先日も、行政の子育て相談に行ったら「お母さんの愛情不足ではないですか」と言われたケースがあった。 その人は、それ以来ずっと自分を責めていたことを泣きながら話していた。 「愛情」という言葉は、何も分かっていない人でももっともらしく言えてしまう言葉。これがどれほど人を傷つけることか。→
僕の実家は老舗の日本料理店を営んでいました。 そんな中で子供心にも知っていたのが、男性には常にご機嫌を取ってもらわなければ、たちどころに不機嫌になる人たちがいるということです。 今になって思えばこうした人格形成は、自立していない自我の問題であることがわかります。→
長期的なものであればこれに対抗する解をひとつもっています。それは、子供を支配・否定せずに育てていくこと。また同時に、子育てする大人へも肯定を積み重ねることで、子供への支配に依存しなくてもいいように子育てを安定化させていくことです。それが僕の子育て論の基礎になっています。
その人は強い人だからイキがっているわけではありません。自分自身では自分が維持できないほどのか細い自我しかもてていないがゆえに、他者に機嫌をとってもらったりマウンティングすることで、自己承認を得続けなければならないメンタリティを構築しているということです。→
そして日本の社会構造は、こうしたものを男性に獲得させてしまう負の文化が織り込まれています。 支配と依存。これがキーになっています。 しかもその支配の過程で自尊心を傷つける行為が重ねられれば、こうした傾向は強まります。僕は保育に関わる仕事をしているので、→
◆ランドセルをなくしたい 最初からこれでいいと思うんだよ。 僕は保育士をする中で、就学に当たってランドセルを買うお金の工面に悩む家庭をいくつも見てきた。 そこそこの収入のある家庭にとってはお祝い事感覚で使えるお金でも、いろいろ学用品でかかる上にさらにカバンに数万円というのは重い。→ twitter.com/YahooNewsTopic…
この企画、単に萌えキャラがとかではなく何重にもダメなところがあるんだよね。 まずわら人形を作ってしまっている所、「環境が悪化しているのは”ぐうたら”な誰かがいることが原因で、お前たちがそこを正すことで環境を良くしていけや」というメッセージであること。→ twitter.com/Kankyo_Jpn/sta…
なので、若い世代こそ当事者意識を持って取り組むという潮流がある。日本の環境省は、そうした潮流を知っているはずなのに、「若いお前たちが取り組まないのが悪いのだ」と開き直ったところ、責任を押しつけるところに表象を作りメッセージを出している。 →
そのメッセージを女性しかも子供の表象に落とし込んでいること。 で、これが環境省の公的な取り組みであること。 そもそも、世界各国でいま環境問題を大きく主張しているのがグレタさん始め若い世代になっている。それは環境問題のツケが若い世代に押しつけられることが確実だから。→
本当に取り組むべきは、環境破壊の上で経済活動をしてきた既存の構造を変えていくことなのに。 なおかつ、ジェンダーバイアスになっている点も。 「無知な女性を変えていく」というマンスプレイニングの形で周知をしようとしていること。ダメな広告の最たるもの。 まったく税金の無駄だ。
【保育とジェンダー】 男性保育者は、しばしば男性であるがゆえに不信の目を向けられます。しかし、現実にこうした事件が存在する以上それは当然のことです。 それを乗り越えていくために必要なことは「私はそんなことはしない」と主張することではありません。 twitter.com/asahi/status/1…
例えば、できないことは悪いことだ、弱いのは悪いことだ、泣くのは悪いことだ、嫌がったり逃げるのは悪いことだ、勝つのがいいこと負けるのは悪いこと、1番にならなければならない、やるといったことはやり抜かなければならないetc.
【子育て・保育】子供にいじめをしなくていいメンタルを持たせる方法 パラリンピックの件があまりに頭にきたので、荒削りなのは承知で勢いで書きます。
1,ウィークネスフォビアで育てない ウィークネスフォビア(弱さへの嫌悪)。これまで子育てには、さまざまなウィークネスフォビアからくる価値観が当たり前のごとく含まれていました。
それが問題なく作用することもありますが、その価値観の中で優等生になれなかった人が自己否定に向かい萎縮や自己肯定感の低下に向かうこともあれば、その中で比較的優等生であった人が自分より劣る他者、ウィークネスを抱える他者を否定的にジャッジしたり、見下すメンタリティを持つ場合があります。
2,子供を育てるのに自尊心を傷つける必要はない 僕の世代では、相手を発憤させるためにあえて強いいい方をして成長させようとするという他者への関わり方が一般的にありました。
小さな子供の子育ての中でカジュアルに使われている自尊心を傷つける行為でもっとも端的なのは、疎外(仲間はずれ)を使うものです。 「言うことを聞かないなら置いていきますよ」 「そんなことをする子は家に入れません」 「赤ちゃん組にいきなさい」
ストレートに考えれば、「私がイヤです」「私は困ります」と伝えればいいところを、「私」が埋没しているためにあえて子育てとしてリスクの高い、存在の否定というアプローチが一般化してしまっています。
3,ホモソーシャルの価値観に気をつける これまでの男性中心主義的な価値観は、こうしたウィークネスフォビアや自尊心を傷つける関わりをある種の文化として内包し形成してしまっている側面があります。
4,我が子といえども一人の他者 家族なので他人ではないですが、我が子も他者です。 自分の一部でも、自分の延長でもありません。 こうして言葉にすれば、おそらく百人の内、百人の人が「そんなことは当たり前」と思うかも知れません。 しかし、現実にはなかなかこれが難しいのが子育てです。
5,子育てを自己犠牲で組み立てない 「私を大切にすること」 これは誰にとっても必要なことです。 子育てする大人も自分を大切にしていいのです。
◆怒鳴る側の問題 子供に対して怒鳴るのは、本当は「子供を前にすると自分の感情を制御できなくなる大人の問題」として存在しています。
子供の通う小学校では、道徳の授業で人権を「思いやり」として子供達に教えていました。 これは人権を、感情による属人的なもの、相対的なものとしてミスリードするものです。明らかに間違っています。 しかしながら、こうした理解を大人でも持つ人は少なくないようです。
◆モラハラ構文 子育てにも関連するのでここで書いておきましょう。 ・誰のおかげでメシが食えると思っているのだ ・子供のくせに生意気言うな ・稼げるようになってからものを言え これらは対話ではありません。
民主主義を揺るがす大問題ですよ。政権与党がプロパガンダ、情報操作をやっているのだから。 民主主義を守るためには政権交代が必要です。 tokyo-np.co.jp/article/136538