発達障害は能力の凹凸が激しい特徴がある事は事実だけど、それは必ずしも「1般水準を上回るステータスがある」事を意味しなくて、Twitterやってると少なくとも言語能力には秀でた発達人が目立つから麻痺するけど、実は「全能力が1般水準以下であり、その中で凸凹がある」ケースも珍しくはないというな
陰キャと陽キャの最大の違いは「世界に対する信頼感の有無」で、陽キャは世界に対して「世界は味方で自分を尊重してくれる」という安心感を持っているんだよな。1方陰キャは「世界は敵地」という不信感を抱いており、他者の視線にビクビクしたり物事を悲観したりと常に何かに怯えるようになるというな
問題を起こした人間を強く叱り過ぎると、その人間は問題への対処法や反省ではなく「今目の前で叱ってる人間への対応」ばかり気にするようになるんだよな。結果、叱ってる人間の機嫌をとるべく虚偽の原因や決意を口にしたり、神経や集中力が叱る人間への恐怖で専有されたりで事態は逆に悪化するというな
他者に虐められたり抑圧された人間は空気を読むのが上手くなるどころか、下手になる傾向があるんだよな。確かに他者の悪意には敏感になるけど、それ故に頭の中が直ぐ恐怖と悲観でいっぱいになり、何も考えられなくなってしまう。結果「繊細で周囲を気遣うのに鈍感」という悲しい生物が誕生するというな
先延ばし癖のある人間がダラダラしてるのを見て「時間がある」「寛いでる」と判断するのは早計で、ギリギリで焦ってるからこそダラダラしか出来ない場合も多いんだよな。先延ばし癖のある人間、大体は時間切れによる精神不安を落ち着かせる為に時間を削って好きな事をしてしまう自爆装置があるというな
発達障害人間に限らず、社会不適合人間全般が「幼い」と言われがちなのは、偏見とは別に「☓☓な経験により時が止まってしまってる」的な事情も大きい気がするんだよな。人間は☓☓な経験で精神が躓くと、再び歩き出せるようになるまで時間がかかるけど、ある種の人間には常時それが起こってるというな
コミュニケーションは相対的に地位が低い方が相手に気遣いしなきゃいけないし、ミスが許されにくいし、同調圧力も強くなるわけだけど、この原理に「コミュニケーション能力が高い人間ほど地位を得やすい」社会が合わさると、「コミュ障ほど厳しくコミュ力を要求される」という地獄が誕生するというな。
Twitter、「嫌な人間や益の無い人間はドンドン切り捨てていこう!」的な言説と、「人に見返りを求めず親切にするのは当然!」的な言説が同時にバズりやすいけど、その2つを合わせた結果「自分は他者に奉仕する気は1切ないが他者は自分に奉仕すべき」と皆が思うという最悪の無縁地獄が誕生したというな
自己肯定感の低い人間、自分の存在自体に罪悪感を抱いてるので「相手に不快・迷惑を与えてはいけない」という思いが強過ぎるんだよな。結果、言動がギクシャクして自己嫌悪に陥ったり、相手に粗末に扱われても「自分が悪い?」と考えたりしたりで、人間と関わること自体がリスクと化してしまうというな
過干渉なママ、往々にして自他の区別がつかず子供に「そんな格好じゃ☓☓でしょ!」「そんな人間と付き合うのは嫌でしょ!」等と自己との同1化を強制して違いを拒否するので、段々と子供の脳には自我を主張する=苦痛という図式が刷り込まれ、最終的に自分の意思や願望を持てない生物が誕生するというな
弱者男性問題、既に欧米デハー「男性である苦しみから逃れる為に性転換する」までフェーズが進んでるんだよな。あるインセルが性転換した結果、理解のある彼くんがポップした事件で「Trannymaxxing」という言葉が生まれ、その後も成功者が続出したのもあり、欧米では結構なブームになってるというな。
「遊びではなく仕事なんだから全力でやれ!」と言うけど、むしろ仕事は仕事だからこそビジネスマインドで「経済的合理性を意識して出力を適度に調整する」必要があるんだよな。1方で趣味に関しては最初からある意味で経済的合理性を度外視してる営為なので、出力が全開になるのは当然の現象だというな
自立とは依存しない事ではなく、依存先を増やして多くに薄く依存する事で「自分は特定の何か1つに依存してない」と感じられる事なので、甘えるな!と叩かれ続けた人間は甘え方=頼り方が分からない&人間不信になり、依存先を増やせず何でも1人で抱え込み蹲る事しか出来ない社会不適合人間になるというな
オタク趣味やインターネットは社会で窒息しそうな社会不適合人間にとっては、魚が息する為に必要な水のような存在なんだけど、1部の社会適合人間には「ずっと水の中にいたら溺れたり窒息したりしてしまう!早く出してあげないと!」みたいな感覚があるで、いつも悲しいすれ違いが起きてしまうというな
恋愛を就活に例える地獄話があるけど、逆に就活を恋愛に例えても、好きでもない異性に呼び出されて「自分の何処が好きなの?」「他の子にも同じこと言ってない?」「貴方の良いとこは何?」とメンヘラムーブされたあげく、1方的に「ごめん無理。良い事があるといいね」と振られる地獄話になるというな
人間不信に陥った人間は「嫌われる」よりも「優しくされる」方が居心地が悪くなってしまうんだよな。優しくされても「自分は何も見返りを与えられない」という罪悪感に加え、「何か裏がある?」「やがて失望される」という不安が渦巻き、むしろ他者から疎まれる方が落ち着くようになってしまうというな
コミュ障は往々にして「自己否定感」が根底にある事が多いんだよな。それ故に他人と関わると「不快感を与えたら/与えてたら…」的な罪悪感に駆られるし、「素の自分は嫌われる」確信から本心は見せず取繕う事しか出来ないので、他者と能動的に関われず自分を出せず、人間関係が出来ては消えるというな
イジメっ子は大体は「人間の気持ちが分からず正義感に乏しい」人間ではなく、むしろ人間の気持ちが分かるからこそ「周囲はコイツを嫌がってる=叩いてもOK」と察して、正義感が強いからこそ「懲らしめてやろう」となるんだよな。良い悪いは別にして、虐めっ子は往々にして仲間思いの人気者だというな。
「過干渉なママと無関係なパパ」というメンヘラ製造家庭、往々にしてママは被害者を自認するんだよな。本人主観では過干渉は思い通りにならず自分を苦しめる子供への防衛措置。それ故にママは過干渉すればするほど「自分は苦しめられてる」思いを強め、パパは逃亡し、子供は社会不適合発症するというな
「貴方を大切に扱ってくれない人間は切り捨ていい」は個人においては最適解なんだけど、みんながそれをやった結果として「誰もが“私を大切にして!”と叫んで大切にしてくれる人間を探しながら、誰もが自分に利が無いとみるや他者を雑に扱ったり容赦なく切り捨てる」という地獄が誕生したというな。
先延ばし癖に関して「先延ばしにすると先延ばしにしたタスクが頭に引っ掛かり続けて精神を消耗させるから早目にやった方が得」と言うのは実際正論なんだけど、先延ばし癖のある人間にとってはタスク着手自体が精神を莫大に消耗させないと出来ない営為なので、どちらにせよ精神はガッツリ逝くというな。
@rei10830349 英国の研究デハー、7〜11歳の間に虐められた経験を持つ人間を7771人を1958年から50年間追跡調査したところ、非イジメられ勢と比べ自殺傾向のオッズ比2.21。また社会的関係の欠如や経済的困難などにも関連していた。虐めは40年間以上、後遺症的なものが残るっぽい ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24743774
叱責に弱い人間、往々にして怒られ過ぎてトラウマ化してるが故に、他者の不機嫌/悪意に敏感になって大袈裟に反応してしまったり、怒られると頭がパニクッて何も言えなくなったりしてしまうんだけど、傍目には「甘やかされてきたから耐性がない」と思われて更に厳しくされてしまう地獄があるというな。
依存は往々にして「辛いのに縋るものがそれしかない」が故に起こるので、依存を止めるには「縋るものを増やし、それぞれに少しづつ辛さを分散させる」のが有効なんだよな。自分もあるソシャゲの課金がヤバくなったので、分散をはかるべく別のソシャゲをインストールした結果、月の課金額が2倍になった
「自分はまだ本気を出してないだけ」を続けていると、ドンドン本気を出す機会を逃してしまうし、その言い訳で「本気を出す場面じゃなかった」と認知してしまうしで、いつしか「本気を出せば出来る」という自認を守る為に本気になれなくなり、最終的に「自分はもう本気を出してこれだけ」になるというな