ADHDが「気になる事があると雑念で頭いっぱいになり他の事に手がつかなくなる」という状態に陥った時は、そのマルチタスクが苦手という性質を利用して「身体を動かしたり声を出したりすれば、その事で頭がいっぱいになる」という方法で雑念を消せたりするんだよな。バグを重ねがけすることでバグを消す
矛盾してるようだけど「トライ&エラー」をやる為に1番必要なのは「成功」なんだよな。過去に困難が身を結んだ経験がある人間は失敗しても「いつかは出来る!」と思えるけど、苦難に押し潰されてきた生物は失敗すると脳内に「直ちに退避せよ!」とアラームが鳴り響く。成功する為の成功がないというな。
コミュ障がコミュニケーションに失敗すると、それが気になって余計な事を言ったり力み過ぎてしまい、そのギクシャク感が自分でも分かるから気になって余計な事を言ったり力み過ぎてしまい、その不自然感が自分でも。。。的なコミュ障スパイラルに陥るので、コミュ障の残機は実質的に1しかないというな
ADHDのワーキングメモリーは改善するより解放する方が簡単で、「やる事多過ぎ!病む!」とメモリ不足になった場合は、課題を書き出す等の「思考のアウトプット」すれば、その過程で整理ついたり視覚情報で全体像が掴めたりで「思ってるほど大した事ではない」のが分かり、フリーズ解除されるというな。
「大学教育は落ちこぼれを切り捨てる。何故なら大学出たら放り込まれる社会はそういう場所だから。優しくするのは義務教育まで」という言説、ナチュラルに中卒高卒者を「人間」扱いしてないし、日本の大学進学率は2020年54.4%=半分は非大卒という事実が無視されてるしで、色々と物凄い分断を感じるな
過干渉なママ、往々にして自身の事を「加害者」ではなく「被害者」と認識するんだよな。というより子供が自分と違う人間である事を理解出来ず、思い通りにならなかったら「私を苦しめようとしている」と解釈し、本人視点では不当な攻撃から防御してるだけなので、過干渉の自覚すらない事も多いというな
メンタルが不安定な人間が予め決めておくべきなのが「限界になったらやる事」で、限界状態だと視野が狭くなり思考も固まるので平時ならしないような見落としをしたり、極端な考えに頭を支配されてしまう。それ故に「美味し物を食べて1旦寝る」的に、緊急時自動回復プログラムを設定しておくというな。
忘れ物やケアレスミスが多い人間に「チェックリストを作れ」というのはオススメ出来ないんだよな。何故ならその手の人間は「確認するという動作」自体を忘れてしまうから。逆にタスクが追加される=気を払うべき対象が増えることで注意力が分散され、余計に酷くなることも決して珍しくはないというな。
☓発達障害人間は叱責に弱く甘やかされて育っている △不器用さや社会性の困難で叱責されまくってきたが故に心身が極度の怯えに染まっており、普通人より他者の悪感情に敏感に反応してしまうので、トラウマも合わさりパニックになりやすい ○常に心身が消耗状態にあるので指先1つでダウンしてしまう
ADHD人間、往々にして衝動性が強いのでイベント/旅行/遊び/趣味の誘いは基本的には断らないけど、いざ準備の段になると先延ばし癖や注意散漫が出て色々しんどくなってしまうので、傍目には「誘った時はめっちゃノリノリだったのに直前になると何か面倒そうにしてる」という謎の生物に映るというな。
メンタルが強い人間って「自己肯定感が高く何を言われても動じない」タイプと、「他者から殴られ過ぎて痛覚が摩耗してる」タイプがいて、後者はメンタルが半ばゾンビ化してて悪態や軽視でしっかりダメージを受けても「もうドン底でそれ以上下がらない」が故に、周囲にはノーダメのように見えるというな
自己肯定感の低い人間が人間関係続けるコツは「モヤモヤはその場で解消する」事で、1度モヤモヤを確認する機会を逸すると「自分が変なだけかも」「確認したら嫌われるかも」と悩み続けてモヤモヤと確認の恐怖が際限無く拡大し、最終的に「相手との関係を絶つ」以外に選択がなくなってしまうというな。
ASDの感覚過敏と凝り性と、ADHDの不注意と興味の対象が移りやすい性質が合わさると、凄く繊細で妙に完璧主義で変なところに拘るけど肝心なところは疎かになっていたり集中出来なかったり目が行き届かなかったりするので、結果的に「神経質なのにミスが多い」という難儀な生物が誕生してしまうというな
「他者と話を合わせる事は出来るけど自身の欲求や本音を言えない」コミュ障がいて、この手のタイプは1見は社交的で気の良い人間に思えるけど、実は「そうじゃなきゃ排外される」と色々我慢してるだけなので、面倒事を押し付け過ぎると何の前触れもなく逃走したりキレたりするので注意が必要というな。
ADHD人間、往々にして締切が迫ると恐怖と絶望感で心身が竦んでタスク遂行出来なくなったり逃避で別の事をしてしまうんだけど、それでいながら常に焦燥と罪悪感に苛まされて多大なストレスを受け続けているので、傍目から見ると不真面目なのに、実は真面目にやるよりも遥かに疲弊してたりしがちというな
オタクは往々にして生活費の浮いた分で趣味を楽しむのではなく、趣味に費やした分の浮きで生活してるので、オタクに対する「趣味の出費を抑えたらマトモな生活が出来るよ」は、1般人に対する「生活を切り詰めれば趣味を楽しめるよ」的なアドバイスとほぼ同義なトンデモ提案だというな。
ASDの「想定通りに物事が進まないと混乱する」とADHDの「衝動的に動いてしまいヤル気の波が激しい」が合体すると、計画通り動きたいのに変な/後でもいい事が分かってるのに気になり過ぎて計画が壊れ、最終的に「どうせ完璧に出来ないなら最初からやらない」という最悪のデッドロックが生まれるというな
自己肯定感の低いコミュ障、人間関係が乏しいので仲の良い友人が出来たら凄く嬉しがるけど、同時に「でも自分よりもっと仲良さそうな人がいるし…」と友人との温度感に怯えてしまい、迷惑に思われないよう変に距離感調整してモヤモヤしたりギクシャクしたりで、友人が出来ては消える傾向にあるというな
元虐められっ子は、その経験から自己防衛の為にバカ丁寧になったり遠慮がちになったりする傾向があるんだけど、そうやって警戒心を顕にする事が「私はイジメられっ子です」というシグナル発信になってしまい、悪意に敏感なのに/だからこそ、人間の悪意に晒されやすくなるという悪循環があるというな。
人間関係ゲームで「1人だけ勘違いして失敗/恥かく」を繰り返すと、人間と仲良くなったり盛り上がり始めると「本当に相手は楽しんでる?無理させてない?面倒と思われてない?」と脳内に警告メッセージがポップアップされるようになり、会話の度に1人で勝手にダメージを受ける仕様が実装されるというな
コミュ障には「初対面の人間と全く喋れない」人間と、「初対面の人間とは1応話せる」人間の2タイプがいて、前者は会う度に距離が縮まって普通に話せるようになっていくけど、後者は始めこそ好感触だが会う度に綻びやスレ違いが出てきて気不味くなり、会えば会うほどに会話がギクシャクしていくというな
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間不信というより「人間のネガティブな部分だけを信じてしまう」状態なんだよな。人間から褒められたり好意を伝えられると嬉しいけど不安になり、人間から悪口や敵意を向けられると「やっぱりそうなんだ」と落ち込むが、同時に何処かホッとしてしまうというな。
コミュ障は人間関係やる毎に「自分は空気読めないし上手く喋れないし気遣えないし…」と落ち込みがちだけど、実はそれこそ「成長」してる証であるんだよな。成長しないコミュ障は人間関係破綻させても「相手がコミュ障だった」と反省出来ない。反省というのは成長しない生物には無縁の概念だというな。
他人に優しくするには、まず「自分は他者に受け入れて貰える」という世界に対する信頼感が必要になるんだよな。これが無いと自己中云々以前に「他者にとって自分と関わりになること自体が迷惑」的な観念を抱いてしまい、他者への優しさ思い遣りとして「困っていても助けない」選択をしてしまうというな
ADHD人間が「タスク遂行中だけど直ぐ終わりそうな別のタスクを先にやろう」という発想で遂行中のタスクに保留をかけた結果、次々に気になるタスクが湧いてきて、もはや最初は何をする気だったか忘れてしまう現象、個人的には「インターネットで調べ物をするとタブ数が無限に増える法則」と呼んでるな。