「なんで正直に言わなかったの?」の答えは、往々にして「正直に言っても許して/納得して貰えるとは思わなかった」なんだよな。人間が正直に打ち明けるには「正直が得になる」インセンティブが必要で、罰則だけだと隠す/誤魔化す方がワンチャン得になるので、人間は正直に話さなくなってしまうというな
怒られるのが嫌いな真面目な人間の習性として、「報告・連絡・相談しないと間違う可能性があると薄々気付いていても、1人で進めて危険を先延ばしする方を選んでしまう」というのがあるんだよな。真面目故に中断出来ず、叱責が嫌な故に確認出来ず、見えてる地雷に向けて歩を進めるしかなくなるというな
「自分が何をしたいか分からない」人間は、往々にして挫折/抑圧経験によって「調子のると痛い目を見る」事が骨身に染みてるので、何がやりたいか考えると「何かをやる事による軋轢に苦しむ自分の姿」が同時に思い浮かぶんだよな。結果、望むこと自体がストレスになり「楽したい」以外無くなるというな
自己肯定感の低いコミュ障特有のコンプレックスとして、「親しい人間に親しい人間が出来たり、他の人間と親しくするのを素直に喜べない」というのがある気するんだよな。嫉妬や独占欲もあるけど、それ以上に「もう自分とは疎遠になってしまうのでは?」と不安に襲われ、色々モヤモヤしてしまうというな
ADHDの先延ばし対策は「大きなタスクを複数の小さなタスクに分割して心理的抵抗を和らげる」のがお勧めな。例えば勉強する気が起きない場合は「勉強を終わらせる」ではなく、「N問だけ解く/N分だけ読む」と思って手をつける。そして始める事さえ出来れば、作業興奮で無事にタスクをこなせるというな。
人間関係が乏しい人間は、好意的な人間に対して過剰/急に距離を詰め過ぎて、関係を破綻させてしまいがちなんだけど、この原因は「人間関係が乏しい故に複数の人間から得られるだけの情/役割を、人間1人に全て求めざるを得ない」事にあるんだよな。健全な人間関係を築く為の健全な人間関係がないという
ADHDの人間、遊びの予定を立ててる/結ぶ時は凄く乗り気だし、遊んでる最中もノリノリなんだけど、家から出る前だけは「嫌なわけじゃないし、むしろ好ましいが、それはそれとして風呂に入る前のような謎の重力が発生してる」と億劫になってしまい、結果として遅刻してしまうパターンが多い気がするな。
自己肯定感の低い人間は、他人と遊んだりすると当然に友情を感じるわけだけど、世界に対する不信感から「相手は自分より親しい人間が沢山いるし、自分のそれは温度差激しい独りよがりでは?」と考えてしまい、結果的に友達と思ってる人間がいても「友達はいない」と答えるしかなくなってしまうというな
陰キャにとって自宅待機/外出自粛は何も辛くないどころか、むしろ快適なんだけど、この快適さに慣れきった状態で「じゃあ明日から通常通り通勤通学して」と言われた結果、急な厳しい変化に心身が戸惑って5月病や夏休み明けのオタク大学生の如く、ドロップアウトする人間が沢山出そうな気がするんだよな
往々にして「大人しくて良い子」と言われる人間は、「嫌な事を拒否すると面倒な事になりそうだから多少嫌でも我慢する」という面倒臭がり人間なので、いざ堪忍袋の緒が切れると面倒臭がり反転して「ここで遺恨を断ち切り、面倒を引き摺らないようにしなければ!」となって物凄いキレ方をするというな。
初対面は相手と上手くコミュニケーション出来るのに、日を追う毎に気まずくなる人間あるある ・年下/同年齢にも敬語を使う ・年上相手の方が気楽かつ、相手にも気に入られやすい ・他人にやたら気を遣ってるのに空気が読めない ・愛想笑いや物腰だけは丁寧 ・聞き逃しても聞き返せず適当な返事をする
小さい時に虐待やイジメを受ける事の何がヤバイって、人間関係の怯え癖が出来る事なんだよな。「調子にのると痛い目を見る」という恐怖で、自我を見せられなくなり、対人関係自体を忌避するようになってしまう。結果、人間関係から安心感が失われていき、人間と接するだけで消耗するようになるというな
ADHDが先延ばしにしやすいタスクは、雑に言えば「やる事の種類が多い」「時間がかかる」といった特徴があるんだよな。そして「風呂」というタスクは「脱衣→シャワー→洗体→入浴→体を拭く→着衣」とやる事が多いあげく、その時間は1切他の事が出来なくなるので、先延ばしされやすさが半端ないという
ADHDの物欲/刺激欲を最も満足させる方法は、割とマジで「掃除すること」だと思っていて、自分の場合は掃除すると「失くなってなかったんだ!」「この本/ゲーム超面白い!」「そういえば持ってた!使ってみよう!」とワクワクが止まらず時間があっという間に過ぎるんだよな。尚、部屋は奇麗にならない。
自己肯定感低い人間の致命的なバグとして、「目先の安定の為に安定を削り取る」というのがあるんだよな。例えば友人/恋人などが出来ても、「本当は自分の事どう思ってるか?」と過剰な不安を感じ、問い詰めや試し行為をしてしまう。安心を求めるあまり、石橋を何度も叩き続けて疲労損傷させるというな
明らかに何かある人間に対して「大丈夫?」と聞いた時に返ってくる「大丈夫です」という言葉は、「私は貴方や周囲に対して弱みを晒せるほど安心出来てません」の言い換えなんだよな。相手や周囲に対して援助希求した際の失望/叱責/馬鹿にされるリスクが、1人で苦しむリスクより高くなってるというな。
「他人を変えようとするな、自分を変えろ!」と言う人間はコチラを変えようとしてるわけだし、「配られたカードで勝負するしかない」と言う人間は大体カードに恵まれた側だし、この手の正論は持つ側が振り翳すと、「恵まれない人間は反抗せず黙って☓ね!」という抑圧にしかならない地獄があるんだよな
半分俺の自己分析だけど、真面目な人間の真面目さの大部分は「面倒臭い」に支えられているんだよな。規則を破るとバレた時に面倒だし、他人の言う事に異を唱えたら衝突が発生して面倒だし、会社をサボッたら翌日の仕事遅れや気不味さで面倒だし…換言すれば真面目は「最も楽でいられる」手段だというな
自己肯定感の低い人間は様々な経験から「自分は助けられず同情もされない」と学習してるので、困難な時でも諦観や拒絶の恐怖から1人で抱え込んでしまうんだよな。それ故に「なんで言わないの?」「助け求めるの下手過ぎ」と詰められると、「やはり自分は救われないんだ」と更に学習してしまうというな
小さい頃は「叱責は期待の裏返し!怒ってる人間は貴方を大事に思ってるからこそ、結構なエネルギーを消費して怒ってる!」みたいな言論に1定の正しさを感じてたけど、Twitterで「人間は純粋に怒りたい生物であるし、怒るのは純粋に娯楽たり得る」事が完全に可視化された結果、何だか微妙になってきたな
嫌な事が起きると、それが頭に引っ掛かり続けて何も手につかなくなり、心あらずのまま逃避行動でスマホをダラダラ見てる内に深夜になって睡眠時間が削られ、次の日もそれを原因とする不調で嫌な事態を招き…みたいな負のスパイラル、深刻になるとデフォルト化して悪循環に気付く事さえ出来なくなるな。
TwitterやLineの返信が出来なくなる時って、忙し過ぎて時間がないというより「何か他の事をやれるだけの余剰エネルギーがない」状態なんだよな。時間や体力的には確認するだけの空きはあるけど、精神のスペースは空きがなく埋まっていて、再起動かけない限りメモリ不足が解消されなくなってるというな
自己肯定感の低いコミュ障が陥りがちなのが「友達依存恐怖症」で、親しい人間が出来ると「自分は馴れ馴れしくないか?」と常に自問するようになるんだよな。相手の事は大好きだが、それ故に「相手にとって自分はそこまで…」と思い悩み、変な距離感調整かけて逆に関係をギクシャクさせてしまうというな
ADHDの人間の「話は変わるけど」は本当に話変わるし、ADHDの人間の「今、思い付いたことだけど」は本当に今思い付いたことなので、この2つが合致した結果、ADHD同士の会話は無限に話題が生まれ不規則に飛ぶので、相手に気を遣い合わせるタイプの人間がその場では逆にオロオロと浮き気味になるというな
「苦労してなさそう」と言われる人間、大体は「苦労し過ぎた事によって尊厳や感情が摩耗した」パターンな気がするんだよな。幼少期から抑圧や虐めを受け過ぎた結果、「自分の意思は尊重されないし努力は報われない」を過学習し、傍目には「意思が弱く怠惰な甘やかされ人間」と映るようになったというな