ただ、見た目を気にしないというのは、不潔さや不衛生さを押しつけていいということではありませんので、そこは誤解なきよう。
国内がボロボロの国なんて、戦争仕掛けなくても簡単に経済植民地化できる。 軍備増やせば、それは持っているだけでも莫大な維持費が年々発生する。それは社会的な貧困を引き起こす。 軍事費からの貧困ゆえに他国に戦争をふっかけることがあらゆる歴史でも、我が国の過去にも起こったこと。 twitter.com/inoueshin0/sta…
なぜなら、自立のなさを表しているし、依存していることを意味するから。パートナーは互いに支え合うものだから、ある種の依存は悪いことではないが、こうした一方向の依存はされる側にとってはいいようのなく重たいもの。 だから、ケアは相互であることを大人になる過程で身につける必要がある。
【保育】保育士不足の裏にあるもの 今回の裾野市の保育士による虐待事件が起こる前から、保育士のなり手がいない問題は深刻なものとなっています。 正規の公務員としての保育職にすら応募がないという状態すら起きています。
美談にしてしまえば、矮小化され再発してしまいます。 それが起こるのは、我が子にかもしれないのです。
もし現在の日本に「保守」なる人達がいまもいるのだとしたら、「子供になんてことをさせるのだ」ともっとも怒りの声をあげるような問題ではないでしょうか。 本来、保守とは「子供にひもじい思いはさせない」など地に足のついた価値観を多分に持っていたはずです。
「貧すれば鈍する」とはいうけれど、落ちていくのに底はないもんだな。
美談にすれば、今後も学校の「治外法権」が続いてしまいます。 それでは子供と子供の教育、子供の命が守られません。
考えても見て下さい。 僕はあなたの個人的な知り合いではないはずです。 知りもしないのにあなた個人を責めることなどできません。 個人の存在を責めているわけでも、男性という属性を責めているわけでもありません。 行為や行動を検討の俎上に載せているのです。 どうぞそこをご理解下さい。
>RT このオムツ持ち帰りの件なんか端的だけれども、保育ってド直球に「政治」案件なんだよね。 女性差別的な意味そのまんまの「女子供」な地域や議会だと、保育に予算はつかないので質は低いまま。 職員の意識も古いまんま。
「○○ができるあなたが好き」でも、「私の価値観に当てはまるあなたが好き」でもなく、「あなたと私はどんなに近しくとも別個の独立した価値ある存在であり、私の評価如何に関わらずあなたの存在には価値があるのだ」
しかし、いまの祖父母世代くらいの価値観は、それが「当たり前」とされていました。 男性は、仕事をして家庭のことは女性がやる・・・と。 もし、あなたが家庭のロールモデルをそうした祖父母世代を基準に考えていたら、パートナーとの信頼関係は構築されません。
この件、リツイートされているものをあらためて読んでみたところ、やはり実体験としてのものがたくさんあるようでした。 男親から娘へだと、容姿へのからかいがよくあり、息子へだと弱さへのあざけり(叩く振りをして怖がっているとやゆするなど)がよくあります。 twitter.com/hoikushioto/st…
以下のツイート、事情ご存じない方もいると思うので少し解説すると、共通テストを受験する生徒に痴漢などの加害をしても試験に遅れないために事を荒立てないとわかっているので、その日に性犯罪が多発するというこれまでの経緯があります。 twitter.com/kidayui/status…
そもそも、女性が男性を警戒する社会的構造の問題と、自身の気持ちを対置させてしまうのは、論として釣り合っていないのだけど、人の持つ防衛反応はこうした思考に傾きやすい特徴がある。
この婚姻制度にさまざまな条件をつけることは、個人の自由、つまり自分の人生を自分で選択していいということを制限するものです。 だから、24条をなし崩しにすると、個人の自由を制限できる国となり、その分だけ権威、権力の力が強まります。
特定の子ばかりをかまったり、合理的な理由のない身体接触をしたり。女児に対してだけでなく男児に対して起こることもあります。 もちろん、大半の男性保育士がそうでないことも理解しています。 しかし、「自分はそんなことはしない!」と主張しても、解決にならないし、信頼も得られません。
僕のかつての同僚にこんな人がいました。 職員全員が残業をして職員会議をします。終わるのは20時~21時です。 女性のその同僚は、急いで帰らなければと言っています。聴けば、家で夫と大学生の息子がご飯を待っていると・・・。
日々の家事や育児というのは、生活する上で避けることのできないものごとです。「お金を稼いでいればそれが免責される」と思い込むことはできますが、それはむしろ、自身の人間としての成熟や自立をスポイルしてしまいその人の人生における自己実現をさまたげることにつながってしまいます。
しかし、私たちの暮らす日本という社会は、いまだにそうした古い価値観が根強く残り、それを無意識に「普通のこと」と思い込んでしまっています。
女性が子供連れで歩いているだけで嫌がらせしてくる男性もいます。 保育で散歩していてもこうしたことに遭う場合もあります。男性保育士がいると気づくとそうした男性が離れていくといったこともありました。
このことは恋人や配偶者といったパートナー間だけでなく、会社や学校での対人関係でも同様です。
このNOを表明しても不機嫌にならない、相手の意見を押しつぶさないというスタンスは、さらに性的な関係でも重要です。
本当は相手の支配をする必要はありません。 性的関係においても対話と同意を大切にすることで、パートナーとの関係はプラスになっていきます。
>ちょっと羽目を外してしまっただけだから、許してやってほしい。彼らには将来があるのだから。そんな言葉によってないことにされてきた被害はこれまでどれだけあるだろう。 twitter.com/ogawatam/statu…