Twitter等のSNSで騒ぎ回れるメンヘラ/陰キャは実のところ「上澄み」で、ガチで闇の者は底辺やクズ自慢でキャッキャしてる場にすら馴染めず、他者の関心も引けず「誰からも相手にされない」という形で封殺されているんだよな。往々にして自☓者が☓んでから騒がれるのも、つまりそういう事だというな。
ADHD人間、往々にして締切ギリギリに過集中等で1気にタスクを終わらせられる事が多いんだけど、その時の凄まじいドーパミンと成功体験で条件付けが成立してしまいがちなんだよな。結果、先延ばし癖が悪化して平時はタスクに全く着手出来ない「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよ」になりがちというな。
自己肯定感の低いコミュ障、人間関係のKPIが「他者から嫌われないこと」しかないので、逆説的に全ての会話がミスの許されない試験になってしまうんだよな。結果、人間関係やること自体に怯えを覚えたり疲れたりしてしまい、「表面上は取り繕って極力他者との接触を避ける」が習慣化してしまうというな
発達障害人間、往々にして人間関係は完璧主義者である事が多いんだけど、それは理想が高いというよりも「何が地雷になるか分からないので手が抜けない」という不安と自己防衛によるものなんだよな。それ故に少しでも瑕疵が出来ると、全てが終わりに思えて自暴自棄からの関係リセットに走りがちというな
見落とされがちだけど拗れた夫婦関係の最大の被害者って、実は大体子供になるんだよな。現にTwitterには何事にも被害者意識全開で子供に当たり散らす過干渉ママと、そんなママを見て見ぬフリして不干渉を貫き責任から逃れる無関心パパに育てられた結果、社会不適合を発症した人間が溢れてるというな。
喋るタイプのコミュ障、往々にして沈黙に耐えられないが故に1回目の会話ではテンション高めでよく喋るけど、終わった後は「自分五月蝿いし余計な事を…」と脳内大反省会で羞恥に悶えてるし、2回目は「あれ?君、めっちゃ大人しいけどキャラ違くない?」と周囲を戸惑わせるほど喋らなくなるというな。
コミュ障は往々にして「自分の言動がどの程度許されるか分からず怯えてる」事が原因なので、コミュ障を治す為には「自分の言動を許容されて安心感を得る」必要があるんだけど、それは換言すれば他者に迷惑をかける事でもあるので、思い遣りの強い人間ほどコミュ障を脱出出来ないジレンマがあるというな
社会不適合なりに人生サバイバルしてる人間は、しばしば「自分の人生このままで良いの?流されてるだけでは?」と不安に陥るけど、それは本当の☓☓なら絶対陥らない思考でもあるんだよな。良いも悪いも、その不安感はある意味で広い視野や主体性の発露であり、社会不適合人間の成長痛でもあるというな
人間に「何故駄目なのか?」を教えないまま、とにかく「差別は悪」「虐めは悪」とだけ教え込むと、人間は「合理的理由があるから差別ではない」「叩かれる側は酷い人間だから虐めではない」と言い出すようになるというな。
「容姿で人間を選好するのは良くない」という価値観が浸透した結果、不細工は「不細工自体はいいけど不細工に伴う卑屈さが無理」「不細工はいいが身の丈に合わない高望みが嫌だ」「キモいのは加害」と容姿だけでなく内面も「不細工はNG」という結論から逆算して殴られるようになった地獄があるな。
他者に頼ったり助けを求められない人間は、往々にして「自分は相手に何も与えられない」事に悩みがちだけど、実は人間にとって「頼られる」「感謝される」のはそれだけで嬉しいものなんだよな。それ故に人間関係で重要になるのは実は「迷惑をかけない」ではなく「(良い)迷惑のかけ方」だというな。
☓辛い/苦しい経験は人間を成長させる △辛い/苦しい経験で成長出来た人間は「辛い/苦しい経験は人間を成長させる」と語り、それは美談なので持て囃されやすく、駄目になった人間より目立つ ○成功した人間は、その正当化の為に自身が辛い/苦しい経験をしたと思い込み、周囲も公正世界信念で支持する
何か問題が生じた時に「自分が悪いから…」と直ぐ言う人間は責任感が強いというより、「他者を信用出来ず任せられない」場合も多いんだよな。助けて貰えると思えないというよりも、自分が尊重されると思えないので、困難な状況だからこそ「他者に期待して余計な消耗したくない」となってしまうというな
自己肯定感の低い人間、往々にして「自分は☓☓じゃないと存在してはいけない」が根底にあるので、自分はどうしたいか?考える余裕がないし、何か成果を上げることが出来ても達成感はなく、1瞬だけホッとするも直ぐに「また成果を出さなきゃ…」というプレッシャーと不安に苛まされるだけだというな。
陰キャの人間、基本的に人間と関わると消耗してしまうけど、人間である以上は寂しや人恋しさを感じる事はあるので、たまによく「人間と関わると病んでしまうけど人間と関わらなさ過ぎて病みそう」的なジレンマに陥りがちになるというな
安楽死はそれ自体の是非より、「安楽死」という選択肢がある事によって☓☓な人間の排除手段として「何故貴方は☓なないの?」という同調圧力が生じる気がして賛成出来ないんだよな。イジメやパワハラが典型だけど、劣位に置かれた人間から人権を剥奪する理由なんて、いくらでも作る事が可能なわけでな
自己肯定感の低いコミュ障が「自分はコミュ障だ」と気付くと、自分の言動に自信がなくなり「人間関係は全て正解し続けないと詰む」的な強迫観念ができるんだよな。それ故に少しでも失敗すると全て台無し/間違ってたような絶望に陥って人間関係投げ出し、更に「ミス=詰み」が強まる悪循環があるというな
全く弱音を吐かずNOと言わない人間はメンタルが強いというより「心のアウトプット能力が弱い」場合も多いので、「我慢強いから大丈夫だろう」で止まって「何も言えないけど本当は少しキツイ」シグナルを見落とすと、ある日突然何も言わず大きな兆候もなくパタリと倒れてしまうので注意が必要というな。
自己肯定感を高めるには「受容体験を通じて世界に対する信頼感を取り戻す」必要があるんだけど、自己肯定感の低い人間は自分を曝け出せなかったり、逆に多くを求め過ぎたりで受容され難いジレンマがあるんだよな。「服を買いに行く為の服がない」ならぬ「自己肯定感を高める為の自己肯定感がない」問題
ADHDが風呂を面倒に感じるのは「習慣化されてない」という面もあるんだよな。子供の頃は普通に入れていたけど、大人になるにつれて「入る時間を自分で決める」「入らない」的な選択が出来るようになると、風呂が流れ作業からMPを消費して行うタスクと化してしまい、先延ばし癖が発動してしまうというな
ADHDの先延ばし対策は「ちょっとだけ…と思いながらタスクに着手する」のが鉄板なんだけど、ちょっとだけ…のヤル気もでない場合は他のタスクに手をつけるのがお勧めな。このノウハウの肝は心身を動かし作業興奮を引き出す事なので、他のタスクに着手してヤル気が出てから本命に向かう事も可能というな
高学歴社会不適合人間の最大の特徴は「真面目で誠実な面倒臭がり屋」で、面倒臭がりだから能動的に行動しなかったり人目がないとサボるけど、真面目だから進んでサボりはせず罪悪感も抱いていて、サボりがバレても誠実だから誤魔化さずに認め…傍目には何を考えているのか分からない生物に映るというな
不細工が陥りがちな症状として「自分なんかがお洒落していいのか?」病があるんだよな。これは「貴方のそれってお洒落のつもりなのw」と嘲笑され続ける事で発症し、自らの外見を気にすること自体に罪悪感や恥の意識を抱くようになってしまい、ある種のセルフネグレクト状態に陥ってしまうというな。
「☓☓な人間は関係を即切れ」「貴方は相手に合わせる必要はない」的な言説は、あくまで「選べるだけの魅力や人脈がある」人間の話であり、普通/魅力に乏しい人間がそれやり過ぎると「互いに歩み寄り支え合う」という人間の輪から外れてしまい、永遠の孤立が約束されてしまうので注意が必要というな。
空気は読めるのにコミュ障な人間の1番の特徴は「世界に対する罪悪感」で、この手の人間は必要な報告連絡相談でさえ「他者の時間や注意を奪ってしまう」と躊躇するし、嫌な事があっても「自分の方が変なだけかも」と抱え込むしで人間関係の軋轢が蓄積され、ある日突然全てが無理になってしまうというな