人間不信のメンヘラ、往々にして「適度な距離感」が分からないが故に人間関係が依存と孤立の2択になってしまいがちなんだよな。迷惑をかけないよう自立しよう!と思うと誰にも頼れず心を開けず孤立し、他人を信じよう!と思うと自分の強固な人間不信を全否定しようとして相手に依存してしまうというな
インターネットでオタクへの外見ヘイトスピーチとして使われてきた「無表情/幼く見える/髪型が変/口の開き方が不自然/動作がぎこちない」的な悪口の数々が、発達障害人間の形態学的特徴として研究され、学術の分野で「発達障害の診断に使えそう」と言われ始めてるの、もはや笑うしかない現象だというな
霊長類学者ダンバーは「猿は毛繕いで群れを維持するが、人間の群れは大きくなったので代替手段として言語を発達させた」と唱えたが、この理論において「意味のない言語交換=群れ維持に必要な毛繕い」であり、挨拶/雑談/飲み会を嫌がる人間が「何もしてないのに」排除される理由を説明出来ると思われる
ADHDの遅刻要因、大体がギリギリに出ようとして忘れ物・失くし物に気付くのが原因なんだけど、だからといって余裕たっぷりに準備を終えると「まだ時間があるから」とタスクを始めて「あとちょっとだけだから…」と止められなくなってしまい、結局は遅刻しそうな時間になってしまう難しさがあるというな
社会不適合を就活で発症する人間が多い理由、端的に言えば「勉強の大会から社会性の大会に変わる」からなんだよな。特に親から「遊ぶより勉強しろ!」的に社会性を身に着ける機会を奪われてきた人間は、それまでの人生そのものに虚無感を抱き、祈られ続けて自己否定の波に飲み込まれがちになるというな
自己肯定感の低い人間に必要なのは「安心」で、安心感があるからこそ他者に心を開いて受け入れられる事で「私は世界に存在していいだ」と思えるようになるんだよな。しかし心を開くには当然に自己肯定感が必要であり、メンヘラには「自己肯定感を高める為の自己肯定感がない」という地獄があるというな
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間に優しくされると「私は無価値のはずなのに…何故優しくされるの?おかしい!」と認知不協和を起こして不安に陥りがちなんだよな。結果、試し行為で失望されたり☓☓な人間に引っ掛かって酷い目に合ったりし、現実の方を認知に合わせようとしてしまうというな
社会不適合人間が社会適合する最高の方法は「何らかの強みを発揮し、周囲が自分に適合しようとする環境を作る」事なんだよな。これに成功した人間は「☓☓障害は個性を活かせ!」と言いがちだけど、それは完全な生存バイアスで、足元にはそれを夢見朽ちた社会不適合人間の躯が無数に転がってるというな
マナー講師がマナーを教える為には「誰にも知られてないマナー」が必要であり、従ってマナー講師は常にマナーを作り出して(捏造して)いかなきゃいけないわけだけど、コロナの影響でそろそろ「リモートワークで貴方は☓☓していませんか?実はそれマナー違反なんです」が大量発生する気がしているな。
発達障害人間、往々にして叱責され過ぎているが故に報連相が出来なくなっているんだよな。良いも悪いも「ミスは駄目」という思いが強過ぎて、業務上必要な報連相でさえ「もし自分の勘違いだったら…」と不安と罪悪感に病んで、結局は自己判断で進めて叱責され、更に報連相が苦手になってしまうというな
ADHD人間、基本的に衝動性が強く好奇心も旺盛なのでテンション上がってる時は誰のどんな誘いも断らず心底楽しみにするけど、テンションが落ち着いてくると謎の重力が戻ってきて心身が重くなってしまい、当日はしんどくなって準備等を先延ばしたり時間ギリギリまで出発を先延ばしたりしてしまうというな
発達障害人間、幼少期は自己肯定感高くて明るい場合も多いんだよな。しかし段々と物心がつくにつれ周囲からの嘲笑/忌避に気付いたり、直接的被害にあったりして「自分はキモい」と自覚してしまい、傷付きを避ける為に「調子に乗るな!身の程を知れ!」と自分に呪いをかけるようになってしまうというな
人間、人生が上手く行ってる固体は「自分の成功は努力の賜物である」と思いたがるし、努力は報われるという信念(成功体験)があるからこそ実際に努力出来たりするわけだけど、その信念を人生が上手く行かない固体に向けると「貴方は努力不足だから人生失敗してる」と断罪する傲慢さに変わるというな。
毒親に育てられた人間、往々にして「私これ好き/嫌い!貴方もそうでしょ?」式の抑圧を受けてきたが故に、自分の感性が曖昧になっていくんだよな。例えば「好きな食べ物は?」等の何でもないような質問であれ、即答や素直に答える事が出来ずに「何て答えるのが正解か?」と考え込んでしまうというな。
Twitterでは「面倒/不快な人間はドンドン関係を切って合う人間とだけ付き合うべき」的な言説がバズリやすいけど、1方でそれは「弱い/魅力無き人間は“選ばれない”という形で排除される」事を指すんだよな。結果、人間関係に恵まれてる者は更に恵まれ、持たざる者は持つ物まで失う世界が到来するというな
「モテる人間はモテる人間なりの苦しみがあるんだぞ!非モテは想像力が足りない!」的な話、実際にモテるようになった結果、「確かにモテる事による苦しみはあるが非モテのそれとは比べ物にならない」という事が分かり、想像力の足りない人間ほど他人に想像力を要求する法則に気付いてしまったな…。
自己肯定感の低いコミュ障、往々にして赤の他人とはそれなりに話す事が出来るし会話を盛り上げる事も出来るけど、クラスメイト/同僚/ご近所さん等の継続的な人間関係が求められる相手になると、「自分はこれから嫌われるに違いない!」との悲観に襲われて恐怖と緊張で全く話せなくなりがちだというな。
陰キャと陽キャの違い、雑に言えば飲み会雑談打ち上げ等で「肩の力を入れるか?抜くか?」で見分けられるんだよな。陽キャは「世界は私を尊重してくれる」が根幹だから自分の素を出すことに抵抗ないけど、陰キャは「世界は私を排除する」が根幹なので、必死に肩の力を入れて抜いてる演技をするというな
「好きな人間から好意を向けられると気持ち悪くなる」理由の1つに、「自分の本当の姿がバレたら失望&嫌われる」という思い込みがあるんだよな。好きだからこそ、その人間の前では全力で相手の理想を演じるのを止められず、結果「好きだけど1緒にいると辛いし怖い」という事態に陥りがちになるというな
助けを求められない人間は意地を張ってるとかじゃなく、「助けを求めても与えられない」事を学習してるだけなんだよな。その意味で「助けて!」と言える=助けて貰える事は1種の特権であり、それを自覚しないと「助けを求められず☓ぬ人間は無能自己責任」という地獄が生まれるというな #僕さみしいねん
自己肯定感の低い人間が自己肯定感を高めるには「自分が無条件に受け入れる経験」が必要なんだけど、それを得る為には素の自分を曝け出す必要があるので、「自分は無能でも存在していいんだ!」という自己肯定感が無い人間ほど経験を得られなくなる「服を買う為の服がない」型ジレンマがあるというな。
ADHDとTwitterの相性は最悪で、Twitterは衝動のままに頭に浮かんでは消える思考を出力出来るし、ツィートは最大140文字なので飽きる前にサッと読み書き出来るし、確変入ってバズると報酬系が刺激されてドーパミン出るしで、ADHDにとってTwitterは言語を玉にしたパチンコのような中毒性があるというな。
発達障害人間の生き辛さの1つに「症状をやる気や誠意のなさと誤解される」というのがあるんだよな。例えば「大事な物は失くさない」「相手を大切に思ってるなら遅れない」等は真実であり、それでも尚やってしまうから「障害」なんだけど、相手からはどうしても「熱意なき人間」に見えてしまうというな
ADHDの眠気については「体内時計が定型と違う」可能性が指摘されてきたけど、研究の進展で「夕方の概日リズム(夜型)を好むADHDは睡眠時間の違いを考慮しても日中の眠気を感じやすい」まで明らかになってるんだよな。あの眠気はとりあえず「単なる睡眠不足」ではないらしい。 pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31651076/
陰キャと陽キャは「他者への期待値」に凄い差があって、陽キャは「貴方は私を好きになるはず」という姿勢で自他の心の扉を開けるけど、陰キャは過去のアレコレで「期待しなければ傷付かずに済む」が処世術になってるので、そもそも相手に対して心を開くという発想自体が失われてしまっているというな。