Kan Kimura from Kobe, Japan(@kankimura)さんの人気ツイート(新しい順)

皆さん、プライベートでトルコ滞在中の私の身の上の心配をして頂き恐縮です。しかし「お休みの所、申し訳ありません。でも、先生の事がどうしても心配で、ご連絡させて頂きました」という言葉の後に、「その序ではありませんが、原稿はどうなってますか」という一文をつけるのはどうかと思います。
子供の頃、親がとっていた「赤旗」の記事の書きぶりが、日頃の見かけ上ソフトなトーンから、分派活動に関わる記事になると一変して、物凄いトーンになるのを読んで、「何じゃこりゃ、こえー」と思ったものだけど、それから50年経ってもあんなことやってるのか、と思うとある意味凄いよなぁ。
しかも、報道による限り、今回の出来事は、執行部に反対したのではなく、執行部の民主主義的な選出を求めた人に対する除名だから、余計にたちが悪い。間接選挙に間接選挙を重ねる制度の非民主性は、夙に指摘されるところだろうに。
この分派活動に対する過剰な警戒と弾圧は、究極的には、大衆ではなく、大衆の利益をより良く理解する革命的エリートが大衆の進むべき道を決めるべきだ、とするレーニンの前衛理論の非民主主義的性格に基因している訳で、それがこの党が永遠に共産党であり、共産党でしかない理由なのだろう。
まあ党首や執行部に対する党内の反対勢力形成は認められない、と公式に表明してしまう政党との連携は難しいだろうなぁ。
まさかの法学部自動車教習所化 twitter.com/takadakun5296/…
ああいうのを当たり前のようにする人は、実際の高齢者の生活や習慣も小馬鹿にするだろうし、ああいうメディアの番組が若い人にそれが当たり前だと思わせるのだろうと思う。
昨晩、何気にテレビをつけたら若い人に、昭和期の食べ物を食べさせて「まずい」とわざわざ言わせるかのような番組をやっていて、とても不愉快だった。他人の育って来た環境や習慣を見下すような行動をする人はそれだけで尊敬出来ないと思う。ああいうのは嫌いだ。
直訴だった
今日の会話。院生「うちの大学院のxx制度ですけど、yyという問題があって使いにくいので、来年度には直してください」自分「それはあかんな。事務を通じて、研究科長に公式に要望伝えといて」院生「もう伝えました」自分「?」院生「来年度の研究科長、先生なんですから、自分でするんですよ」
「選択と集中」は、政治によって選択されている側にとっては「利権」なので、彼らはいろいろと理屈を捏ねても、結局は自分たちの利益は手放さない。結果が出なくても「集中が足りないからだ」と言い続ければ、延々と利権を拡大できる。そこに生産性の上昇はない。それが今の大学改革とやらの実状だ。
どうして当たり前に授業をして、当たり前に研究するだけの大学教員生活を送れなくなったのか。何故、毎日の大半を教育と研究以外のために費やさねばならないのか。誰が何のためにこんな愚かなシステムにしてしまったのか。
G7があるからそれまでにマスク解除、というのは、この国のかがくの敗北を感じるよね。同じことをするのにも、もう少しまともな理屈をつければいいのに。
しかし、従業員の給料を下げることでしか利益を上げられない経営者って、単純に無能だよね。それだったら誰でもできるやん。
自然科学系の学生さんは、教育の体系ができていれば、レポート等を特定のパターン(例:問題設定 → 仮説設定 → 実験/データ提示 → 分析 → 結論)に落とし込む訓練を受けているけど、人文・社会科学系の多くでは、こういう課程が欠如しているので、「いつまでも感想文」みたいな人も出てくる。
いろんな大学の学部で授業して思うのは、多くの大学では「まとめよ」「論述せよ」という問題が与えられる一方で、「まとめるとはどういうことなのか」「論述はどう進めるのか」は殆ど教えられていないので、1年生や2年生で壁にぶつかっている人が多い、という事。特に、人文・社会科学系の学生に顕著。
日本の学部生の皆さんの、レポートや卒論の文章の質を大きく改善する際の最も重要なポイントは、「ちゃんと構想や各順番等をきちんと確認してから書く」だと、自分は思っている。全体の構想や結論を考えずに書き出す人が多いですからね。「考えながら書く」のではちゃんとした文章は書けませんよ。
という事で、1月末が提出期限の論文をお持ちの皆様へのアドバイスです。 1)まず落ち着け 2)すぐにバックアップを取れ 3)念のためにプリントアウトしてみろ 4)誤植や間違いは必ずある。何度も読み直せ 5)論文の体裁も確認しろ 6)そもそもこんなツイートを見ている場合か twitter.com/kankimura/stat…
外交努力で戦争を防ぐことが出来る場合がある、というのは、外交努力で常に戦争が防げる、という事ではないよね。そしてそれは防衛力強化で常に戦争が防げる訳ではない、というのと同じ。具体的なケースにおいてどういう具体的な努力が可能なのかを考えた方がいいんじゃないかな。
反ワクチンの人たちって自分達は副作用から逃れる一方で、他人がワクチンを打つことで感染から守られている、という典型的なフリーライダーだっていう自覚なんてないんだろうなぁ。
自分はかつてヨットに乗っている人が司会している番組に出て、「ずばり日韓関係の解決策は!」という問いに、「そんなものがあったら苦労しない」と答えたら、「それじゃ番組にならん」みたいに司会者に半ギレされた事があり、それから2度とこういう番組には出るまい、と思っている。
序でに書いておけば、「ずばり日韓関係どうなる!」「さあ、徴用工問題の解決法は!」的な多くの番組の設問も実に馬鹿げているし、害しかないと思っている。出演者は適当な威勢の良い見解を示し、視聴者はあたかもそれで問題が解決するかの様に錯覚する。
「即興性」が高い人は受験勉強の出来た偏差値秀才さんに多いんだけど、現実の政策や社会に関わる議論は、「覚えて来た知識を如何に短時間で吐き出す事が出来るか」というスタンドアローンのPCの様な能力とはあんまり関係ない。覚えている事よりも、きちんと調べられる事、の方が重要。
そもそもプロフェッショナルな議論において、「即興性」を競い合うのも意味がない。「調べないと答えられない」筈の事に誰もが知っているかの様な顔をして議論するのは、ただの誤魔化しでしかない。
各々の出演者が何かしらのポジションに配置され、視聴者の期待に沿って議論するやり方は、政策に関わる議論になっていないし、エビデンスベースで議論しているわけでもないので、居酒屋談義以下の価値しか持たないと思っている。北朝鮮や韓国に関わるこれらの番組の体たらくを見れば明らかでしょ。