「分からないんなら聞けよ」と怒る人間が、そもそも普段から××な態度だったり聞いたら聞いたで怒る場合は、「聞かなくて失敗したら××だけど、聞いても前者より少しマシな××なら、聞かなくて成功する確率に賭けるしかない」という合理性が働き、分からなくても聞かない事が最適解になってしまうというな
「努力しろ!」と詰められた人間がやるのは、往々にして努力そのものではなく「努力してるように見せる取繕い」なんだよな。努力するインセンティブなき環境で詰めても、人間が思うのは「怒られたくない」だけになる。極論、「努力しろ!」しか言わない人間は、努力させる努力を放棄しているというな。
自堕落になる人間の最大の特徴は「真面目」で、真面目だからこそ人生の躓きに対して「ズルしてでも這い上がる」「責任放棄する」といったアクションがとれず、どうにもならない現実に対して「無抵抗に受け入れる」以外の択が無い。真面目な人間は駄目になる時も潔く誠実に駄目人間になってくというな。
陰キャにかけられてる呪いが「人間に対する怯え癖」で、過去に人間から嘲笑/虐め/叱責された経験から、人間の悪意に対し過剰反応してしまうようになるんだよな。しかし、その怯えは悪意人間にとっては「安心の実績があるカモ」というシグナルになるので、人生経験を重ねる毎に呪いは強まってくというな
「社会辛い」と嘆く社会不適合人間は、それなりにサバイブ出来てるように見えても、往々にして「この"それなり"がいつ破綻するか?」的な不安に苛まされてる事が多いんだよな。現状維持に精1杯で不測の事態に対応する余裕や、人生を良くする為の溜めがなく、常にギリギリを強いられ続けてるというな。
「初対面の相手とも話せる陰キャ」と「初対面の相手とは話せない陰キャ」は、実は前者の方が深刻なコミュ障なんだよな。後者は単なる人見知りなので逢瀬を重ねれば徐々に打ち解けられるけど、前者は「心を開けないが故に表面的振舞いは上手くなった」タイプなので何回会っても距離が縮まらないというな
実は陰キャは幼少期は明るく純粋な子だったケースが珍しくないんだよな。しかし成長する中で嘲笑やイジメによって「調子にのると傷付くぞ」と学習してしまい、段々と自分にセーブをかけるようになっていき、最終的にネガティブ思考で自分に自信がなく常に他怯えている陰の生物が誕生してしまうというな
コミュ障が人間関係で病む最大の理由は「確認が出来ない」からで、コミュ障は違和感や嫌な事があっても「自分の方が変かもしれないし、ここで疑問を呈したり拒否すると…」と悩み続けるしかないんだよな。だから限界な時に取れる手が「関係全絶ち」しかなく、定期的に人間関係リセットを起こすというな
頭が回るコミュ障がやりがちなミスとして、「相手の話を遮って要旨や結論を先取りする」というのがあるんだよな。これは会議や議論などの「目的ありきの話」なら正解だけど、雑談などの「話すこと自体が目的」の場合、キャッチボールで相手が投げるのを妨害するようなものなので、最悪の印象を与えがち
いじめっ子ほど絆/仲間/友情を重んじるのは当然の話で、“そっち側”にいたいからこそ集団内の「協調出来ず輪を乱す異分子」を排除/制裁しようとするんだよな。現にTwitterでも、そういうのが大事!と唱える人間ほど、意見の異なる人間に対して苛烈な攻撃を加える傾向にある事が多々観測されるわけでな。
のび太のママ、のび太がテストで悪い点とってきた事に怒りはするものの、ただヒステリックに怒鳴り「勉強しなさい」とだけ言って具体的指示や改善策を提示しないの、今見ると典型的な「低学歴教育ママ=自身があまり勉強してこなかったので学力向上ノウハウが分からない」事案で色々厳しいものがあるな
「今が楽しければ良い!」みたいな価値観は、歳をとるにつれて「1時的に苦しみから逃避出来ればいい!」に変わってくるんだよな。若さという最強資産で見ない振り出来た諸問題が、段々と誤魔化しが効かなくなって苦痛が増える共に楽しみも減り、最終的には苦しいのがデフォルト化してしまうというな。
あまり怒りを出さない人間、寛容だったり器が大きい以外にも「怒るより先に“この人はこういう人か”と諦観が来る」タイプがいて、この手の生物は怒らないからこそ感情抜きで損益計算してるので、怒らないからと雑に扱っていると何も言わずアッサリ関係切ったりフェードアウトするので注意が必要というな
ADHDの気が散る対策 ・ホワイトノイズ法 雑音を意図的に流す事で、周囲の気になる雑音を雑音に埋没させ打ち消す方法。専用機械もあるが、スマホで川/雨音を流すのも有効 ・ホワイトアウト法 作業場からタスクに必要な物以外の全てを放逐する ・動作法 思いっ切り身体を動かし衝動/多動を発散させる
幼少期に毒親や虐めで人間の顔色を伺って先回りして機嫌を取るようになった人間は、コミュ力が身に着いたというより「精神が異様環境により凸凹化した」という方が正しいんだよな。確かに××人間とは噛み合うが、普通の人間相手には抱えた罪悪/恐怖感で常に過剰反応してしまい、色々空回りするというな
怠惰な人間は、怒られるのが嫌だから規則を破らないし、リスクを抱え込みたくないから冒険しないし、人間関係で面倒な思いをしたくないから感じ良く振る舞うので、レールに乗ってる分には順調だけど、レールから外れると逸脱出来ず、リスクをとれず、人間に甘えられないが故に詰み1直線になるというな
コミュ障が会話の後に脳内で「変じゃなかった?」「ああ言えばよかった」的な反省会をやる理由、端的に言えば「会話時は緊張感で思考や視野にデバフがかかってる」からなんだよな。それ故に緊張が解けてくるに従って様々な見落としや失敗に気付いてしまい、何度も悔しさを噛みしめる羽目になるというな
陰キャがコミュ障になる原因は「世界への不信感」なので、幼い頃は普通に明るく友人がいたケースも多いんだよな。しかし成長するにつれ、様々な失敗・虐め・否定体験により「自分は嫌われる」と自覚し、段々と人間に接する事が出来なくなっていき、最終的に正しい接し方が完全に分からなくなるというな
発達障害者、しばしば人生を「上の言う事を素直に聞いて規範を厳守する」という処世術1本槍で攻略しようとするので、就活や恋愛などで「空気の裏を読んで適度に逸脱する」事を要求されると完全に詰んでしまうんだよな。平泳ぎのレースだと思って型を守っていたら、実は最初から自由形の競争だというな
人間は疲労すると、どうしても他人に配慮する余裕がなくなっていくんだけど、所謂「第1印象が良い」人間はそれにより、周囲から逆に「慢心から本性を現してきた」と捉えられたりするんだよな。優しさ故に色々溜め込む人間が、本人的には疲弊しながらも尽くしてるのに、周囲が色々厳しく理由の1つな
まじでこの世の全てのADHDに教えてあげたいんだがフェリシモには全てのADHDのリュックの「あれドコだっけ?」を防ぐ禁断のインナーリュックがある。これが多ポケット+メッシュで色分けされてるのでナニがドコにあるか1発で視覚的に分かるから全てのリュック派のADHDに伝われ! felissimo.co.jp/kraso/gcd47488…
社会不適合人間が「×にたい」と言うと、「どうせ×ぬなら〇〇しろ」「×にたいと言ってたのにウィルスは怖がるのかw」的な事を言われがちだけど、個人的観測だとあれは「生きる気がなくなった」状態なんだよな。×ぬ気というより全てが面倒になった状態なので、追加の負担を抱え込む余力はないというな。
幼少期に「真面目な良い子」と呼ばれた人間は、大体「我慢強い」とも言われがちだけど、あれは「怠惰」とも言い換え可能なんだよな。不満や不服があったとしても、異議を唱えたり反抗する事で発生するであろう周囲との軋轢が面倒で、とりあえず耐えるという形で限界まで問題先送りにしてしまうというな
先延ばし癖のある人間、先延ばしてるタスクの事で頭がいっぱいになって焦燥感に追い立てられ、前向きな気持ちになれず、複雑な思考も出来なくなり、別のタスクに手を付けたりダラダラしてしまうけど、主観的には滅茶苦茶ストレスに苛まされてるので、結果は伴わなくても疲労感だけは人1倍あるというな
学生の時は「俺達は1生キモオタやってるだろうなw」と言ってたオタクも、26歳超えると半数ぐらいが結婚/育児/出世によって順調に「年相応の1般人」になってくけど、それ以外は「10代やりたい!」と青春コンプレックス発症したり、「ママー!」と言い出したりで、むしろ幼児退行してく傾向あるんだよな