コミュ障は往々にして「自分から相手にプラスを与えられない」からこそ「相手の感情にマイナスを与えない振る舞い」は得意だし、「優しさ」や「真面目さ」として評価もされやすいけど、それしか出来ないのでいつまで経っても距離が縮まらないし、誰かと親しくなればなるほどボロが出てしまうというな。
隠れコミュ障の特徴は「自分から話し掛けない」ことで、この手の生物は話しかけられたら応じるし、そこそこ盛り上げる事も出来るけど、根本に「時間を消費させる(奪う)罪悪感」があるんだよな。それ故に、人間と楽しそうに話してる時でも内心は「相手に価値を与えないと!」と重圧を感じてるというな
ADHDが速やかに入眠する為のライフハックとして、個人的にオススメしたいのが「布団/ベッドは睡眠or性の為のみに使い、タスク遂行や調べ物や娯楽の場として使用しない」こと。これを徹底しないと布団でダラダラする癖がついてしまい、寝る時になっても「あと少しだけ…」が暴発してしまいがちというな
ADHDの「計画を建てたり計画通りに行動するのが苦手」とASDの「臨機応変な対応や切替が苦手」が悪魔合体すると、「時間ギリギリで本人も自覚していてメッチャ焦ってるのに、どうしても“いつもの”ルーチンを始めてしまい焦燥感や罪悪感に焼かれながらも寛いでしまう」という地獄が生まれるというな
社会不適合人間、往々にして自分が泣いたり怒ったりしても全く感情を尊重されず、逆に揶揄されたりしてきたので、感情を表に出さなくなるんだよな。最終的には自尊が磨り減って自分の感情を表に出すこと自体に恐怖するようになり、喜怒哀楽の感情表現が全て「曖昧に笑ってやり過ごす」と化すというな。
「オタクのまま結婚等せず30超えてしまった!」と嘆けるオタクはまだ上澄みで、本当に××な層は労働や加齢等で徐々にオタクコンテンツに触れる時間が少なくなっていき、オタクやるのにしんどさを感じ始めるも1般社会には関心持てず馴染めず、最終的には社会性に困難を抱えた無趣味生物と化すというな。
社会不適合人間、往々にして幼少期から怒られる経験が多かった為、相手に非があっても相手に感情出されると「謝らなきゃ!」的な強迫観念に襲われるし、心身に叩き込まれた無力感で曖昧に笑ってやり過ごす癖がついてるしで、怒るべき場でも怒れずに、後で何度も悔しさを反芻する羽目に陥りがちというな
発達障害人間の労働、往々にして段々とボロが目立つようになるから周囲は「真面目だと思ってたが実は適当/サボり人間だった」と解釈するけど、本人的には手を抜くどころか「ヤル事や要求水準が増えて頭がパンクしてきたし緊張と焦燥感で冷静になれない」と必死で頑張ってる悲劇が生じがちな気がするな
発達障害人間の見落とされがちな生き辛さの1つに「手/気の抜き方が分からない」があるんだよな。発達障害人間は往々にして、限界まで気を張り完璧に仕事や人間関係やるから最初は好印象だけど、「ホドホド」が出来ないので日を追う毎に無理が祟りボロが出て、第1印象詐欺と言われる羽目になるというな
助けを求めるのに必要なのは「黙っていても助けられた経験」で、この経験により「自分は迷惑かけても存在していい」的な世界への信頼感が生まれる。この信頼感がないと周囲が敵に見えたり「迷惑かけたら存在許されなくなる」恐怖で、助けを求めるより自分1人で抱え込む方がマシになってしまうというな
「やれば出来る子」というのは、小さい頃は周囲が強制的にやらせるので人生にあまり支障をきたさないけど、大人になるにつれてやらなければ黙って置いていかれるようになるのに、「追い詰められてもやれば出来た」という成功体験が足枷となってやれなくなり、ズルズルと人生が駄目になってくというな。
ADHD人間の先延ばし癖、「やらなきゃ!」と思えば思うほど罪悪感と焦燥感でMPが削られ、ヤル気を編むだけのMPを捻出出来なくなるので、しばしば「手遅れかもしれないのが怖過ぎて確認/タスク着手を先延ばしてしまう」という傍から見ると完全に意味不明な状況に陥りがちになるというな。
ADHDの人間、ドーパミンが出てる時は凄く活発だしヤル気に満ち満ちているから、基本的に盛り上がってる時の遊び/旅行/イベント遠征の誘いは2つ返事でOKするんだけど、落ち着いてくるにつれて謎の重力に押し潰されていき、最終的には「勿論行きたいんだけど…」とちょっとしんどくなりがちな気がするな
「話してくるコミュ障」は自分の話したい事を1方的に喋りたいタイプ以外に、「相手に気を遣うあまり喋り過ぎてしまう」タイプのコミュ障もいるんだよな。この手の人間は沈黙に耐えられず、相手を楽しませようと力み過ぎて××になってしまうパターンなので、普段は無口でむしろ喋るのを避け気味というな
自己肯定感の低いメンヘラ独特の感覚として「人間から尊重されると自己認識と齟齬が生じて不安になる」というのがあるんだよな。根底で「自分は無価値」と思ってるが故に大切にされると逆に居心地が悪くなり、しばしば「人間関係リセット」を用いて駄目な方向に認知と現実を1致させようとするというな
ADHDの「タスク時間切れが迫って焦燥感ヤバイのにダラダラ先延ばししてしまう状態」は、多分「時間がないという焦燥感を沈める為に時間を使ってしまう」状態であり、思い詰めると逆に重力が増すんだよな。なので、その場合は身体を思いっ切り動かすのがお勧めな。焦燥感を物理的に散らし重力を振り切る
ADHD人間の先延ばしと過集中の両方に効果があるのが「ポモドーロテクニック」で、例えばタイマーをセットして25分作業したら5分休憩をとるようにする。これは過集中対策になるのは勿論、「あのタスクって実は時間あまりかからないんだ」的な気付きによりタスク着手の心理的ハードルが下がるというな。
人生を楽しくするコツは、大体「やりたい事をやれ」に集約されるんだけど、小さい頃に抑圧や虐められたりした生物はやりたい事や願望を考えると自動的に、「周囲の否定的反応と軋轢と面倒さに苦しむ自分の姿」が思い浮かんでしまうので、そういうのを考えること自体が苦痛になってしまってるというな。
「無能を排除する社会」って大体は「有能が報われる社会」ではなく、「上の人間が下の人間を無能という事にして冷遇する社会」になるんだよな。現に1昔前に流行った「成果主義」は上は給料を下げる口実にしか使わないわ、下は成果横取り/偽装するわで社内に不信感が蔓延し例外なく業績悪化したというな
面倒臭がりな人間が覚えてはいけないのが「土壇場での成功体験」で、これがあると怠惰の言い訳になるどころか、「怠けられたうえに間に合った!」という強烈な報酬により、それを積極的に狙いに行くようになるんだよな。ある意味でタスクの先延ばしは、怠惰な人間にとっては完全にギャンブルだというな
マナー講師は基本的に「知らないマナーを教える」のが存在理由なので、実はマナーが広まり皆がマナーを守るようになればなるほど存在理由が消滅してくんだよな。結果、マナー講師は喰う為に「誰も知らないマナー」を次々に作っては広める失礼クリエイターにならざるを得ない悲しい構造があるというな
自己肯定感の低いメンヘラは、「自分は駄目」と強固に思い込んでいるが故に、期待や評価されると認知不協和で居心地悪さを覚えるんだよな。それ故に落ち込みながら駄目な理由を探し、認知不協和を解消しようとするので、傍目には「自分を良く見せようとしないのに自意識過剰」な矛盾生物に映るというな
☓虐めっ子は思い遣りや社会性に欠ける人間である △イジメッ子は社会性があるからこそ叩くのに最適なターゲットを見つけらるし、思い遣りがあるからこそ効果的に相手を傷付ける事が出来る ○虐めっ子が下手こくと、周囲は「アイツは我々と違い思い遣りと社会性に欠ける」認定して切断処理をはかる
ADHDの先延ばし癖は「面倒臭がり」というより、「欲求に忠実」という方が正しいんだよな。それ故にヤりたい事が出来たらパッと行動に移すし面倒にも耐えるけど、「動きたくない」「他の事やりたい」という欲求が支配的な時は、「早くやらなければ」と分かっていても欲求の方を優先してしまうというな。
小さい頃に「逃げるな!逃げ癖つくぞ!」と言われ大人の言う通りに過ごしてきた生物、往々にして逃げ癖の代わりに「周囲に嫌な思いさせて感情ぶつけられるのが嫌過ぎて自分1人で黙って耐え続ける」という我慢癖がついてしまい、逃げるべき場面でも反射的に我慢を選択し、人生に支障きたしがちというな