人間は老人になって「感性が衰え若者向けコンテンツを受け付けなくなる」というより、正しくは「生涯に渡って当時の思春期頃の感性を持ち続ける」だと思うんだよな。初老のロックも、中年オタクのエヴァも当時は間違いなく「若者向け」だったし、単に嗜好し続ける人間が老いて「老人向け」になるだけと
「助けて」と言えない人間、往々にして「プライドが高く頑固」というよりも環境が「助けを求めるリスクがデカ過ぎて1人で抱え込む方が合理的」になってしまってるんだよな。助けを求めて救われる確率よりも、拒否/無視されたり迷惑がられたりする確率が高過ぎてSOS発信がハイリスクになってしまってる
幼少期に「真面目で良い子」と言われた人間は、往々にして「本当の事が言えなくなる」場合が多いんだよな。周囲から抑圧や否定を受けて迎合してきたが故に、自身の考えや感情に自信が持てず、諦観から表明を避けるようになる。結果、Noと言えず限界まで曖昧な態度を取り続けるコミュ障になるというな。
ADHDの人間、基本的にヤル気の波が大きいうえに衝動的で即断しやすいので、たまによく「ヤル気がある時の自分が決めた予定が、ヤル気の波が底な時に必須タスクと化して今の自分を苦しめる」という事態に陥る羽目になるというな。
コミュ障の落とし穴に「分かってなくても、分かったと言ってしまう」というのがあるんだよな。過去のアレコレで「相手に悪く思われたら終り」が骨身に染みてるあまり、「この程度の事を聞いたら迷惑かもだし、自分の××がバレたら…」と硬直し、危機感に苛まされながらも進み続けるしかなくなるというな
人間は暗い気分になると、頭が強迫観念で埋められて視野が狭くなるけど、それ故に社会不適合者は労働やサークル活動等で1度でも失敗して暗い気分になると、「現況報告せず独断する」「気を利かせたつもりで余計な事する」「些細な事柄に拘る」等の失敗が加速度的に増えていき、破滅が始まるというな。
ADHDの「衝動性の強さ」とASDの「常同性の強さ」が併存すると、傍からは「マニュアル人間なのにフリーダムで、集中力は凄いのに気が散りやすく、安定志向なのに変なところで大胆で、無口なのに喋ると多弁で、マイペースなのに繊細」的に矛盾を抱えまくった面倒で1貫性に乏しい生物に見られがちというな
成人式で派手派手しい格好をしたり遊び回る人間は、実は着物を都合出来る経済力&計画性に加えて、小中高や地元の同級生とも人間関係を構築&継続出来るソーシャルスキルを持ち、それを馬鹿にしてるネット民より遥かに社会適合してるというの、Twitterで可視化された真実の中でも最も残酷なモノの1つだな
真面目な人間は堕落しないわけではないけど「堕落しても楽しめない」という特徴があるんだよな。例えばタスクを放棄する遊ぶ選択をしたとしても、罪悪感を覚えて遊びを純粋に楽しめない。それ故に真面目人間は不真面目人間と同じ営為していても、常に「不真面目にしてるのに何かしんどそう」だというな
陰キャは往々にして人間から叩かれ続けた結果、「自分のどんな言動が殴られを呼ぶか分からない」と自分自身に不信を抱くようになるんだよな。結果、何事にも自分を出さず曖昧な態度・表情で誤魔化す癖がついていく。陰キャのヘラヘラは甘やかされではなく、叩かれ過ぎたが故の変形した自尊心だというな
自己肯定感の低いコミュ障、友達っぽい人間が出来ても「自分は相手に好意を抱いてるが、相手には自分より仲良そうな人間が沢山いるし、もしかしたら凄い温度差があったり迷惑かけてるかも!」と怯えてしまい、変な留保や遠慮を重ねて段々と微妙な距離感になり、終いには疎遠になってしまいがちというな
発達障害者の就労、往々にして最初は過緊張により「真面目で良い子」として好評だけど、段々と不注意/衝動/変な所が気になる特性が出てきてミスが頻発。それが自分でもマズイと分かるから焦って「更に緊張する→心身の疲れが加速→更にボロが出る」の悪循環にハマり、厳しい状況に陥りがちな気がするな
陰キャに対して「陽キャみたくノリよく振る舞え」と言ってくる人間達がいるけど、陰キャの陰たる所以は「世界に対する怯え癖」だから、表面的な振る舞いを真似ても「ギクシャク感」が出て更に痛々しくなるだけなんだよな。そして本人は限界を迎え、結局はより闇深い陰キャに陰ターンするだけというな。
自己肯定感の低い人間は「迷惑じゃないよ」と言われても「他人へ迷惑をかけ疎まれる恐怖」から、迷惑である根拠を探して1人で抱え込む言い訳を作ってしまうんだよな。なのでその場合は「迷惑かけても大丈夫」というのがお勧めな。迷惑を引き受けてもいいほどに相手を大事に思ってるのを伝えるというな
若者の時にロックに嵌まった人間が中高年になってもロックを好む事から分かる通り、人間は加齢により趣味嗜好が老人寄りになるわけではなく「加齢により自ジャンルが老人向けとして扱われるようになる」だけなんだよな。例えば当時斬新だったエヴァもハルヒも今やネット老人会ホイホイになったというな
2次元ではエロゲーで散々セックスしてきたけど、昨日やった初めての3次元セックスは2次元セックスとは全然違った!360度ビュー対応だし、なんかいい匂いするし、触ると温かくて柔らかいし、何より選択肢が無限にあった!エロゲーとは全然違う!よし、これからはセックスもエロゲーも両方やってくぞ!!
人間関係が苦手なADHD、報告連絡相談を行おうとすると「今は迷惑かな?」「こんな感じだとウザがられないかな?」と延々と思い悩んで先延ばし、その間も心に引っ掛かり続けて疲弊するほど伝え方で苦悩しまくるのに、結局は「ギリギリで不器用に伝える」というお粗末なムーブをしてしまうバグがあるな。
コミュ障は距離感を測ったり調整するのが苦手だけど、だからこそ距離感調整が終わってる親しい人間や、逆に距離が離れきってる全く知らない人間とは普通に話せたりするんだよな。鬼門は同僚やクラスメイトといった「顔見知り」で、嫌いじゃないのに苦手意識が半端なく、自然と避けるようになるというな
ADHDの人間、1見暇そうだったり手持ち無沙汰だったりしても、高確率で「必須タスクに着手しようと思って出来ずにダラダラしてしまってる状態」なので、実はメッチャ焦燥感に焼かれているし、下手に他の事すれば折角溜まってきたヤル気が飛散するかもで、本人的にはメッチャ忙しかったりするというな。
先延ばし癖がある人間、往々にして余裕がある時は「早く着手しなければならない!」という罪悪感と焦燥感に苛まされて圧☓状態でスマホを弄るのに、余裕が無くなると「もう手遅れだから」と絶望しながらも心身が軽くなって何処かリラックスした状態でスマホを弄るという不思議な生態がある気がするな。
普段Twitterで「☓にたい」言ってるメンヘラが、台風による危機に晒されると1斉に沈黙するのは「ファッションだから」ではなく、「☓ぬ以外に苦しみから解放される方法/未来がない絶望を“☓にたい”と表現してる」からと思うんだよな。本当に☓にたいわけではないが、それ以外に言語化しようがないと。
オタクにとって「休日は家で1人でゲーム/読書/調べ物する」は、それを楽しみに労働に耐えている側面まである大事な予定なのだけど、1般人にとってそれは「予定が特に無い時の時間潰し」みたいな感覚なので、ナチュラルに「つまり暇なんだな」と思ってしまい、色々悲しい齟齬が生じてしまうというな。
陰キャが物事を「あの人間は実は自分を嫌ってる」みたいに悪く考えるのは、認知の歪みだけではなく、合理性の側面もあるんだよな。小さい頃から散々「良く考えて痛い目を見た」結果、最初から「世界は敵地」として、それ前提に動く方が得という判断基準が出来てしまう。ある種の学習性無力感というな。
ADHDのタスク管理として「タスクを書き出して優先度を整理して最適化しよう」というのがあるけど、衝動性の強いADHDはそれやっても「急に思い付いたタスクが心情的には優先度MAXになってしまう」ので、理性と心情の板挟みで気が散じ続け、折角最適化したタスクが瞬く間に崩壊するというバグがあるな。
メンヘラの恋愛、最初は好きな人間に惜しみない献身を注いで望むものを差し出し続けるけど、その内「相手にとっては自分は代替性ある都合の良い存在ではないか?」と不安になって、今度は相手を敢えて傷つける試し行為をしがちになり、最終的に破局を迎えて逆にホッとするのが黄金パターンな気がするな