フロイトは「生きる意味や価値を考え始めると、我々は不幸になってしまう」と述べ、トロント大学の研究でも「人間は幸せを追い求めると色々不自由を感じて不幸になる」事が示唆されたけど、これはTwitterで人生や哲学を語ってる人間達によって完全に証明されてる気がするな。 link.springer.com/article/10.375…
ADHDの先延ばし癖解消方法として「思い切り身体を動かして衝動性を発散させる」というのがあるんだけど、これはドーパミン分泌させるだけじゃなく「リソースを敢えて削る事で余計な物に気を回せなくする」という側面もあるので、実は集中力UP&作業中に気を散らさなくする方法としても効果的というな。
「嫌な人間との関係は切断してOK!」みたいな思想で想定されるのは、主に「パワハラ上司」「イジメっ子」みたいな強者から弱者へ強制する関係性だと思うけど、実は「育児放棄親」「不倫既婚者」「イジメを見てみないフリ教師」等も良い悪いは別にして、「嫌な人間からは逃げる」思想の体現者だというな
「対話が必要」「議論が大事」みたいな人間は、往々にして対話や議論を「双方の言い分を中立的に検討し共同で知を創造するもの」ではなく、「相手は間違っており私が正さなければならない」といった意味合いで使ってるので、対話や議論をしたがる人間ほど対話や議論に向いてないジレンマがあるというな
社会不適合人間が休日にやってはいけないのは「漠然と休む」で、これやると「休日だから何かしなきゃ!」と「休日だから何もしたくない!」の板挟みになり、結果として何もやってないのに休んだ気もしなくなる。なので疲れてる時は「今日は何もしない!」と気合いを入れてシッカリ休むのが大切というな
発達障害人間のQOLを保つ方法は如何に「やった方がいいのは分かるけど面倒だからいいや」に抵抗するか?で、この思考に陥ると生存可能ラインギリギリまで生活が荒んでいくんだよな。それでも若い内は大丈夫だけど歳を経て異常が出始める頃には…努力は人間を裏切るが不摂生は決して裏切らないというな
「怒りを抑える」「悲しみから抜ける」というと、激しい感情を強引に切り捨てて気を取り直すニュアンスに思われがちだけど、肝心なのは「激しい感情に振り回されて当初の目的を見失わない」事なんだよな。感情自体は必要だから湧いてくるので、無理に押さえ付けるのではなく上手く付き合うべきというな
人間が努力するには「努力が報われた成功体験の積み重ね」と「自分は世界に祝福されてると思える安心感」が必要であり、その2つがあるからこそ人間は「努力は報われる/楽しい」と思う事が出来るんだけど、それを得られるか自体が「幼少期の愛情…親ガチャ」に大きく左右される残酷な構造があるというな
コミュ障の人間には「空気が読めない人間」と「空気は読める人間」の2種類いて、前者は空気が読めずに余計な事を話したり聞いたりして地雷を踏んでしまうけど、後者は空気を過剰に読み込んで無駄に緊張したり「なんて言うのが正解か?」と力んでしまい余計な事を話して地雷を踏んでしまうというな。
自己肯定感の低い人間、往々にして他者に大切にされると居心地の悪さを覚えてしまう傾向があるんだよな。「自分は嫌われる」という過去の経験則で培った世界観と、他者から尊重されてる状況が矛盾して嬉しいにも関わらずソワソワしてしまい、いざ嫌われると悲しいにも関わらずホッとしてしまうというな
辛い経験をした/してる人間が自分と同じような境遇に置かれてる人間に寛容になれるとは限らなくて、苦しんだからこそ「自分は我慢してるから貴方も我慢しろ」「大袈裟過ぎる」「自分は克服出来たから貴方は単に努力不足」と無理解な人間より冷酷になってしまうケースも多々あるので注意が必要というな
ADHD人間にみられがちな「先延ばし癖」「嫌なタスクに集中出来ない」「落ち着かない」等は単純に疲れてるからでは?みたいな説もあるんだよな。例えば研究によれば、小児期の慢性疲労症候群患者の29.7%はADHDであり、尚かつ20.9%はADHDかつ成人しても状態が持続するとのこと pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22648008/
社会学者カール・レーフラーの研究によれば、Twitterで「勉強しなくても国語がよく出来た」自慢をする人間は高確率で社会不適合を発症する事が確認されているが、Twitterでの「成人式に行かなかった」自慢も同様に社会不適合の発症の重大な予測因子であり、また両者は併存傾向にある事が判明したという
対人関係が苦手なコミュ障、たまによくLINE/メール等のメッセージを無視してるのにSNSや趣味をやったりするけど、それは「色々いっぱいで負担の少ない/好きな事しか出来ない」状態に陥ってる場合も多いんだよな。嫌とか尊重してないとかでは決してないけど、それをやるだけのMPが枯渇してるというな。
「理解のある彼くん」の話をすると、必ず「理解のある彼女ちゃんもいる!」と言う人間が現れるけど、マクロでは実証的研究で「精神疾患は生殖を低下させるが男性は女性に比して大幅に低下する」と結論されてるし、障害者向結婚相談所でも「女性は需要あるが男性は需要ない」と言われてたりするというな
「身体も調子悪いとこないしメンタルも平常運転のはずなのに何故か(思う通りに)心身が動かない」というのは、つまり「心身の異常も感知出来ないぐらいに疲弊して色々麻痺してしまった」状態なので、そういう時は直ぐに休んだり適切な医療機関に行かないと本当にマズイ事になる可能性があるんだよな。
空気を読むのが苦手な陰キャにとって敬語とは「TPOに依らず事故を防げる会話のテンプレ」であり、それで話すのが1番気楽で安心出来る処世術だから基本的に誰にでも敬語を使う傾向があるんだけど、陽キャは逆に気負ってるのかな?と思って「敬語使わなくてもいいよ」と言ってしまう悲劇があるというな。
人間は他人の悪口を言う時は、どうしても相手をより傷付けようと「自分だったら何を言われるのが1番嫌か?」「自分だったら何を1番気にするか?」と考えてしまうので、往々にして対象への理解・分析が不足した悪口は対象への攻撃というよりも「自分の弱点やコンプレックスの開示」になりがちだというな
メンヘラ、自分を認めて欲しい!愛されたい!という気持ちは強いけど、同時に「自分は無価値だ」という強固な世界観を抱いてるので、他者から肯定されると嬉しいけど世界観と反するので不安になり、逆に否定されると悲しいけど安心してしまうので☓☓な人間に引っ掛かりやすくなってしまうというな。
「自分が困窮していても助けて貰える気がしないので自分も助けない」という人間に対し、「貴方は道徳的に劣ってる!無償奉仕は当然!貴方は卑しい!」と言っても、それは「貴方は他者を助ける義務があるが他者に貴方を助ける義務はない」というジャイアン理論なので、相手は更に心を閉ざすだけというな
抑圧や虐待やイジメを受けた人間の「自分は排除される」という世界への不信感を払拭するには、自分を取り繕わずに他者と関わり「このぐらいは大丈夫」と安心感を得る必要があるんだよな。しかし当然それは不信感が強いほど困難であり、自己肯定感を取り戻す為の自己肯定感がないジレンマがあるというな
駄目になってる時は、当然に心身が消耗して色々雑になるし焦りで失敗しやすくなるしで、その状態で足掻けば足掻くほど駄目になってしまうので、予め「駄目な時は××して休む」と決めておくのがオススメな。この場合は休む!と決めておけば、完全に駄目になる前に自分をリセット→再起動出来るというな。
Twitter、「三角関数は社会で役に立たない」というと炎上するけど、「体育は廃止した方がよい」というと絶賛されるという非対称性があるんだよな。「使う人間は使ってる」で三角関数を擁護するなら、同じ理屈で体育や文系知識/技能全般も肯定されるべきだけど、そうはならない不思議があるというな。
オン状態を「自己を隠してる状態」とするならば、オタクにとっては労働や1般人との人間関係などリアル空間で行われる営為の殆どがオンになるんだよな。オタクにとってはHNでの活動こそが色々自己情報を開示してる状態であり、リアル空間は大体「本名」以外の1切の自己情報を隠してる場合が多いというな
カルト宗教や詐欺師の被害者は往々にして「嘘がバレても信じるのをやめない」傾向にあるんだよな。何故なら、それを認めてしまうと「自分は☓☓です」と宣言する事になるし、今までコミットしたリソースが全て無駄になってしまうから。頭の何処かでは嘘と理解出来ていても、心がそれを拒むというな。