「障がい者が頑張って作ったものだから買う」という現状にモヤモヤした私たち。作業量の割に商品が安く売られているのが現実。そこで、魅力的な商品を適正な値段で売りたいと決意し、障がい者就労継続支援事業所に縫製して貰ったものを、百貨店などでハイブランドとして販売することにしたんですよね。
黙って大人しくしている子って、「手のかからない子」と教師から認識され、つい放置されがち。ただ、SOSを表出出来ないという意味では、実は気をつけないといけないんですよね。
「信じて貰えないと思うのですが、実は周りの音が『色と形』で見えてしまうんです。だから、すごく疲れやすくて‥。」と相談されたので、「信じますよ。それは共感覚といって、稀に見られる脳機能の特性です。」と答えたところ、「本当!?誰にも言えなかったから嬉しい。。」と安堵されたんですよね。
「ジーンズって車椅子だと着脱が大変。穿きたいけど大変だから穿かなくなっちゃったんだよ。」という話を聞いた。 モヤモヤした私達は、すぐに当事者からニーズを聞き、とりあえず作ってみたのが「巻きスカート型のジーンズ」でした。 障害の有無や性別に関わらず穿けるジーンズ、いかがでしょうか?
バズにつき宣伝。こうした「障害×ファッション」の魅力を世界に広めるべく、今年9月のパリコレで世界に発表します。 ただ、私達は企業の様に収益性がなく、メンバー4人の自腹の活動。資金がかなり不足しています。もしよければ、拡散またはご支援を・・。宜しくお願いします🙇‍♂️ camp-fire.jp/projects/view/…
スカートを穿いていると、残念ながら未だに心無い事を言われます。車椅子ユーザが穿きやすい機能的なボトムスを追求した結果が「巻きスカートの形」であり、私達はデザインを単に普及させたいだけ。それを古いジェンダー観で阻害されるのは辛いけれど、その先にきっと明るい未来はあると思う。
「車椅子ユーザは、わざわざ段差のある店に行かなくても違う店で買えば良い。」という意見もあるでしょう。単体で見れば大した問題に見えないかもしれない。しかし、塵も積もれば山。やがて大きな生き辛さとなります。そして何より、自分が病気や怪我をした時に生きやすい社会であって欲しいのです。
「ケーキ屋の前に段差があり、入るのを諦めた車椅子ユーザがいたとする。もし貴方が店員で『あの人には障害があるから仕方がない』と思ったとしても別に構わない。でも、スマホで商品の写真を撮って店の前で接客すれば客はケーキを買える。少しの工夫で喜んで貰える方が嬉しくない?」と学生に伝えた。
【皆様に応援のお願い😭】 本日より、WFR🇫🇷クラウドファンディングを開始致しました。 今年の9月27日、パリで車椅子でのファッションショーを必ず成功させます‼️ 金銭が無理な方でも、このツイートに「いいね」「RT」も応援になります。 どうか宜しくお願い致します😭🙇 camp-fire.jp/projects/view/…
「障害の有無や性別に関わらず、誰もが心躍るファッションを世界で流行させる」を目指したパリコレ挑戦。障害があっても当たり前にファッションを楽しめる時代を創るべく、数々の苦難を乗り越え、あと一歩で手が届くところまできました。 私達の夢がついに叶う・・そう信じてました。。 ところが・・
資金が限界なんです‥ 企業様や有志のご支援、自己資金で1500万円以上は工面しましたが、最低あと300万円は必要。このままでは‥。 そこで、この度クラウドファンディングを決意しました。いいね、RTだけでも応援になります。夢を実現させてください。宜しくお願いします! camp-fire.jp/projects/view/…
8時間労働・週休2日が常識になっているけれど、世の中の常識を見直せば能力を発揮できる人が沢山いる。休息を頻繁に挟めばミスが減る人、昼から出勤だと能力を発揮できる人、6時間労働であれば子育てと両立できる人‥など。ルール変更は確かに大変だけど、それで活躍できる人はかなり多いと思う。
「空気が読めない」を自覚している人が感じる困難さって、空気が読めない辛さに加えて、自覚しているが故に「空気を読みすぎて疲れる」事だったりする。しかも、空気を読もうと努力したのにも関わらず、空回りしてしまう。これって、かなり辛いと思うんですよね。。
フランスは8月になった瞬間にバケーションに入る企業が多い。本当に仕事関係の連絡は一切できなくなる。つい「マジか・・」と思ってしまうが、この発想が日本人的なのだと思う。休みがあるから仕事に対するモチベーションが保てるし、「休み」の必要性について、もっと真剣に考えないといけない。
「ADHDだから出来なくても良い」という免罪符的な誤解が、ADHDで悩んでいる人を責める風潮にならないで欲しいと心から願います。配慮を受けて前に進もうと必死で頑張っている人が報われる社会であって欲しいのです。
発達障害がTwitterのトレンドに上がっているので強調しますが,診断は苦しさの原因を本人が把握し,様々なリソースを使って苦しさを解消し,前に一歩踏み出すためのものであり,決して人にレッテルを貼るためのものではないことを強調しておきたい。
「障害当事者のための機能的なファッション」ではなく、「機能的でかつ流行するファッション」を生み出すためのパリコレ挑戦。あと少しで夢が実現しますが、挫けそうになる事も‥ どうか、私達の活動を応援して頂けませんでしょうか?皆様のいいね・RTが力になります。 応援、宜しくお願い致します。
勝負に負けるとすぐにキレてしまう知的障害のあるAさん。毎回癇癪を起こすけれど、その度に彼と【作戦会議】を開いた。ある日、「コソッと帽子を叩きつけたらラクになるかも」と呟いたので、イライラしたら隠れて帽子を叩きつける実践を繰り返した。すると、徐々に怒りをコントロールできる様に‥続く
「辛くない?」と聞くと「辛くない」と返ってくる。「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と返ってくる。こう答えておけばラクだし、相手が心配せずに済むから。こうしてストレスが蓄積されていき、気づいた時には大変な事になるんですよね。。
意図のない「怒鳴る指導」は、単に怒りに任せて怒鳴っておけば相手が萎縮して言う事を聞くので、素人の指導者がやってしまいがち。(誤った)成功経験が積み重なるため、「指導がうまい」と錯覚する。早い段階で気づけばまだ良いが、錯覚したまま怒鳴る指導を続けると大変な事になるんですよね。。
学校での合理的配慮って確かに大切だけど、本人の「学びたい」ではなく、大人の「学ばせたい」が前提になっている気がして仕方がない。
障害や困難さのある子に対して「困り感を解消しましょう!」というのは確かに大切ですが、子供からすると「何に困っているのか分からない‥」のが実情。つまり、困ることすら出来ていない部分が問題な訳で、原因不明な慢性的なしんどさを言語化する部分から丁寧に始めていくのが大切だと思うのです。
我が家では、感謝はするが「手伝い」という言葉を使わないルール。共同生活をする限り家事は分担するもので、皆が得意なことを担当すれば皆がhappyになる。少なくとも、息子が将来結婚した時に、パートナーに「家事、手伝おうか?」「日曜、子供預かろうか?」系を言わない大人に育てたいんですよね。
講義の最後に「質問がある人は挙手してください。」と言っても、手が挙がる確率は低いし、挙手しても特定の人だったりする。そこで、「今から立ち歩いて周りの人と話し合って良いので、質問を考えてスマホからチャットで送ってね」とお願いしたところ、積極的に質問が来た。質問しやすい環境って大切。
障害のある子の保護者に対して、「配慮を徐々に減らし、配慮なしで生活できる様にしましょう。」と伝えるケースがある。でも、それって「目覚まし時計を使わずに朝起きれる様にしましょう。」と一緒。むしろ、出来ない事は配慮や支援を受けながら、様々な事にチャレンジする方が大切だと思う訳です。