元徴用工問題。有志の皆さんの声明文が出たみたいだけど、正直、日本側がどんなに謝罪をして、或いは賠償をしても、この問題が「完全に解決」することなんかないですよ。韓国の人はずっと植民地支配を批判し続けるだろうし、それは誰も止められない。それが歴史認識問題ですから。
つまり、閣議決定は閣議決定でしかないので、それを絶対的で変えられないようなものであるかのように言うのは間違い。政府を支持する人も、逆に批判する人も全く同じ間違いを犯している人が多くいる。
アメリカと政府が合意したからそれが既定路線である、と考えてしまう人たちが多いことこそが、日本の民主主義の問題なんじゃないかな。国会は政府の報告を謹んで拝聴する場じゃないからね。 twitter.com/oxomckoe/statu…
国立大学の現状。自分「何、この部屋寒いやん」助教「暖房が壊れてるんです」自分「修理して貰えよ」助教「すぐには目処がたたないそうで」自分「でもドアまで開けておくことないやろ」助教「立て付けがいまいちなんで他の部屋から流れてくる暖気で少しはマシなんですよ」
なお、「対抗仮説」は毛利小五郎です。
続き。院生「今の説明だと修論と博論の違いはどうなるんですか」自分「修論はコナン君の1話分、博論はたくさんのコロナ君の中から、安室君が出てくる話だけを集めた奴だ」院生「博士論文、スピンオフ作品だったんですね?!」
今日の論文指導。自分「この論文は、データ提示パートと分析パートが不明確だから、わかりにくいんだ」院生「よくわかりません」自分「データ提示パートが、コナン君が登場するまでの部分で、コナン君が犯人を見つける部分が分析パートだ」院生「どうして最初からその説明をしてくれないんですか?!」
某出版社の名前でメールが来て、「このファイルを読んでください」と書かれていたので、クリックするといきなり下の画像が出てきた。「やべーこれは何かのなりすましだ!ひっかかった!」と思って、丁寧にファイルを除去して、その後無視していたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
研究の世界では、語学にしても数学にしても、「必要だったらやる」んですよ。「苦手だからやらない」結果として論文のクオリティが下がっても、誰も納得なんかしてくれませんから。
純粋にアカデミックな話。時々思うのだが、ある国が軍備を強化しようとすれば戦争は防止できる(ことが多い)という数量的な研究はあるのだろうか。相手側の軍備強化が完成する前に攻め込もうとする、とか、軍備競争が激化して、関係国の間で寧ろ緊張が高まる、という因果関係も想定できそうだけど。
この問題の根本は、他人を誹謗中傷したり、でたらめな内容をばらまく事に対して、プラットフォームの責任が問われない、という所にある事は明らかで、今の「プラットフォーム資本主義」の問題がよく現れている。世界的にどこかで一斉に制度的な修正が入るんじゃないかな。
雑感。Youtube的なビジネスチャンスがあるからなのか、やたら「とにかくでたらめでもいあいから、他人から注目を集めれば勝ち」「訴えられても、目立ちさえすれば償金額を上回る経済的利益が得られるから問題ない」的な人たちが多数出てきていて、明らかなシステムの欠陥だよなぁ、と考えている。
備忘録。今日の英語ゼミから。どうして院生さんの中にはせっかく良い研究をしているのに、論文がなかなか書けない人がいるのか。遅ればせながら、その原因の一つが論文を「明らかになった知見」から逆算して構成していないからだ、と言う事がわかった気がする(続きます)。
院生さんへ。教員研究室のある階のソファーに座って食事をするなとはいいません。流しも使っていただいて結構です。但し、流しに食べ残しを放置するのはやめてください。皆さんの食べ残しを整理して毎日掃除しているのは、次の研究科長です。
何れにせよ、会計処理のミスと不正は全く異なるので、前者を以て他人を恰もお金を懐に入れているかのように、誹謗中傷した人は、訂正された方が良いと思います。もしそれがわかっていて、両者をすり替えて議論していれば、法的責任が問われかねない行為です。ご注意を。
NPOさんに大学のような厳しい内部監査のプロセスはないんじゃないですかね。例えばうちのNPO(ほぼ休眠状態)の決算もちゃんと公認会計士の人に監査して貰ったりしてるけど、時々監督官庁から指摘をいただいています。会計ではありませんが、先日は理事の住所が間違ってた旨の指摘をいただきました。 twitter.com/GtH_fHS/status…
今話題のフェミニズム系団体に関わる大騒ぎがよくわからない。会計的な不備は勿論問題だけど、それだけなら他の団体でも見られる問題だし、何よりも特定の団体の話なのに、どうして恰も全ての女性運動に関わる人々の問題であるかのように議論されているのだろうか。
今更ながらに大河ドラマの1回目を見ているのだが、いきなり冒頭近くから有村架純とじゃれている家康に感情移入をせよと言うのは無理だと思う。三方ヶ原で阿部寛に討ち取って欲しい。
やっぱり研究を受験勉強の偏差値競争の延長線上で考えている人っているよなぁ。「頭が良いことを示す競争」みたいな感じ。でもこういう考え方、自分はめっちゃ違和感があるんだよなぁ。いろいろなタイプの研究があるし、努力を積み重ねれば誰にでも出来るものも多い。そして後者を増やして行きたい。
学術会議の件は政府の介入が良いとは思わないけど、今の学術会議のあり方を守りたい人たちの言動があまりに粗雑すぎて、結果として、会議そのものの評価を大きく損なったと思う。どうして他の多くの研究者の意見を聞き、連帯しようと思わなかったのか不思議でならない。
学術会議に限らず、うちの業界はこういうのがとても多い。そして一旦寡占状況が生まれるとそれが当然のように維持される。そこから排除された人々が意見を反映させる機会は存在しない。
前提にあるのは「誰もが学術会議に入りたいはずだ」という思い込みと、にも拘わらず客観的なメンバー推薦の基準が何も存在しない、ということなのだろう。だから結果として仲間内で仲間内を推薦してぐるぐる回して、何の疑問も感じない。
この話。ふと少し前に学術会議について批判めいた文章を書いたら、この壇上にいる先生の一人から「不満があるなら私が推薦して会議に入れてやろうか」的に言われてびっくりしたのを思い出した。そうやって公的な会議の場を公然と一部の人たちが私物化して恥じないことこそが問題だと思うんだけど。 twitter.com/K_Kimura_Kobe/…
どうして日本のドラマではネジ工場は常に窮地に追い込まれているのか。
ということで、敢えてお聞きします。野党党首が初詣に行くべき神社はどこ?