今回ニュースで明らかになった保育士がしていた行為を、一部や軽微なものであっても日常的に悪意なくしていたという保育士は少なくないことでしょう。 それがしてはいけないことであると、今回の事件は明らかにしました。 保育界健全化の契機となることを期待します。
そうした中で、その保育をおかしいと感じる保育者が逆に辞めさせられたり、ストレスから仕事にいけなくなったり、保育士そのものを辞めてしまったり、ひどい保育に嫌気がさして、別の園に転職したらそこもひどい保育をしていたなど、同様のケースは枚挙にいとまがありません。
この広告方法は性加害が含まれており、あきらかに性差別だと言えるでしょう。 また、性のモノ化以外にも、表象の搾取という問題もあります。 男性目線で「女性」という表象を自分の都合の良いように作りかえるというある種のグロテスクさがこうした問題には付随します。
施設長がそうした支配的な保育を是としていたり、人手不足から不適切な職員でも使い続けなければならなかったり、施設の長年の体質が子供の支配であり日常的に不適切行為がでていたり、施設長や経営者のモラハラ、パワハラが源泉となって保育者が子供に不適切行為を働いているなど。
自身を大切にしないことを獲得させられた人は、他者をも大切にできないメンタリティを同時に構築してしまいます。
一方で、主語を大きくしなければ成立しない言論というのも存在しえます。 端的なのは、被差別者がその差別構造を訴えるときです。 そうしたとき、「主語を大きくしない」というスタンスがある種のモラル、一般通念として成立してしまっていると、トーンポリシングとして機能してしまいます。
「だんしゃなめんな」の講談社といい、今回の小学館といい、組織や権威というのは悲しいかな人を頽落させてしまう。 だから理念は大切。しばしば理念尊重することを現実的でないとくさす人がいるが、理念が現実につながっていることが見えないとは、それこそ現実的でない。
日本に侵略されたアジアの国の人達は「あなたたち日本人は」と語る必要があるし、 沖縄の人達は「あなたたちヤマトンチュは」と アイヌの人達は「あなたたち和人は」と また、女性の差別構造を訴える当事者は「あなたたち男性は」と使うことが許されなければ、
対人関係や異性との関わりについての情報は、意外なことにあるようでないのが現実です。ネタ化しているものは無数にありますが、それらは必ずしも実際の対人関係では生かせないものです。
まず、男性のあり方への認知として「性体験が多いほど男らしいor強さの証明or経験数でのマウンティング」のような価値観があるところから、「男性のセックスする権利が満たされいない」とうようなさらなる迷走した認知がうまれるのだろうな。 twitter.com/annaPHd9pj/sta…
差別や蔑視は、それがたとえ目の前にあってすら、それを視る視点を持っていなければ、そこにあることすら気づけないものです。 特に、女性差別、女性蔑視は家庭内にすら存在し、幼少期からそれに慣れてしまうことや、メディアや表現の中で自然にそれに無自覚になってしまう側面があります。
支配欲求と承認欲求の暴走は子供相手の仕事において起こるべくして起こります。 なぜなら、そのとき大人はモラルの側に立って、「正しいことをしている」という認識の元、支配を行えるからです。
悲しいかな、日本の社会のいたるところにある構造になっているようです。 特に子供時代からこれにさらしていけばなおさら。 本来は「子供は守られるべき存在」という先進国が持つスタンスがあるのだけど、子供蔑視が強い社会では、それを無意味化しようとする文化が形成されています。
日本の憲法24条は、そうしたものを排除しています。 当人同士の同意だけで結婚できるものと定めることによって、結果的にそれは個人の選択の自由を明確に現しています。
かつてはそうであったかもしれませんが、今はもはやとっくに違うのです。 かつてはこうだったと強弁しても余計に女性からは距離をおかれるだけです。 現在はこうなっているというところを基準に考えましょう。
しかしながら、これまでの文化的なありかたゆえに、男性は一方向の依存がともすると「当たり前」という感覚のまま(年齢が)大人になってしまう。 ここを踏まえると、いま小さな子を育てている人でも課題が見えてくる。 それは、どう子供を自立の方向に育てていけるかという問題。
「私はそんなことしない」と思う人も大勢いることでしょう。 それは、「私は詐欺になどかからない」と思いつつだまされてしまう電話詐欺にあう人の心理と同じ指摘ができます。 「私もそうなりかねない。だから気をつけなければ」というスタンスを意識的に持っていなければ、
「経営者さん、最低賃金あがりますからどうか確認お願いします♡」みたいなのと 「有給とらせていただいてありがとうございました。これつまらないものですが」 つ【菓子折】 みたいなのは根っこでつながった問題だよね。
・よい見た目 これも収入におけるデマと似たり寄ったりです。 あなたがもし相手の女性を人格として尊重できる人であれば、見た目に寄らず信頼してくれる人はいるはずです。
◆子育ての方向 「社会は厳しいのだからもっと頑張れ」 どこにいってもこの価値観の子育てや教育に直面します。 「あなたがどうあっても生きていける社会だから、好きな生き方を見つけてください」 そういえる社会であればと思わずにはいられません。
町おこし、村おこしに東京の企画会社が来てほんの一瞬だけ盛りあがって潤うのはその会社だけ、そういうのに一体何度食いものにされたら気がつくんだろうといった話をはるか昔なにかで読んだなとひっかかってたのだけど、思い出した。たしか、中島らもの『こらっ』だった気がする。 繰り返される歴史。
「女はわきまえろ」を言い方を変えているだけ。 ジェンダーギャップ120位の国だけはある。 twitter.com/hiroshima_pref…
・高収入 様々な人がいますから一概にはいえないかもしれませんが、時代の流れとしては確実に女性は自立、自活を求める方に向かっていますので、男性の高収入に依存したいという人は減っています。 互いに働いて生活に不自由なければそれでよいという考え方がむしろ一般的なものではないでしょうか。
最近、というかこの4月に入ってからだけでも企業経営者や責任のある地位にいる人の失言のニュースをあいついで見たが、その人達に共通して見えるのが、人権意識の欠如感、よりうがった見方をすれば、対人関係=上下関係という認識の中で、自身が上であることを前提とした他者認識がうかがえた。
そもそも口を開くことすらできなくなってしまいます。 それらはその経緯ゆえに、もっと強い口調になることも当然あるでしょう。 こうして考えると、弱い立場にある人の口をふさぐトーンポリシングになる、そうした側面、可能性を「主語を大きくしない」は含んでしまっているといえるでしょう。