「配偶者の精神の安定具合」よりも、更にクリティカルに人生に影響を与えるのが「親の精神の安定具合」で、この手のヒステリック/心配性/気分屋の親に愛情たっぷり注がれた生物は、往々にして幼少期は良くても思春~青年期辺りに社会不適合を発症し、Twitterで日々生き辛さを訴える羽目になるというな
パブロフの犬はベルを鳴らしてから餌を与えられ続けた結果、ベルを鳴らしただけで唾液を出すようになったけど、親に抑圧されたり虐められを経験した人間は別に怒られたり詰られる場面でなくても「呼びかけられる」「説明を求められる」だけで条件反射でビクッとし、不必要に色々緊張してしまうというな
ギリキリまで追い詰められると1夜漬けや突貫作業でタスクを終わらせられる人間は、「やれば出来る」というよりも「強烈な焦燥感や危機感によってしか手を動かせない」側面が強いんだよな。この手の人間の特徴は「締切のないタスクは着手出来ない」事で、部屋がいつまでも汚いままだったりするというな
先延ばし癖のあるADHD、往々にして「ギリギリの状態から過集中を発揮して間に合わせられた」という成功体験を持ってるんだけど、その時の達成感や解放感が凄まじ過ぎて脳を焼かれてしまい、「追い詰められ中毒」とでも言うべき、ギリギリ終わらせる事への中毒に陥っているケースも珍しくない気がするな
締切間際の焦燥感で過集中を発動させてタスクを終わらせるタイプのADHDは、仕事で致命的な問題を起こす事は少ないけど、逆に掃除/洗濯/健診などの日常生活タスクには明確な締切りがなく、「まだいいや」と本人が思えれば無限に先延ばし出来るので、日常生活の方で致命的リスクを作りがちな気がするな。
人間不信なメンヘラの人間関係、大体は「この人間は私を分かってくれる!」と心を開ける相手に出会って親密になるも、段々と「この人間を喜ばせたい!」と自分を作るようになっていって息苦しさを覚えるようになり、最終的に心を閉ざして関係は破綻し更に人間不信が強化される悪循環が多い気がするな。
コミュ障の人間は「空気読まずに失礼な言動をとる」タイプと、「自身がコミュ障の自覚があるが故に必死で空気を読んで失礼しないように常に自身の言動にセーブをかける」タイプがいるんだよな。後者は1見コミュ障には見えないが、よく聞くとやたら丁寧語かつ「すみません」と謝罪を口にしがちというな
「人間は苦労した方が強くなる」というのは全くの嘘で、基本的に人間は「何の憂いもなく全力を出せる環境にいた方が沢山経験値入る」ようになるんだよな。良い悪いは別にして、苦労で手に入るのは成長というより「特定の圧に合わせた適応」であり、大体他の環境では不適合起こす凹人間になるというな。
陰キャ、過去のアレコレで「隙を見せると叩かれる」が骨身に染み付いてるので、その警戒心から相手を徹底的に観察&先読みして1対1では疲れはするけど普通に話せたりはするんだよな。しかし(関係の薄い)大人数に囲まれると、誰の気も損ねないように気を回し過ぎて硬直し、完全なる置物と化すというな
Twitterで殴ってもいいとされてる人間/属性に対し、苛烈な言葉を吐きながら「事実だから仕方ない」「嫌なら努力で変えられる」「こちらが不快な思いしてる」と主張する人間達を見てると、「虐めっ子は自分がイジメた事を覚えてない」理由は「そもそも虐めだと思ってないから」だという事がよく分かるな
自己肯定感の低い人間の最大のバグが「周囲から弱い/面倒な人間と思われたくないあまり、弱い/面倒な人間になってしまう」事なんだよな。面倒/弱いと思われたくないあまり、如何に辛くても不本意でも周囲には誤魔化し、結果として問題や軋轢を水面下で大きくさせる最も××な人間になってしまうというな
自己肯定感が低くて人間から褒められた時に「そんな事ないです」的に否定してしまう人間は、代わりに「恐縮です」と言うのがオススメな。相手の言葉/感性否定や嫌味にならないのは勿論、恐縮とは「身に余る賞賛を貰って嬉しいけど思わず縮こまってしまう」的な意味なので心情的にもピッタリだというな
限界まで不満や困り事を抱え込む人間に対して、「もっと早く言え。逆に迷惑だから」と叱責すると、その手のタイプは「やはり人間に迷惑をかけたら怒られる」と学習し、より1人で溜め込むようになるんだよな。安心感がないから相談出来ないのに、怒られると相談の心理的ハードルが更に上昇するというな
自分の幸福より周囲の顔色を伺って動いてしまう人間が自己肯定感を上げるには、「好きな人間」とではなく「1緒にいる時に自分を好きでいられる人間」と付き合うのがコツなんだよな。自分より相手を優先させてしまう事が辛くても止められないのなら、そうしても後悔しない人間と接すればいいというな。
ADHDには「マルチタスクが苦手で複数の事柄に同時に注意を払えない」という傾向を持つ人間が多いけど、これを逆手に取った「イライラや不安に苛まされてる時にテトリス等の常に集中と動作を要求されるゲームをやれば、イライラや不安の方に向いていた注意が消滅する」というライフハックがあるというな
自己肯定感とは「自分は有能で社会から必要とされてる」と自認する事ではなく、「自分は無能で不要かもしれないが、それでも存在していいんだ」と思える事なんだよな。前者は裏を返せば「有能で必要とされなければ存在を許されない」という事なので、高まる自己評価に比例して不安が増してくというな。
インターネットで誹謗中傷してる側の人間達が「誹謗中傷は許せない!」と吹き上がるのは当然で、彼等は正義感が強いからこそ「悪者」に制裁を加えようとしてしまうんだよな。イジメっ子が往々にして虐めた事実を忘れ/認識せず、Facebook等で心の底から「虐め絶対に許さない!」と表明するのと同じ現象
社会不適合を発症しやすい人間は大体「真面目」なんだけど、加えて「自己管理が苦手」という特徴もあるんだよな。これが合わさると「タスクを投げ出したり堂々とはサボらないが、楽/予定通りには遂行出来ず、結局は無理して達成してしまう」的な、「やれば出来る子」型の社会不適合人間になるというな
Twitterの発達障害の人間、往々にして最初から困難を自覚していたわけではなく、周囲との軋轢や遅れによる「えっなんで皆は出来る/知ってるの?」的な違和/焦燥感の積み重ねの末に、色々ボロボロになって気付くパターンが大半なので、低い自己肯定感や虐め被害がデフォルトになってる感があるんだよな
自己肯定感は「私は凄い!」と思うことではなく、「私は凄くないかもだが別にそれでいい」と思えることなので、「貴方みたいな人間より私は優れてるからw」的にマウントする人間は「優れてないと価値ないし他者に笑われる」という価値観に囚われてる時点で、むしろ自己肯定感は滅茶苦茶低い方というな
TwitterはADHD人間にとっては、頭の中に無限に浮かぶ思い付きや衝動を即アウトプット出来るし、TLには常に新刺激(情報)が無限に垂れ流されてくるし、何かの拍子にバズるとカウンターが猛烈に周り始めて報酬系が刺激されるしで、まさにADHDの特性をハメ☓す為に作られたような、最強のSNSというな。
ADHDが風呂に入るのを、嫌なわけではなく、逆に入った方が良いのを理解してるにも関わらず異様に億劫になってしまうの、恐らく「その間は自由に行動出来なくなる」からと思うんだよな。風呂自体ではなく、1旦手を付けるとノンストップでやり切るしかない…というセルフ拘束に抵抗感を抱いてるというな
努力が出来ない人間は、往々にして意思が弱いというよりも「努力が実を結んだ経験が乏しい」事が大半なんだよな。失敗したり成果が得られずとも挫けず、努力を重ねられるのは「必ず報われる」という確信があるから。その確信なき人間に努力を要求するのは、暗闇を指して進ませようとするものだというな
コミュ障で辛いのは「ほどほど」が出来ない事で、喋る時はめっちゃ喋るし仲良い人間相手とはめっちゃ盛り上がるけど、喋らない時は話し掛けられたら何の面白みもない無難な言葉を返す地蔵になるし、仲良くない/知らない人間が1人でもいると何か言いかけようとしてはやめる口パクパク金魚になるというな
自己肯定感の低いメンヘラが抱えがちなのが「好かれ恐怖症」で、自信や自尊が皆無な故に人間に好意を持たれるたら「何か裏がある?」「また期待を裏切ってガッカリさせてしまったら?」と不安に襲われる。それ故に自分に対し雑に/低く見て接する人間には、不快ながらも何処か安心してしまうというな。