陰キャの人間、往々にして「自分は嫌われる」と悟っているので、親しい人間が出来ても「いずれ失望される」「本当は迷惑に思ってる?」「相手には私より親しい人間が沢山いるし私が勘違いしてるだけ?」等と思ってしまい、自分から誘いに行けないし「友達なの?」と聞かれると口籠ってしまうというな。
発達障害人間が「思い出し奇声」「社会的離脱」をやりがちな理由として、「嫌な刺激を適切に処理出来ない」可能性が示唆されてるんだよな。例えばこの研究によれば、ASDと定型のグループに嫌な写真を見せた後に脳を分析したら、両者で異なる脳活動パターンが示されたという。 ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/P…
「キモくて金の無いおっさん/社畜/虐められっ子に銃を渡したら、社会が☓☓になる!」と言うけど、実際やったら間違いなく、その銃口は他者ではなく自分に向くと思うんだよな。現に米国ですら銃による他☓数よりも自☓数の方が多いし、基本虐められる人間は「弱い」ではなく「反撃出来ない」だというな
過干渉教育ママが過干渉になる理由として「子供の成績は上下しやすい」というのがあるんだよな。勉強には得意・不得意があり当然に同じ科目でも試験範囲によりバラつきが出るんだけど、勉強してないママはそれが分からず「実は怠けてた」「追込みが足りない」と結論し、安易な根性論に走りがちというな
発達障害人間、往々にして過去のアレコレからトラウマが沢山あるので叱責等に敏感になり、尚且学習性無力感から「文句等があっても曖昧に笑って誤魔化す」が処世術になっているんだけど、他者の目には「怒られた経験が少なく言われてもヘラヘラしてる」と映ってしまい、更にキツく当たられがちというな
不遇な人間は不遇故に「努力すれば報われる」「自分は他者に尊重される」と信じることが出来ず、少しの事で「やっぱり駄目だ」と悲観的になったり自暴自棄になってしまうんだけど、恵まれた人間はそれを見て「すぐ諦めるから不遇に陥るんだ」と因果を逆転して考えてしまう悲しい構造があるというな。
マイナンバーカードに小中学生の成績が紐付く事に関して様々な懸念が表明されているけど、コレが1番リスクファクターとなりえるのは「成績が悪い子」ではなく、「国語の成績は他より突出して良くて体育の成績が悪い子」な気がするな
Twitterは陰キャを中心とするプラットフォームで、TikTokは陽キャを中心とするプラットフォームなので、両者が合併すればワンチャンで陰と陽を自在に操る陰陽師が生まれる可能性がある気がするな。 #TwitterとTikTok合併許すな
自己肯定感低いメンヘラに「自分を信じろ!」と言っても、メンヘラは律儀に自分を信じようとするものの、過去を振り返っては信じられる根拠どころか不安要素ばかり思い出し、あげくの果てに「自分を信じられない私は駄目なんだ」という方向で更に自分を信じられなくなってしまうので注意が必要というな
陰キャでも寡黙とは限らなくて、なかには「沈黙に耐えられず話し過ぎほど話してしまう」タイプがいて、この手の人間は1見我が強いように思えるけど、実際はメッチャ他者を気にしているので、帰宅したら頭の中では「またやってしまった!絶対変に思われたしウザがられた!」と大反省会してるというな。
生き辛さを抱えて「☓☓の苦しさを理解してくれ!」と訴えてる人間が、生き辛さを抱えた別の属性の人間に対し「貴方のそれは甘え!自己責任!」と理解を拒否して叩き出すの、「与えようとせず又は与えるものがなく故に与えられない」という弱者のジレンマそのもので本当に悲しい気分になるというな。
「無職で辛い」という人間に対し、労働者が「職があっても辛いんだぞ!貴方は労働の大変さを知らない!最悪☓ぬ事だってあるんだぞ!」というのは1般的傾向や境遇差を無視した暴論だけど、Twitterにはこの理論がモテや高所得や美人に置き換わると、途端に正論として扱われてしまうバグがある気がするな
発達障害人間は往々にして「叱責に弱いにも関わらず叱責されやすい」という難儀な性質を抱えているんだよな。それ故に就労してもまず第1に「失敗したらどうしよう?」「怒られたらどうしよう?」という恐怖ばかりが先に立ち、普通人間のように遣り甲斐や目標を見つける余裕がないというな。
就活生が就活で最も参考にすべきテキストは「就活ノウハウ」ではなく、「人事担当者向けの採用ノウハウ」なんだよな。就活ノウハウはあくまで「採用する側の表向き/表に出せる見解」なわけだけど、採用ノウハウは「採用側の実際の判断基準」なので、それを知れば色々楽になれるというな。
発達障害人間、往々にして叱責され過ぎた故に叱責や嫌われることがトラウマ化しており、常に「他者に不快感を与えず気を損ねない」が最大の関心事になるので、人間関係では相手と距離が縮まるほどに言動がギクシャクしてしまい、好きな或いは好きになってくれた相手とも段々と気不味くなってくというな
「察して欲しい」オーラを出すと、逆に察して貰えなくなるジレンマがあって、察しの良い人間ほど「この人間は☓☓だ」と察するし、人間関係にも恵まれてるしで「手間暇かけて付き合う意味…」となってしまうんだよな。結果、周囲から察しの良い人間は去り、察しの悪い人間ばかり残るようになるというな
@akihiro_koyama オタクの描くファッションが遅れてるのは「思春期に“いいな”と思ってた女性の幻影を成人になっても描き続ける」面もあるかと思いますので、その意味ではオタク若者人口が増えても、オタクの描く女性は1昔前の姿になるような気がしないでもないです。(恐らく竿役も。。。)
何かに違反してる人間に対して納得させたり言い聞かせたりといった穏便な解決策を計るわけではなく、その人間を論破したり小馬鹿にしたりして辱めて叩きのめしてやったぜ!スッキリ!的な武勇伝がTwitterでバズり続ける光景、良い悪いは別にして虐めの楽しさと無くならない理由がよく分かるというな。
「何故鬱病エッセイ漫画には支えてくれるパートナーが出てくるのか?」という疑問には、医学的には「パートナーの有無は標準治療を除く鬱病早期寛解に関連する唯1の変数だから」という答えが出てるんだよな。具体的にはパートナーのいる人間は早期寛解可能性が2.4倍高くなる。 jamanetwork.com/journals/jamap…
健常者から障害者へのイジメ問題で難しい点として「当事者が口下手だったり情報整理出来なかったり、そもそも先入観ありきの対応されたりで、被害を訴えても話を聞いて貰えない」というのがあるんだよな。然るべき所に相談すればいい…は良いも悪いも「話せる/聞いて貰える」人間の発想だというな。
発達障害人間の生き辛さ、往々にして「本人も何に困ってるか?分からない」が故な側面もあるんだよな。とにかく健常者とのズレや遅れは感じるものの、どこがどう違うか考えてる内に色々と置いてきぼりになり、気が付けば何も分からないまま8方塞がりの詰み状態になってるケースも少なくはないというな
TwitterJPの「Twitterをスクロールして祝日を過ごしているみなさん〜!面白いツイートありましたか?」というキレキレの煽り、Twitterは過去に日本ユーザーを分析し「Twitterユーザーはボッチ非モテノリ悪い負け組」と結論付けてるので、間違いなく事故ではなく確信犯というな twitter.com/TwitterJP/stat…
陰キャの人間、往々にして様々な抑圧経験によって自尊心が摩耗してるので怒ったり悲しんだりが出来なくなるんだよな。「自分は誰にも尊重されない」と過去のアレコレで学習しているため、怒りや悲しみを覚えても「余計に馬鹿にされるだけ」と抑えられ半自動的に「曖昧に笑って誤魔化す」が出るというな
@rei10830349 明確な刑罰ないしルールがないが故に、無限に私的制裁が加速していく場の代表例が「小中のクラス」なんだよな。そこで1旦「ムカつく/キモい奴=悪」となると、どんどん些細な事を理由に虐められるようになったりイジメ方が過激化していき、最終的には存在自体が罪になる構造があるというな
「虐められるとコミュ障になる」と私は考えていて、イジメ経験により世界への安心感が奪われる事で自分の言動に自信が無くなる&他者が怖くなり、常にビクビク怯えて他者の顔色を伺うコミュ障が出来上がる。これが40年経っても虐め経験が社会関係に影響及ぼす理由と思ってるな pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24743774/