陰キャの人間、往々にして小中高は仲の良い友達がそれなりにいるケースも珍しくないんだよな。しかし陰キャ故に受動的な人間関係維持は出来ても「定期的に/自分から連絡する」的な積極的人間関係構築&維持がメチャクチャ苦手なので、環境や生活圏が変わる度に人間関係が出来ては消えていくというな。
「何もしてないのに休日が終わった」を積み重ねて「何もしてないのに1年が終わった」になってくし、「何もしてないのに1年が終わった」を積み重ねて「何もしてないのに人生が終わった」になってくというな。
コミュ障が人間と会話した後で「あれは変だった?あの言い方は不適切?」的な脳内反省会やるのは、「自分はデフォだと嫌われるから完璧に取繕わないと」的な自己肯定感の低さによるものなんだよな。それ故に1般人が気にしないような些細なミスであれ、それでボロが出て全て駄目になる気になるというな
「メンヘラは筋肉トレーニングすればなんとかなる」という言説を覆す、「筋トレマンはメンヘラになりやすい」という研究。米国で18〜32歳の男性2,460人を対象にした調査によれば、筋肉増加への希望/関心が高いほど抑うつ症状や暴飲の確率が高くなる事が確認されたとのこと…。 onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.100…
コミュ障が練習で治るのは本当だけど、正確には「健常者的な会話を観測・蓄積・分析してパターンを覚え自身の言動をそれに沿わせる」事が出来るようになるだけなので、コミュニケーションが楽になるわけではなく、親密になる=非テンプレートなやり取りが増えるにつれて逆に話し辛くなってくというな。
TwitterはADHD人間にとって常にTLという形で新刺激に曝され、無限に発生する思い付きを衝動のままにアウトプット出来て、更には「バズ」という短期報酬が吊り下げられてるパチンコSNSであり、1般人のN倍はコミットしてしまう為、本来少数派のはずのADHDが異様に目立つ異様な空間が出来上がるというな。
発達障害人間の就労、往々にして最初は緊張感と真面目さが噛み合って「真面目でしっかりしてる」と好評価を得やすいけど、段々慣れてくるとADHD由来の不注意とASD由来の「段取りが1つでも崩れると混乱する」が噛み合い始めてミス激増し、それに焦燥感を抱いて更にミスが…的な悪循環に陥りがちというな
ADHDのタスク管理のバグとして、「タスクの順番を最適化しても"何か思い付いてしまう"と進行に著しい支障をきたす」というのがあるんだよな。脳の何処かが思い付きを「最優先処理だ!」と叫ぶので、それに耐えたとしても「頭に叫びが木霊し続けてメモリが占有されてしまう」事態に陥りがちというな。
ADHDの紛失物対策  ・野口悠紀雄法 普段使う物/大事な物は1箇所にまとめて収納し、探す場所を1つに限定する  ・ダブル法 持ってくのを忘れやすい物は会社/学校の引き出しに予備を入れておく ・スマート法 BluetoothやGPSによりスマホで場所を確認出来るタグを活用する。「スマートタグ」で検索
コミュ障の人間、往々にして過去のアレコレにより「自分は他人に不快感を与える存在だ」という思いがあるので、誰も気にしてない事を気にしたり、些細な失敗でドン底まで落ち込んでしまったり、病的に完璧主義を志向するので、傍目には「自己評価が低いのに自意識過剰」という矛盾生物に映るというな。
Twitterやってると感覚が狂いがちだけど、日本における大学進学率は50%程度で、年収中央値は360万円程度で、発達障害人間は48万人程度なんだよな。良い悪いは別にして、Twitterは基本的に「Twitterに時間を費やしてツィートしまくるようなある種極端な人間の声が支配的になる」構造にあるというな。
メンヘラが人間関係を壊す原因は大体「依存」なんだけど、その裏には「人間関係が乏しい/心を開ける人間がいないが故に1人に過剰な期待してしまう」構造があるんだよな。他に信頼出来る人間がいないが故に信頼出来る人間が出来ると心のダムが決壊し、あれもこれもと1人に全てを要求してしまうというな
弱者から這い上がった人間は弱者に優しいとは限らなくて、弱者から抜け出す為に多大な苦痛を味わったからこそ、それをしない人間に対して「努力しろ!自己責任だ!自分は出来た!」と苛立ちを覚えてしまうんだよな。痛みを知るからこそ、不公平感&自己正当化で他者にも痛みを強要してしまうというな。
ドレミの歌、「シは幸せよ」のシを「死」と解釈すると、「ミはみんなのミ」「ファはファイトのファ」「ソはアオイソラ」辺りの歌詞が急に意味深なものに思えてくるな。
ADHDをはじめとした発達障害について「得意・不得意の差が大きい」こと自体は確かなんだけど、必ずしも「得意な事は定型人間以上/並に出来る」とは限らなくて、「全てが定型発達基準では平均以下だがその中でも比較的マシ(得意)なのはある」的なケースも決して珍しくはないという地獄があるというな
ADHDは「マルチタスクが苦手」「思い付いた事に注意を専有されてしまう」みたいな特徴があるけど、これは嫌な事をする時に「Twitter見ながら/菓子喰いながらする=マルチタスク化で恐怖心が薄れる」「その後に好きな事をやれば即暗い気分から抜け出せる」みたいな形で、利用することが出来るというな。
陰キャの集まりであったTwitterが最近は「挨拶や礼儀は大事」「飲み会等の社交は参加すべき」等、陽キャのやってる営為の大事さに気付いて馬鹿にするのを止めつつある光景、それ自体はとても良い事なんだけど、この現象と「発達障害の精神年齢=実年齢×0.6」との関連をどうしても考えてしまうというな…
ADHD人間、往々にして腰が重くてタスクを先延ばしがちなので、出掛ける前に「さぁそろそろ腰を上げて出掛けるぞ!」とヤル気スイッチが入ると、「あとn分ある。ちょっとだけタスクに手をつけてみるか」とヤル気を持て余してしまい、ヤル気暴走して「ちょっとだけ」が止まらず予定が崩壊しがちというな
発達障害人間、割と人前では明るく振舞うし会話もそれなりに盛り上げられるケースが少なくないんだけど、往々にしてその手のタイプは無理にテンション上げたり、必死でそれっぽい人間に擬態してるだけなので、家に着いた瞬間に電池が切れて動かなくなり、そのままn時間はグッタリしてるというな。
「オタクは剣道柔道水泳陸上部に多い」という話と「発達障害人間は集団競技及び球技が苦手」という話の関連性は、「卓球部にはオタクが多い」で反論可能なように思えるけど、実は卓球は前々から発達障害と相性の良い運動として知られてて、専門の区分があったり療法として研究されてたりするというな。
発達障害の人間達、自分の観測範囲だと慢性的に不調を抱えてるケースが多いんだけど、当人達もそれを自覚してるからこそ常に焦燥や劣等に苛まされているので、少し復調すると「今までの遅れを取り戻すんだ!」と無理を重ねてしまい、結局また元の不調に戻ってしまうケースがあまりに多い気がするな。
小さい頃に「真面目な良い子」と呼ばれた社会不適合人間、往々にして不真面目になる事に病的な罪悪感を抱いているんだよな。それ故に少しでもレールから外れると「もう自分は駄目」と絶望で動けなくなってしまう。傍からは努力せず楽な方に逃げてるように見えるのに、本人的には全く楽じゃないというな
ASDの完璧主義とADHDの先延ばし癖が合わさると期限ギリギリまで焦燥感に苦しみながらもタスクを放置するうえに、いざ着手したらしたで妙なところが気になったり拘ったり過集中が暴発したりで時間配分を狂わせてしまい、凄く心身を消耗してるにも関わらず微妙な成果しか出せない地獄が生まれるというな
「発達障害かもしれないが違ったら只の無能人間になるから怖い」というの、現代社会で無能認定が如何に恐れられているかの証なんだよな。当然に無能=悪なわけではないけど、良い悪いは別にして「付き合う人間を自由に選べる」社会だと、無能は「誰からも選ばれない」という形で排外されるというな。
先延ばし人間によくある「ちょっとだけと思ってTwitter等をやると止まらなくなる」現象は、「人間は作業をするとヤル気や集中力が湧いてくる」という作業興奮が原因だけど、これを逆手に取れば「嫌/面倒なタスクにちょっとだけ…と心理的ハードルを下げて着手する」というライフハックになるというな。