陰キャ、往々にして抑圧や虐め経験から「相手が不機嫌になると罪悪感を抱いてしまう」妙な習性が身に付いてしまってるんだよな。相手が感情を害したとして、それは必ずしも自分が悪い事を意味しないけど、陰キャは反射的に謝ったり誤魔化し笑いを浮かべてしまい、後で悔しさを何度も反芻しがちというな
ストレスマネジメントで重要なのは、ストレスの捌け口を酒やガチャに求めない事ではなく、「それだけに求めない」事な。ストレスを酒だけで解消するとアル中になるし、ガチャだけで解消すると破産も出来なくなるが、酒を少し飲んで少しガチャるのは健全範囲。複数の逃避先を持つ事が破滅を避けるコツな
弱者の辛さって経済・健康・人間関係の乏しさもそうだけど「社会の中で果たすべき自分の役割がない」という面も大きいんだよな。他人に必要とされない苦痛は就活が分かりやすいけど、時にそれは金銭以上の苦痛になるからこそ「追い出し部屋」「窓際族」は自主退職システムとして有効だったというな。
陰キャの人間、往々にして他者に嘲笑や虐められてきたが故に「自己主張すると傷付くぞ」と学習してしまってるんだよな。結果、自分の意思を考えると自動的に「それを周囲に否定される自分の姿」が頭に浮かぶようになり、意思を持つ事自体がストレス源と化すので、意思を捨てる事が日常化するというな。
コミュ障には「コミュ障ほど相手をコミュ障認定しコミュ障に厳しくなる」構造があって、何だかんだコミュ障の自覚がある人間はコミュ障の中でも上澄み。真のコミュ障は人間関係が破綻する理由が自己にある事にすら気付けないので、逆に相手をコミュ障と認識し自分は1方的な被害者と思い込むというな。
コミュ障の根幹にあるのは「世界に対する不信感」で、嫌われる事を過剰に恐れ「相手を不快にしたら駄目!完璧に振舞わないと!」を意識し過ぎて逆にギクシャクしてしまう。しかし世界に対する信頼感を取り戻すには、心を開ける人間関係が必要であり…服を買いに行く為の服がないジレンマがあるというな
自分の意思や希望がない人間、往々にして過干渉やイジメやからかいにより「自分を出す=叩かれる」を骨の髄まで叩き込まれたが故に、自己主張しようとすると自動的に恐怖や羞恥や罪悪感で苦しんでしまい、それが嫌なので何事にも無関心や無感情である事が処世術として身に付いてしまっているというな。
コミュ障のアキレス腱は「穏やかな拒否」が出来ない事で、納得出来ない事でも「自分が変なだけかも」「自分さえ我慢すれば…」と抑えてモヤッてしまう。結果、モヤモヤが限界超える人間関係リセットボタンが自動的にonになり「突然凄くブチ切れる」or「黙って全逃げFO」という行動に出てしまうというな
よく喋るタイプのコミュ障は「滑ってる事に気付けない」のと「沈黙に耐えられない」のがいて、後者は常に「相手にプラスを与えないと」と強迫観念に駆られてるので、自分が滑ってるからこそ「リカバリーしないと!」と話し過ぎてしまい、会話が終わったら羞恥と後悔に苛まされ消えたくなってるというな
人間は蝉やホタルや鈴虫の「繁殖したい!」に対しては「風情がある」「ロマンチック」などと歓迎する1方で、杉や檜の「繁殖したい!」に対しては「迷惑極まりない!」「関わりたくない!」などと拒否するので、同じく人間から「繁殖したい!」を拒否される非モテは針葉樹の仲間であると類推出来るな
シンエヴァを見たオタク人間がブログ/note/Twitter等に、エヴァをフックに過去を振り返ってオタク活動を総括した自分語りを始める現象、個人的には卒業文集と呼んでるな
辛い時に他者に当たり散らすと人間関係が破壊されるし、買い物やソシャゲで発散すると財布が破壊されるし、酒に逃げると健康が破壊されるが、他者に少し愚痴って少し贅沢して少し飲むぐらいなら何も破壊されない。辛い時に破滅を避けるには辛みを1つにぶつけず、複数に少しずつぶつけるのが吉というな
「税金をあまり納めてない癖に文句ばかり言うな!」みたいな言説、説得力があるように感じられても論理構造は「誰のおかげで飯が喰えると思ってるんだ!」と全く同じだし、事実としても日本は貧乏人ほど所得に占める税の割合が高く「(多数の)貧乏人が(少数の)金持ちを支えてる」構造だというな。
ADHDがタスクを無難に遂行するには、「思い切り心身に力を入れて衝動性/不注意を抑え込む」よりも「短時間思い切り身体を動かして衝動性/不注意を発散させる」のがお勧めな。研究でも、ADHDは急性運動によりタスク遂行の混乱/疲労/抑鬱感が軽減される事が示唆されていたりする ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26741120
オタク文化は完全にユースカルチャーとして定着し、オタクコンテンツ愛好してるからといって奇異な目で見られる事は無くなったけど、しかしそれで従来オタクと呼ばれてきた人間の扱いは変わったか?は微妙で、その層は単にレッテルが「オタク」から「陰キャ」や「チー牛」に変わっただけな気がするな。
発達障害人間の体験談やライフハックが高学歴/実家が太い/親の理解有り/理解のあるパートナー持ちに偏る理由、端的に言えば「本当に厳しい当事者は診断まで辿り着けない」からなんだよな。病院に行けない、手帳申請手続きをこなせないのは勿論、そもそも発達障害概念自体を知らないこともあるというな
「大人しい人間がキレると怖い」というの、正確には「大人しい人間は限界まで溜め込んでしまう」何だよな。良いも悪いも「自分さえ我慢すれば…」精神で人間関係の軋轢を極限まで回避するけど、だからこそ限界に達して軋轢が不可避になると「もうどうでもいいや」精神で全てぶちまけてしまうというな。
陰キャがコミュ障になる1番の原因が、過去の虐めや抑圧による「怯え癖」なんだよな。人間に対する潜在的恐怖から、人前に出ると心身が強張りコミュ障になってしまう。それ故に陰キャでも気のおけない友人や信頼出来る人間相手とは、コミュ障発動することなく楽しく話せることも珍しくはないというな。
Twitterで自分の嫌いな人間/属性を指して「中高の時にいた陰キャ/キモい人間みたいw」という人間、確かにそういう面はあるにせよ、それ以上に本人達が「陰キャ/キモい人間は指差して笑ってOKだし、そう言っとけば反撃も嘲笑で封じれる」的な小中のアレに囚われ過ぎてて本当に厳しいものがあるというな
☓メンヘラはシぬシぬ言ってるわりには全然シなない。本当にシぬ人間はシぬとは言わない △厚労省調査(保坂隆)によれば自サツ者の2割は周囲に「シにたい」と言っており、シにたい言ってる人間も普通にシぬ ○シんだメンヘラはTwitterやれないので我々はシなないメンヘラしか観測出来ない
ADHD人間は常に時間に追われてるとは限らなくて、普通に余裕を持って出掛ける準備を終わらせたり出来るんだけど、そこからなまじ時間に余裕があるからと別のタスクに着手したり極端に寛ぎ始めて気が付けば出掛ける気が削がれてしまい、結局は先延ばし癖&時間ギリギリに苦しむことになりがちというな。
Twitterでは「嫌なら嫌と言っていい」「嫌な事はやらなくていい」「他者に合わせる必要はない」的な言説がバズりがちだけど、あくまで程度問題であって極端から極端に走ると、自分が「他者への歩寄りを拒否し1方的に忖度を要求する嫌な人間」として同じ論理で孤立に追いやられるので注意が必要というな
ナイキのCM、「マイノリティやはみ出し者等の弱者が社会に適合するには、(スポーツ等で結果を出すなどして)強くなって皆から認めて貰うしかない。ありのままでは駄目」というメッセージを打ち出していて、色々と示唆に富んでるな。
発達障害人間には矛盾してるようだけど「コミュ力がないからこそ空気に過剰適応するタイプ」がいるんだよな。何処から何処まで自己主張したりNO!と言ったり相手を拒否していいか分からないが故に、自分を押し殺して只々周囲に迎合し、気が付けば「心を許せる人間がいない8方美人」が誕生するというな。
オタク文化が浸透して、もはやオタクコンテンツを愛好してる程度では何も言われなくなったけど、それは決して従来オタクと呼ばれていた人間の救いになったわけではなく、昔なら「オタク」等と呼ばれていた人間は、今は「陰キャ」「チー牛」等と称されるようになり地獄度は更に増してしまったというな。