逆もありますね。例えば「イケメン」という言葉はマスメディアにたくさんあふれています。これは男性の容姿をジャッジする言葉であり、本来は社会がフューチャーして使う言葉ではありません。
しかし、私たちの暮らす日本という社会は、いまだにそうした古い価値観が根強く残り、それを無意識に「普通のこと」と思い込んでしまっています。
なぜこれがおかしな価値観であるかというと、それが若さ、年齢により女性をジャッジする一種の差別、蔑視であること。容姿により女性をジャッジする差別、蔑視であるからです。
僕は今ではこれがおかしな価値観であることを理解しています。 しかし、今でも周囲にはこうした価値観をそのままもっている大人の男性はたくさんいます。
また、女性のみなさんにおかれましても「男性のくせに勝手に女性の代弁をするな」とお怒りの向きもあるかも知れません。まったくもってその通りでございますが、不器用ながらもなにかしているのだとどうぞご寛恕下さい。
◆ルッキズム、エイジズム 僕は思春期の頃、「将来は若くてきれいな人と結婚するんだ」と自然といつのまにか思っていました。 そうした価値観が誰に教え込まれたわけではないのに。自分の周囲に漂う情報や人々の言葉から自然と学習していたのでしょう。
以下に書いてあることを読むと、「自分が責められている」と感じて怒りの感情に持っていかれてしまう人がいるかもしれません。 僕は責めているわけではないのです。
考えても見て下さい。 僕はあなたの個人的な知り合いではないはずです。 知りもしないのにあなた個人を責めることなどできません。 個人の存在を責めているわけでも、男性という属性を責めているわけでもありません。 行為や行動を検討の俎上に載せているのです。 どうぞそこをご理解下さい。
ここまで読んで下さった男性であればこの先も読めるかと思いますが、あらかじめ念頭に置いておいてもらいたいことがあります。 男性の持ちやすい特徴のひとつに、自分への否定に対して過敏に反応してしまうというものがあります。
僕はこうしたことの専門家ではありませんが、多くの人の育児、家庭の相談を受ける過程で女性が男性に求めている実際のところ、どうしたことを不快に思っていたり、どうしたことで信頼関係を築けたり、逆に不信におちいったりするのかを生の声で聴いてきました。
ざっくりとではありますが、自分なりに感じたそうしたところを書いてみます。 これが少しでも安定した対人関係やパートナーシップにつながり、よりよい人生を歩める人が増えてくれれば幸いです。
普段は、女性の立場に立って女性の自己実現や子育て、家庭の安定化について考えたり語ることが多いのですが、男性の側にもなんらかのアプローチが必要なのだと最近強く思うようになりました。
対人関係や異性との関わりについての情報は、意外なことにあるようでないのが現実です。ネタ化しているものは無数にありますが、それらは必ずしも実際の対人関係では生かせないものです。
【男性が幸せになるために】異性とのつきあい方 異性との関係の持ち方がわからなかったり、うまくいかない経験をしてしまうことで、人生を難しくしてしまう男性は少なくないようです。 僕は他者の家庭に関わる仕事柄、そうした悲しいケースをたくさんみてきました。
「女はわきまえろ」を言い方を変えているだけ。 ジェンダーギャップ120位の国だけはある。 twitter.com/hiroshima_pref…
児童虐待のひとつに、性行為やポルノ画像、アダルトビデオなどを子供に見せつけるものがあります。 相手が嫌がったり、とまどう行為を強要して支配欲求を満たすものです。 こうした事象には適切な治療が必要ですが、いまだそうした理解が進んでいない現状があります。
unicef.or.jp/kodomo/kenri/ 「子どもの権利条約」4つの原則 ・命を守られ成長できること ・子どもにとってもっともよいこと ・意見を表明できること ・差別のないこと 4つの権利 ・生きる権利 ・育つ権利 ・守られる権利 ・参加する権利
この点、児童ポルノの氾濫なんてもっとも「保守」が目くじら立てるような案件だったはずだよね。 僕みたいな個人主義、自由主義の人間はむしろ表現規制なんか大反対だもの。 失われた30年で、本当にいろんなものがあべこべになったこと。
上記後段やや修正 本来、保守とは「子供にひもじい思いはさせない、遊ばせ、勉強させ」「人を孤立させない」など地に足のついた価値観を多分に持っていたはずです。
もし現在の日本に「保守」なる人達がいまもいるのだとしたら、「子供になんてことをさせるのだ」ともっとも怒りの声をあげるような問題ではないでしょうか。 本来、保守とは「子供にひもじい思いはさせない」など地に足のついた価値観を多分に持っていたはずです。
子供、大人とも、憲法25条にあるように健康で文化的な生活をおくれるよう社会が福祉的な責任を果たす必要があります。 そうした税の再配分は、誰もが幸福追求権を持った福祉国家であるためにとても大切な支出です。
このヤングケアラーを美談化する動きは、自己犠牲の精神と自助が強調されることで、さらなる福祉切り、家庭・社会による子供・人々への抑圧が加速、固定化していきます。 あくまで子供の人権尊重の理念から、子供にケアをさせるのはあってはならないことと主張していく必要があります。 twitter.com/hoikushioto/st…
「ヤングケアラーを助けよう」の価値観には、「親孝行の美徳」のような家父長制の称揚につながるバックラッシュが感じられて怖い。 福祉国家はよ。 twitter.com/whatIvedone608…
「萌えエロは秋葉原でやれ」という声が散見されますが、秋葉原にも小学校や児童館、保育施設があります。 一応、念のため。
その上にできるのが対等の人格同士の関係、それがパートナーシップというもの」 「“人をエロで見るな。人格として見ろ” たったこれだけのことを僕は誰からも教えてもらえなかったので、それに気づくまで他者を傷つけてしまったこともある。あなたにはそれを繰り返して欲しくないと思うんだよ」