社会不適合人間の休日、往々にして「何もせずに1日が終わった」になるんだけど、もっと解像度を上げると起床や風呂や食事や仕事の準備や勉強等の「やらなきゃいけないタスクをやろうとしてダラダラしてる」内に1日が終わってしまう感じなので、ダラダラしていたにも関わらず全く休めた感がないんだよな
と言っても「電車男」が流行った頃のオタク達は「脱ヲタ」と称して恋愛しようとはしたし、最近は「俺オタクだけど普通に彼女いるよ」がイキリでもなんでもなく普通になったしで、今ならワンチャン恋愛が流行る気がしないでもない
童貞を卒業しました。
発達障害人間、「みんなが普通にやってる事」に対して当時は理解が追いつかずキョトンと見守っていたけど、後から徐々に意味/意義が浮かび上がってきて唐突に全て分かってしまい、記憶を反芻しては後悔に苛まされるという「恥の多い生涯を送ってきました」を不可抗力的に体現してしまいがちというな。
陰キャがメタ視点で語りたがるのは、人間に叩かれて叩きこまれた「調子のると痛い目見るから常に第3者視線でストッパーかける」習性と、「辛過ぎて他人事としてしか自分を見れない」からなんだよな。そして、この態度は「当事者意識がない!甘え!」として叩かれやすいので、更に拍車がかかるというな
発達障害人間の「感覚過敏」と「不器用さ」が組み合わさった結果、「メッチャ神経質なのにミスが多く、ミスによって気分が最悪になるほど落ち込んでしまうのに同じミスを繰り返す」という人間社会に参加するだけで致命傷を負う難儀な生物が誕生するというな
陰キャと陽キャの1番の違いは「没頭感」で、陰キャは人間と楽しんでいる時も「自分は楽しいとされる事をしてる」「今の内は正解を続けてる」と、何処か自分を俯瞰し客観性を担保して没頭にセーブかけようとするんだよな。良く言えば冷静だけど、悪く言えば自分に対して常に不信の目を向けてるというな
ADHDは株とか為替とかはやらない方が良いと思ってるんだよな。それは失敗するとか損するとかではなく、「集中力が常時奪われ続けPC/スマホから離れられなくなる」から。自分も1時期仮想通貨やってたけど、勝っても負けても常に相場変動を考え続けてしまい、今から振り返ると完全に☓☓になっていたな。
「何故☓☓したの?」というのは、「☓☓してはならないという規範があるのに、それを破って罪悪感はないの?情状酌量の余地はある?」という意味なので、実は“理由”よりも“反省”の方が求められているんだよな。なので淡々と理由を話したら、再び「だから何故☓☓した?」と怒られる羽目になるというな
色々と意思決定や主張出来ない人間は「挫折や厳しさを知らない」というより、「成功や甘さを知らない」ケースの方が多いんだよな。自身が成功したり援助される経験無き故に「この先には希望がある」と信じれず、失敗や抑圧経験はあるが故に「この先には絶望がある」として何事にも消極的になるというな
ADHD人間の「嫌なタスクを先延ばしにしてしまう」特性と「先延ばしにしてる焦燥感や罪悪感でますます心身が重くなる」が合わさった結果、「手遅れになる/なってる可能性が怖過ぎてタスクの着手や確認が出来ず、手遅れが確定してからようやく動けるようになる」という難儀な生物が誕生するというな。
陰キャが体育を嫌う理由は「禄に身体の動かし方を教えて貰えず出来ないと叱られクラスから冷視された」経験にあるのは間違いないけど、これ実は学校教育全般の問題なんだよな。学校で禄に勉強教えて貰えず出来ないと叱られクラスから冷視され、算数英語等が嫌いになった人間も決して少なくないというな
幼少期に「真面目で良い子」と呼ばれた人間、往々にして責任感が強く1人でコツコツ頑張る性格と評価されがちだが、実態は「人間を信用出来ず弱みを見せられないし任せられないし助けてくれるとも思えない」なので、自分の手だけでは負えない事態が降りかかると、それだけで完全に詰んでしまうというな
不安に弱い人間は「悪い事が起きるかどうか分からない」という状況に耐えられないあまり、しばしば「手遅れになっていたら怖いから無限に確認を先延ばしにする」「何度も試し行為を繰り返して状況を悪化させる」みたいに、不安を自ら「確定」させるような事をしてしまうというバグが発生しがちというな
陰キャが怒られた時にヘラヘラするのは、甘やかされたからではなく、逆に迫害されてきたからなんだよな。からかいや虐めなどの悪意に曝され過ぎた結果、殴りかかられると恐怖で身が竦んでしまうのと同じく、強い圧を感じるとトラウマで脳がパニック状態となり、表情が竦む=ヘラヘラ顔になるというな。
ADHD人間がヤル気を出すコツ ・「後でやろう」という考えを捨て、可能な限りその場でタスクを消化する ・動いてる時にそのままタスクに着手する(ジュース買うついでにゴミを捨てる等) ・不要な物=気が散る要因は作業スペースに置かない ・「ちょっとだけ…」と思って着手する ・Twitterを閉じる
完璧主義の人間、物事には凄い凝るけど少しでも「完璧には出来ない」ことが分かると冷めてしまうし、完璧に出来ない事は避けようとするので、傍から見ると「面倒臭がり屋なのに1度ハマるとガッツリやり込み、そのくせ止める時は些細な理由でさっぱり止める、いい加減な気まぐれ人間」に映るというな。
ADHDの人間にとって「気の進まないタスクに着手する」のは、精神統1や呪文詠唱を必要とする儀式魔術なので、タスクを中断されてしまうと終了後即再スタートとはいかず、再び「焦燥感に苛まされながらダラダラTwitter見たり不要不急な別タスクに手を付ける」儀式からやり直す羽目になりがちだというな。
「本当はこんな事したくないんだけど、あまりに貴方が☓☓だから仕方なく/自身の行き過ぎに気付かずやってしまう。こんな事する自分も苦しいんだ」という論理、人間を攻撃する正当性と被害者ポジションが同時にとれる優れ物なので、過干渉でヒステリックなママや妻にDVする夫などに多大な人気があるな
コミュ障の陰キャの「気心を知れた人間とは物凄く盛り上がる」「1対1だと1応は話せる」「あまり親しくない人間多数と話すと詰む」的な特徴、全て「心理的安全性が保たれてるか」で説明可能なんだよな。陰キャの陰は怯え/羞恥に由来するので、それらの心配が少ない場では陽になる事も珍しくないというな
コミュ障はコミュ障だから人間関係において必要な報告連絡相談を先延ばしてしまうけど、先延ばしてる事が頭に引っ掛かり続けて病んでしまい、しかもタイミング逃して有耶無耶になり何の成果も得られないのに、しっかり疲労感だけは残るという、真面目と不真面目の悪いとこどりな事態に陥りがちというな
自己肯定感の低い人間、基本的にはいつも不全感に苛まされているのだけど、少しでも調子が良くなると「これで遅れを取り戻さなきゃ!」と過剰に張り切るあまり、その理想通りに出来ぬ自分にダメージを受けてしまい、心身の消耗も相まって色々ガタが目立ち始め、結局は元の木阿弥に戻りがちな気がするな
ADHD人間、基本的に物事の優先度は常に「今思い付いたタスク」を1番にしてしまうので、タスク遂行中や大事を控えていても思い付いてしまうと「今すぐやりたい!」「今は駄目!」と感情と理性が大激突を起こして集中力が霧散し、予定が崩壊したあげく全てが中途半端になる現象が割と見られる気がするな
子供の頃は「神童」と呼ばれた社会不適合者は、往々にして「興味の幅が狭く他に気が回らない故に1つに没頭出来る」タイプでもあるんだよな。しかし、突き抜けないと単なる「自分の気が向く事にしかリソース注げない人間」なので、歳を重ねて行動範囲や出来る事が増える度に、粗が目立っていくというな
先延ばし癖のあるADHDが、追い詰められた時に爆発的な集中力を発揮して何とか切り抜けると、その時の達成・安堵感で「ギリギリでも大丈夫だった!最高の成功体験だ!」と脳に叩き込まれてしまい、実際はヤバかったのにも関わらず先延ばし癖が強化され、破滅へのカウントダウンが始まる罠があるというな