非モテの苦しみって「セックス出来ない」こと自体ではなく、「セックス出来るような関係性を得られない」ことなのでポルノや性風俗産業では解決不能なんだよな。非モテが求めてるのは「異性に深く受け入れられた」という成功体験であって、ポルノや性風俗産業で代替可能な性交体験ではないというな。
大人になると時間の流れが早くなると1番感じるのが「昼休み」で、子供の頃は20分の間に校庭に出て遊び回ったり図書室で本を探してたりしたけど、労働すると昼休みが60分あっても昼飯喰って少し目を閉じたりスマホ弄ったりしてる間に即終了。心身の衰えや疲労は時間を薄く引き伸ばさせる気がするな。
自己肯定感低いメンヘラ、往々にして愛されたいと思ってる1方で「私は人間から嫌われる」という強固な世界観を有しているので、「人間から愛され大事にされたくてしかたないが、いざ愛され大事にされると認知不協和で全てひっくり返したり逃亡したくなる」という難儀な状態に陥りがちになるというな。
弱者の苦しみって「誰からも手を差し伸べられない」以外にも、実は「誰からも手を求められない」側面もあるんだよな。役割が得られず誰からも求められないというのは、何より雄弁な「貴方は不要な存在です」というメタメッセージになるので、特に何もなくても/ないからこそ色々病んでしまうというな。
見過ごされがちな過干渉なママの問題点として「KPIが測れない」というのがあるんだよな。例えば勉強でも、ママ自身に勉強経験や学力がないと子供の進捗が分からず、非効率なやり方を強制したり、インシデント対策は「詰める」しかなかったり、唯1測定可能な「勉強時間」を過剰要求してしまうというな。
社会不適合人間が就活で絶対やっちゃ駄目なのが謙虚になること。就活は落ちても具体/客観的に「貴方はここが駄目」と言われないので、謙虚に自分の非を探すと全てが疑わしく思え、他者からの的外れな否定もそれっぽく聞こえてしまい、常に顔を引き攣らせてビクビクしてる哀れな生物が誕生するというな
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして幸せになりたいと思ってるけど、同時に「自分は不幸になる」と強固に認知してるので、幸せになりつつあると認知と現実がズレて不安になってしまうんだよな。結果、試し行為等を幸福が壊れるまで続けてしまい、壊れたのに何処か救われた気になってしまうというな。
たまによく「努力しないし協調性もない弱者を救う必要あるのか?」的なツイが流れるけど、弱者は努力出来ず人間を信じられぬ境遇にあるからこそ弱者という側面があるんだよな。努力が報われる未来がなく、周囲に信用出来る人間がいない環境では、人間は合理的選択として怠惰な人間不信者になるというな
人生が無理な人間、往々にして「何がなんだか分からない内に失敗した」経験が多過ぎて、常に「自分は実はやらかしてないか?」的な不安に苛まされているんだよな。それ故に客観的に見たら自分は悪くなくても、人間と軋轢が生じた瞬間に頭が真っ白になり、口から自動的に「すみません」が出るというな。
@rei10830349 日米の子供を比較したところ、虐められっ子はどちらも陰キャ・運動音痴etcとタイプが決まっており、また違いの寛容度や虐め発生率などに有意な差異は見られなかった academia.edu/33264834/Japan… 『ウチ』への同調,日本人もアメリカ人と変わらず(アッシュの研究) u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press…
「陰キャは優しくされるとチョロい」というのは本当で、普段☓☓な扱いを受けてるから少し優しくされただけでデカい感情が生じてしまうんだけど、その分だけ「期待したり調子に乗ったら傷付くぞ」的な恐怖心が発生し、結果「自分がやがて嫌われること前提に振舞う」という謎の損切りにでがちというな。
最近「チー牛」なる言葉が流行り、なんか色々と揶揄されてますが、海外でもチー牛的な顔付きに関するミームはあり、また実証的な研究も行われてる。。。という話を書きました。 何故、我々は三色チーズ牛丼顔なのか?|rei @rei10830349 #note note.com/beatangel/n/n3…
米国でADHDと慢性疲労症候群と定型健常グループを比較したところ、ADHDの62%が疲労度の基準を満たしており、慢性疲労症候群と同じぐらい気分や自己効力感の低下がみられたという研究。ADHDが興味が薄い/優先度低い事に気を向けられないのは、単純に疲れてる面もあるっぽい? onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.111…
他者に頼るのが苦手な人間は往々にして「自分はいるだけで迷惑になる」という意識があって、傍目から見ればなんてこと無い頼みでも、当人視点では「只でさえ迷惑かけてるのに更に迷惑をかけたら…」と不安と罪悪感でいっぱいであり、他者に頼ること自体をある種の犯罪のように感じてしまってるというな
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして愛や優しさを求めてるんだけど、既に自分の中に「自分は疎まれる」という確固たる認知が出来上がってるので、愛や優しさを与えられても認知不協和で嬉しさよりも不安や罪悪感が先行してプレッシャー/ストレスが蓄積され、最終的に人間関係リセットしがちというな
人間は休んだ方がいい時ほど休めなくなる罠があって、疲労が限界に達すると今現在の辛さと強迫観念で頭がいっぱいになり、作業を中断させうるもの全てに悪意を見出すようになるんだよな。いつもの他者の労いや心配の声に苛つくようになったら、それは他者の悪意ではなく「もう休め」のサインだというな
陰キャの人間、往々にして「自分は嫌われる」という強迫観念を持ってるので他者と関わるだけで罪悪感を抱いてしまうんだよな。それ故に他者との何気ない会話でも感情面では「失敗は絶対に許されない試練」と化すし、終わった後は「あの時の言動は失敗だったかも」と脳内反省会が止まらなくなるというな
「優生思想」というと、1部の異常者の過激な思想のように思われるけど、「こんな男性/女性は異性に近付かないで欲しい!」「年収☓☓万円以下の人間とは結婚出来ない!」もマイルドな優生思想であり、個人個人の選好もマクロでは「誰にも選ばれないという形の排除」として機能しうる側面があるというな
小さい頃に「怒ってはいけない」「偏見や差別はいけない」「まず自分が悪くないか考える」と育てられた人間、その教育方針の是非はともかくとして、社会に出ると☓☓な人間にまで公正に接しようとしたり☓☓されても「自分に非が?」と考え込んでしまうので、色々と損な役回りに陥りがちになるというな
スケジュール管理が苦手な人間は往々にして「自分の好調時の感覚で日数を見積もって失敗する」わけだけど、ここに「1夜漬けでタスクを終わらせた」成功体験が加わると、スケジュール組み立ての失敗に気付いても「まあ最後に頑張ればいいし」と危機感が湧かず、色々と窮地に陥りがちになるというな。
オタクにとってアニメ/漫画/ゲーム/現場参戦は、「それがなければ生きていけない」という意味では生活必需品だし、「生きてるだけで致命傷な辛い現実で負う傷を治療してる」という意味では医療費なので、軽減税率の対象にしてくれなくてもいいから、せめて保険適用の非課税取引にして欲しいな。
ADHDと先延ばし癖の研究によれば、ADHD症状で先延ばしに癖に関連するのは衝動性ではなく不注意とのこと。恐らくADHDの先延ばしは「注意の対象を上手くコントロール出来ない」のが中核で、ADHD独特の注意(集中)力の強さが「あちこちに注意してしまう」という方向で暴走してる pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24992694/
人間が努力する為には「努力は報われる」確信の他に「失敗しても大丈夫」という安心感が必要なんだよな。しかし親や周囲に甘えられなかったり虐められた人間は「失敗=終わり」が脳に叩き込まれ、自分を守る為の努力として「努力しない/意思・願望を持たない/挑戦しない」が習慣化してしまうというな。
ADHDの「衝動性が強い」と「色々な軋轢に曝されやすく色々失敗しやすい」という性質が合わさった結果、ふとした拍子に嫌/恥/悔恨の記憶がフラッシュバックしてきて、今は駄目だと頭では理解してるのに反射的に何かを口走ってしまい、更に嫌/恥/悔恨の記憶が刻み込まれるという地獄が誕生するというな。
陽キャ「休日何してるの?」 陰キャ「(オタク活動してるとか言ったら絶対面倒になるし)特になにも。そちらは休日は何を?」 陽キャ「(言っても分かんないだろうし、こいつと休日関わりたくないし)特に何も」 陰キャ・陽キャ「陰キャ/陽キャは無趣味なんだなぁ」