色々考えてしまってる間に、「自然の内に入る返信のタイムリミット」を逃してしまい、結局は不自然かつ作為的なコメントを返す羽目に陥りがちだというな
コミュ障の本当にヤバイ面は「上手く会話出来ない」ところではなく、「明確な理由なく話しかけたり目的/意味の無い会話をする事に罪悪感を抱いてしまう」面にあって、これによって仲良くなれた人間でも1度距離が出来ると関係修復が不可能になってしまい、人間関係が出来ては自然消滅してくんだよな。
「努力は必ず報われる」「善人は救われる」みたいな世界観は、裏を返すと「報われていない者は努力不足」「救われない者は悪人」となるので、その世界観が強い人間ほど「貴方が不遇なのは正しくないからだ。正しくない事は不遇が証明してる」のおかしさに気付かず弱者に対し冷酷になってしまうというな
オタク達はよく「恋愛要素を物語に入れるとつまらなくなる!」という持論を述べるけど、確かに人生において恋愛要素が1切ないオタク達のツイートは大体コンテンツ力があって面白いし、そういう人間達に恋愛要素が発生すると途端にダメな感じになる事も多いので、物凄い説得力を感じるな。
何らかのキッカケで嫌な記憶を思い出してしまい、それを掻き消すべく発作的に奇声をあげてしまったり変な動作をしてしまうの、個人的には「心のアレルギー反応」と呼んでるな。心の傷付いた敏感な部分に、その原因と類似する抗原が近づくとアナフィラキシーショックで精神の免疫系が過剰に働くというな