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2022/04/21
◆差別構造を視る視点
僕自身もかつてそうでした。
僕は単にすれ違う人に警戒されるといったレベルではなく、男性保育士という職業ゆえに、直接的な「男性で大丈夫なのだろうか」「あの男性保育士にうちの子に世話してもらいたくない」 twitter.com/hoikushioto/st…
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現実にそうしたことが起こる以上、その心配もそもそもまったくいわれのないことではないからです。
「保護者には男性が子供に関わることの不安がある。あって当然。なぜならそうした現実が過去にも現在にもたくさんあるから」
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男性保育士の数が増えるにつれて、実際にこうした児童への性加害の問題は少なからず表面化してきました。
たった一人でもそうした人がいれば、まったく関係無い人であってもその同業者がそうした目を向けられるのは当然のことです。
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差別や蔑視は、それがたとえ目の前にあってすら、それを視る視点を持っていなければ、そこにあることすら気づけないものです。
特に、女性差別、女性蔑視は家庭内にすら存在し、幼少期からそれに慣れてしまうことや、メディアや表現の中で自然にそれに無自覚になってしまう側面があります。
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僕はいま肩より髪が長いのですが、道を歩いていると女性と思われるのかすごい剣幕で自転車のベルを鳴らして舌打ちしていく男性がいます。僕が振り返って男性と気づくと「すみません」という人もいます。
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こうした社会で女性が男性に警戒の目を向けるのは当然のことです。
それを失礼と非難したり、それをされる自分を哀れむ前に、そうした社会とその構造に目を向けることがすでに現代においては必要とされています。
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女性が子供連れで歩いているだけで嫌がらせしてくる男性もいます。
保育で散歩していてもこうしたことに遭う場合もあります。男性保育士がいると気づくとそうした男性が離れていくといったこともありました。
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◆学問の男性性
また、話しの切り口は離れますが、男性のそうした自己防衛を既存の思想に仮託して行うのもあまり理知的とはいえないかもしれません。
なぜなら、学問の男性性、アカデミズムの男性性、哲学・思想の男性性という提起がすでになされている社会にあるからです。
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それらに乗る形で自己防衛しても、それは社会的に他者から、女性から信頼を得られるものにはなりえないでしょう。むしろそれは、自己憐憫的なあり方として敬遠されるものとなってしまうのではないでしょうか。
目の前にあるものを見る。
まずはそこからです。
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そもそも、女性が男性を警戒する社会的構造の問題と、自身の気持ちを対置させてしまうのは、論として釣り合っていないのだけど、人の持つ防衛反応はこうした思考に傾きやすい特徴がある。
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「感謝」ってのはモラルハラスメントが発動しやすいファクターなんだよね。
自己愛や承認欲求、支配欲求にネックを抱える人にとって、自己正当化したままマウンティングする口実になってしまう。
個人がそこにおちいるのはまだ同情の余地もあるが、国家がそれというのは度しがたい。
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しばしば、子供に「感謝の気持ちを持たせる」というのが教育や保育の目的になることも見かけるが、それが自身や権威への服従をすり込むことになっていないか検証する視点は忘れないようにしたい。
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感謝を求めるメンタリティには引っ張られにくいのではないだろうか。
>相手が誰であれ立場がどうであれ、人と人として対等という認識
例えばそのひとつには、人権意識がある。
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僕自身は、感謝とは教えられるものでも、植え付けられるものでもないと考えているので、どんなものでも「感謝の気持ちを持たせる」には欺瞞性を感じてしまう。
感謝にはしばしば、立場の上下を前提として想定されているものもある。(例えば「親に感謝」「先生に感謝」)
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感謝を求めるメンタリティには、こうした自身の立場の追認(自己承認)の側面が透けてみえる。
他者への認識を、相手が誰であれ立場がどうであれ、人と人として対等という認識を確立している人であれば(つまり対人関係を上下関係としてとらえていない人であれば)、
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最近、というかこの4月に入ってからだけでも企業経営者や責任のある地位にいる人の失言のニュースをあいついで見たが、その人達に共通して見えるのが、人権意識の欠如感、よりうがった見方をすれば、対人関係=上下関係という認識の中で、自身が上であることを前提とした他者認識がうかがえた。
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「人として対等」という他者認識を持つためには、こうした素の対人関係理解を乗り越えなければならないので、日本の文化の中で人権意識の獲得はひとつハードルがあがっていると言える。
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日本の対人関係文化は、上下関係を前提として構築されているので、人と接する上で「他者を対等の人とみなす」という認識を獲得するのは難しい。
例えば、仕事の上などの利害関係のない人であったとしても、相手の立場や年齢の上下によって言葉使い(主語すら)が変わるという文化の中で生きている。
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そのように無意識に対人関係理解に「上下」が組み込まれてしまう。
(人によってはそこに依存してしまう。「なぜ自分がわざわざやってやっているのに感謝されないんだ」のように)
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◆抑圧、自己犠牲の代替としての「感謝」
ブラック企業における「ありがとうを集める」は今や有名だろう。
過重労働や低賃金の状況を、他者から感謝されるという「気持ちの問題」で補填するという行為がそこにはある。
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SDGsの啓発って一歩間違えると「貧乏人は麦を食え」や「欲しがりません勝つまでは」と変わらなくなる。
つまり、庶民への服従訓練。
社会的責任のより大きな企業の責任を明確にしてから、個人の取り組みを求める順序にしないと。
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>RT
「素手でトイレ掃除」を子供達に行わせることで獲得させられるものは
・自尊心、主体性の芽をへし折ること
・イヤなものをイヤと感じる認知そのものを狂わせること
・自己犠牲を美徳化し滅私奉公のような価値観を内面化させること
どれも全体主義やブラック企業に都合のよい人間形成につながる
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こちらも良書です。
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2022/05/12
◆子供を苦労させるという無自覚の子供蔑視
苦労させること、苦痛を与えることが教育要素であるとする感覚が、世の中には意識・無意識の内に無数にあるようです。
そこには子供蔑視がわかちがたくあります。
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「政治的なことを言うな」という空気ができあがる一方で、政治が家庭と子供に侵入しようとしている。
民主主義にとってこんな恐ろしいことがあるだろうか。 twitter.com/TR_727/status/…