僕のかつての同僚にこんな人がいました。 職員全員が残業をして職員会議をします。終わるのは20時~21時です。 女性のその同僚は、急いで帰らなければと言っています。聴けば、家で夫と大学生の息子がご飯を待っていると・・・。
下手でもいいからやってみるのです。 できないならできないなりに。買ってきたお総菜を並べたりするのだっていいです。 あんぐり鳥の雛のようにご飯ができるのを口を開けて待つ大人になるのは避けましょう。
少し視野を広げて考えてみます。 「花嫁修業」「家事手伝い」といった言葉が死語になってずいぶん長くたっています。 現代の女性は、男性であるあなたと同じように教育を受け社会に出てきています。 「女性だから、家事や育児が上手にできる」 などということはないのです。
男性であるあなたとまったく同じように、料理や家事や子育てや近所づきあいや子供の学校のこと将来のことはわからないのです。それで普通なのです。 ・男性だから家事ができない ・下手だからやらない とった言葉は、いいわけにならないどころか、百年の恋もさめる言葉になってしまいます。
しかし、いまの祖父母世代くらいの価値観は、それが「当たり前」とされていました。 男性は、仕事をして家庭のことは女性がやる・・・と。 もし、あなたが家庭のロールモデルをそうした祖父母世代を基準に考えていたら、パートナーとの信頼関係は構築されません。
かつてはそうであったかもしれませんが、今はもはやとっくに違うのです。 かつてはこうだったと強弁しても余計に女性からは距離をおかれるだけです。 現在はこうなっているというところを基準に考えましょう。
たとえかわいい我が子であったとしても依存されるのはしんどいものです。それがましてや本来、自分と対等の配偶者がというのでは耐えられるものではありません。 この耐えがたい状態を経済支配、子供への愛情論などで束縛してきたのが、これまでの家庭、社会の構造でした。
◆生活者としての自立 あなたは洗濯をしないで一生着られる魔法の服をもっていたり、水だけ飲めば健康にすごせる身体をもっていますか? そんなことはないですよね。 食事をしたり、洗濯をしたり、掃除をしたりそうした生活の要素があってはじめて人は生きていられます。
もし、大人であるあなたが、 「そんなことしたことないのでできな~い。だれかぼくのためにやって~」 という人であったら、その人は自立していない人なのだと周りはみなします。
男性は、無意識に女性や自分の下位者に機嫌をとらせる。女性は無意識に男性や周囲の人に対して、または自分の上位者の機嫌をとることをすり込まれてしまいます。 もし、男性であるあなたが女性と安定した関係を築きたいと思うのであれば、自分の機嫌は自分でとることを忘れないようにしましょう。
これは、 感情のセルフコントロール → 感情の自律 → 自立した人格 へとつながっていきます。 実のところ、誰かに機嫌を取ってもらわないとならない人は、その誰かに依存しているということです。 依存する方はラクでいいですが、依存される方からするとたまったものではありません。
◆不機嫌さ しばしば女性に男性の好みをたずねる中で「明るい人がいい」といった話しが聴かれます。 実はあの言葉の後ろには、女性が言いたくても言えない言葉が隠れています。 「不機嫌さをかもしだして自分のご機嫌取りをさせる男性はもうお腹いっぱいなので、どうかそれだけは勘弁してくれ」と。
今の社会には、「女性は男性の機嫌を損ねないように振るまい、さらには男性の機嫌をとるべきだ」というメッセージがまだまだたくさんあふれています。 このビジネス誌における記事などその典型例です。 president.jp/articles/-/521…
「性としての私」の前に「人としての私」をみてくれる人を、女性は信頼するのです。
では、どうすればいいかというと、相手を性的な要素ではなく人格としてみることをスタートラインにおきます。 互いの話を受け止め合ったり、共感をしあったり、意見の合わないことがあってもその上ですり合わせる努力をしたり。
恋人や結婚相手といった、プライベートも分かち合うような親密な関係はお互いの信頼と尊重の上に積み重なっていくものです。 その中では性的な関係に発展することもあるでしょう。 しかし、最初から自分のことを性的対象と見なしてくる人は信頼も尊重もしたくてもできないのです。
男性はこうした女性を「性的にみる」スタンスを無意識のうちに持ってしまってはいないでしょうか。 男性の仲間内でクラスメイトや同僚の胸の大きさをネタに盛り上がったり。 社会の中でこの感覚で女性と関われば、その女性はあなたへの信頼を深められません。その相手の女性が深めたくてもです。
例えば『クレヨンしんちゃん』では「お姉さんのパンツ何色~?」というセリフを幼児に言わせるという表現をしています。 こうしたものは、視る者に「女性を性的にとらえていいのだ」という感覚を自然とすり込んでいきます。
◆人格として他者をみる さらに他者からの信頼を得るため、ルッキズム、エイジズムの理解のもうひとつ先も目指してみましょう。 私たちの周りには女性を性記号化して描くものがあふれています。 子供向けのアニメですら・・・です。
実は女性は、ルッキズム、エイジズムで見られることに疲れ切っています。 もし、あなたがルッキズム、エイジズムを持たずに女性と関わることができたら、相手の女性はそのことだけでも、以前よりはるかにあなたへの信頼を高めることでしょう。
このことは恋人や配偶者といったパートナー間だけでなく、会社や学校での対人関係でも同様です。
もし、自身がルッキズム、エイジズムの感覚を持っているようでしたら、すぐには無理でも少しずつ客観的にそれをとらえながら、それと距離をおくようにしてみてください。
そこからなんとか自身の自己承認、自己防衛をするために、配偶者や子供を経済的に束縛しようとしたり、空虚な父親の威厳のようなものを振りかざして、かえって溝が深まるケースもあります。
もし、あなたがルッキズム(他者を容姿でジャッジすること)、エイジズム(年齢で他者をジャッジすること)の感覚を持ったまま、恋人関係や結婚生活を送れば、互いの関係性がうまくいかなくなるリスクは高まります。
ルッキズム、エイジズムを当たり前のこととして持っている男性が、パートナーとの関係を深められず、パートナーや家庭に不満を持ち、浮気をし、それにより配偶者のみならず子供にも愛想を尽かされ、家庭的に自己実現ができない男性が多数いることを知っています。