僕の実家は老舗の日本料理店を営んでいました。 そんな中で子供心にも知っていたのが、男性には常にご機嫌を取ってもらわなければ、たちどころに不機嫌になる人たちがいるということです。 今になって思えばこうした人格形成は、自立していない自我の問題であることがわかります。→
【子育て・保育】子供にいじめをしなくていいメンタルを持たせる方法 パラリンピックの件があまりに頭にきたので、荒削りなのは承知で勢いで書きます。
>RT 「素手でトイレ掃除」を子供達に行わせることで獲得させられるものは ・自尊心、主体性の芽をへし折ること ・イヤなものをイヤと感じる認知そのものを狂わせること ・自己犠牲を美徳化し滅私奉公のような価値観を内面化させること どれも全体主義やブラック企業に都合のよい人間形成につながる
#文春オンライン bunshun.jp/articles/-/547… こういうのを美談にしないで下さい。 美談として記事を作る人、美談としてそれを消費する人。忘れているだろうけれども、加害を受けて今後も苦しむ生徒がいます。 DVや性加害をする人は、他の面では「いい人」であることも少なくありません。
【男性が幸せになるために】異性とのつきあい方 異性との関係の持ち方がわからなかったり、うまくいかない経験をしてしまうことで、人生を難しくしてしまう男性は少なくないようです。 僕は他者の家庭に関わる仕事柄、そうした悲しいケースをたくさんみてきました。
その人は強い人だからイキがっているわけではありません。自分自身では自分が維持できないほどのか細い自我しかもてていないがゆえに、他者に機嫌をとってもらったりマウンティングすることで、自己承認を得続けなければならないメンタリティを構築しているということです。→
長期的なものであればこれに対抗する解をひとつもっています。それは、子供を支配・否定せずに育てていくこと。また同時に、子育てする大人へも肯定を積み重ねることで、子供への支配に依存しなくてもいいように子育てを安定化させていくことです。それが僕の子育て論の基礎になっています。
カルト宗教の問題は、子育てと無縁じゃないんだよね。 「家庭」を狙い撃ちにしているから、子供、子育てや健康などのファクターで人をひきつけて取り込んでいく。 また、大学などのサークルで、我が子が宗教にいつのまにかどっぷりつかっているといったケースも。
この企画、単に萌えキャラがとかではなく何重にもダメなところがあるんだよね。 まずわら人形を作ってしまっている所、「環境が悪化しているのは”ぐうたら”な誰かがいることが原因で、お前たちがそこを正すことで環境を良くしていけや」というメッセージであること。→ twitter.com/Kankyo_Jpn/sta…
そして日本の社会構造は、こうしたものを男性に獲得させてしまう負の文化が織り込まれています。 支配と依存。これがキーになっています。 しかもその支配の過程で自尊心を傷つける行為が重ねられれば、こうした傾向は強まります。僕は保育に関わる仕事をしているので、→
【保育】非正規雇用の問題 今回の虐待事件で担任3人の肩書きをみてアレと感じた人もいるのではないかと思います。 a,正規職員 b,非正規職員 c,派遣職員 同じ担任なのにそれぞれが別の雇用形態でした。
資格のいる職業に、資格なしでもなれるというのはすごく危険なことです。 個別ではそれにより良い人も採用されたとしても、どうしても全体としての質はとんでもなく下がっていきます。 けっして行政がしてはならないことです。 news.yahoo.co.jp/articles/dfcf1…
このヤングケアラーを美談化する動きは、自己犠牲の精神と自助が強調されることで、さらなる福祉切り、家庭・社会による子供・人々への抑圧が加速、固定化していきます。 あくまで子供の人権尊重の理念から、子供にケアをさせるのはあってはならないことと主張していく必要があります。 twitter.com/hoikushioto/st…
労基署のポスター。 若い女性が優しく呼びかけるというポーズの周知や啓発はもうやめませんか。
書いていてあらためて思ったのだけど、福祉って民主主義そのものなんだよね。 「誰しもが大切」という視点がなければ、福祉というのは「弱者の甘え」のように他罰的にとらえてしまう人も増えるだろう。 福祉が切り捨てられる社会は、民主主義が後退している社会なんだ。
裁判所の命令無視して賠償金を踏み倒している人と、インサイダーで有罪判決受けた人の子供向けの本か。 すごいな小学館。 twitter.com/mizno7/status/…
今にして考えてみると、昭和の頃の大人ってだいぶおかしかったよなぁ。 すぐ感情的になる、暴力を振るう、性的な逸脱を恥とも思わない、マウンティングできることが格好いいと思えるetc. 社会的な意味での戦争後遺症のようなものがあったのかもしれないけど、いまも大きくは変わっていない感じもする。
◆ランドセルをなくしたい 最初からこれでいいと思うんだよ。 僕は保育士をする中で、就学に当たってランドセルを買うお金の工面に悩む家庭をいくつも見てきた。 そこそこの収入のある家庭にとってはお祝い事感覚で使えるお金でも、いろいろ学用品でかかる上にさらにカバンに数万円というのは重い。→ twitter.com/YahooNewsTopic…
コンビニエンスストアを運営する企業がこども食堂をするとニュースになったとき、廃棄の弁当などをそれにまわせばフードロスもなくなっていいだろうという人々の声がたくさんあがっていた。 そこにあるのは一般に根強くある、福祉を受けるものは平均以下のものに甘んじろという「劣等処遇」の価値観。 twitter.com/ShinShinohara/…
他の国では「あなたが変われば社会は変わる」「あなたは社会を変えられる」と教育の中で学んで行くのだけど、日本では「あなたは無力だから社会を変えられない」と刷り込まれてしまうんだよね。 「今はまだ社会はそうできていないから」と考えるとずっとそれが維持されてしまう。 twitter.com/hibari_n_kokor…
1,ウィークネスフォビアで育てない ウィークネスフォビア(弱さへの嫌悪)。これまで子育てには、さまざまなウィークネスフォビアからくる価値観が当たり前のごとく含まれていました。
「感謝」ってのはモラルハラスメントが発動しやすいファクターなんだよね。 自己愛や承認欲求、支配欲求にネックを抱える人にとって、自己正当化したままマウンティングする口実になってしまう。 個人がそこにおちいるのはまだ同情の余地もあるが、国家がそれというのは度しがたい。
カルトにおいて家庭の持つ拘束力は大変魅力的で、「統合された家庭」のようなものが大好物。 だから家父長制に親和性が高い。 また、思考しない信者を獲得するために、主体性の剥奪が重要なので、主体性と密接に関わる政治ファクターである、憲法24条がお気に召さない。 ゆえに、改憲勢力ともなる。
【保育】保育に住む魔物 保育には魔物が住んでいます。 正確には保育に限らず子供に関わる仕事にはです。 それは大人の側の支配欲求と承認欲求です。 他者を思い通りにする、他者をして自分を満足させる。これには大変強い快感があります。子供相手の仕事はこれが簡単にできてしまいます。
本当に取り組むべきは、環境破壊の上で経済活動をしてきた既存の構造を変えていくことなのに。 なおかつ、ジェンダーバイアスになっている点も。 「無知な女性を変えていく」というマンスプレイニングの形で周知をしようとしていること。ダメな広告の最たるもの。 まったく税金の無駄だ。