そもそも日本の警察は操作内容を駄々漏れにしていて、被疑者の人権に関わる問題が多すぎる訳で、その辺りが何故問題にならないのか、しないのか、が不思議でならない。
しかし、従業員の給料を下げることでしか利益を上げられない経営者って、単純に無能だよね。それだったら誰でもできるやん。
こういう人たちの「笑い」って、政治学内部で「どれが価値のある研究で、どれが価値がないか」的な発想をする人達と共通するところが大きいよね。「自分達は選ばれる側にある」という根拠のない確信とその根拠のない確信に基づいた嘲笑がそこには必ずある。
まあプーチンはどうして服を脱ぐのか、そもそも政治的リーダーが服を脱ぐのはどういう時か、という研究は十分成立すると思う。
だからこそ我々はそれが無限に拡大しないように、或いは歴史認識の違いが我々の生活を壊してしまわないように、きっちりとした法的枠組みを作らないといけない。それは離婚訴訟や遺産処理と同じ。心理的なわだかまりが残るか否かと、法的な解決のあり方については分けて考えるしかない。
ふとした疑問。性の商品化、というのはどこからどこまでを言うのか、何か定義があるのだろうか。ある意味、アイドルなんて言うのもその多くが何かしらのセクシャリティを前提としている訳だし。
しかし、民度という定義も計量も不可能な言葉、どうにかならないんですかね。差別を隠すための言葉でしかないと思うんだけど。
韓国に抜かれましたか。 twitter.com/mainichi/statu…
しかし、あれだけ文在寅に「万事休す」と書いた人達が、支持率のずっと低い尹錫悦に対してそう書かないのを見ていると、彼等の「元の情報」がどこから来ているかは、明らかだと思う。
この辺りは中学校でも教えている筈だと思うのだけど、中等教育の敗北を感じる。
さて、コロナ明けのツーリングから。写真、その1。家島にて。「ガソリンスタンド」の概念変わりました。
うーーん。歴史好きにもいろいろありそうだけど。自分はロマンとか、要らないし、中途半端な「物語」は、過去の事実の理解をねじ曲げてしまう気もする。 twitter.com/MizukiHOSHI_hu…
今日の声に出して読みたい日本語。「高等遊民になる」。
結局は、選択と集中という名で、ただひたすら研究と教育の基盤を堀崩し、資源が減るなかで愚にもつかない権力闘争が繰り広げられる。正に沈む船のなかでの、救命ボートの奪い合い。
この分派活動に対する過剰な警戒と弾圧は、究極的には、大衆ではなく、大衆の利益をより良く理解する革命的エリートが大衆の進むべき道を決めるべきだ、とするレーニンの前衛理論の非民主主義的性格に基因している訳で、それがこの党が永遠に共産党であり、共産党でしかない理由なのだろう。
肉の呻き。
昨日もあったけど、どうして「研究」を、「学術雑誌に論文を書くこと」だけに限定するだけでなく、その成果を社会に還元したり還元する努力をする事、さらには誰かが学術論文を書くために事実等を整理する事、を「研究じゃない」として排斥し、見下すようになってしまいましたかね。
某誹謗中傷事件をはじめ、海外に拠点を置いて日本の法を犯す事例が増えている。思うのは、彼らは自らが拠点をおいている国の政府を信用してるんだなぁ、という事。権威主義的な政権の下にある政府は、一旦敵に回るととんでもない事になるんだけどね。そういう時にはカネがあってもどうにもならないよ。
アメリカと政府が合意したからそれが既定路線である、と考えてしまう人たちが多いことこそが、日本の民主主義の問題なんじゃないかな。国会は政府の報告を謹んで拝聴する場じゃないからね。 twitter.com/oxomckoe/statu…
コスプレをしたら、学生を処分できる、という学則があるのだろうか。だとすれば驚く。 twitter.com/kusyokuin/stat…
自然科学系の学生さんは、教育の体系ができていれば、レポート等を特定のパターン(例:問題設定 → 仮説設定 → 実験/データ提示 → 分析 → 結論)に落とし込む訓練を受けているけど、人文・社会科学系の多くでは、こういう課程が欠如しているので、「いつまでも感想文」みたいな人も出てくる。
序でに書いておけば、「ずばり日韓関係どうなる!」「さあ、徴用工問題の解決法は!」的な多くの番組の設問も実に馬鹿げているし、害しかないと思っている。出演者は適当な威勢の良い見解を示し、視聴者はあたかもそれで問題が解決するかの様に錯覚する。
父娘の会話。娘「就職嫌や」父「何言うてんねん」娘「失敗して責任取らされたりしたらキツいやん」父「甘い事言うてんな」娘「どこかに、金は出さずに適当なアイデア出して人にやらせて、自分は失敗しても責任取らんでいい仕事ないかな」父「文科省に就職したいんやったら、最初からそう言いなさい」
体を張ったから、必死でやったから認めるべきだ、などというのは、独りよがりの自己満足にしか過ぎない。仮に日本の将来に責任を持つ事を自認する政治家なら、何故に多くの国民が反対する政策を推し進める政党を支持しているのか、その支持を変えさせるにはどうしたら良いのか真面目に考えるべきだ。
でも逆に言えば、広島の経験は数少ない原爆の被害を示すものであるから以上に、それが多くの戦争被害に通じる大きな共通性を持っているから価値があるのだと思う。