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子どもの頃、折り紙に入っている金色と銀色はもったいなくて使えなかったし、友達からもらったキラキラした折り紙ももったいなくて使えなかったし、かわいい鉛筆も削ることなく大事にとっておいていた。
全部全部、あの頃、惜しみなく使っていた方がよかったよね…って大人になってから思った。
2
かなり前の療育園での出来事。
自閉症児のお母さんが、「もう、こんな子育てられない。」って泣き始めて…
ダウン症児のお母さんが、「じゃあ、私にちょうだい。大事に育てる。」って言ったことがあった。
そのお母さん、二度と泣き言を言わなくなったし、お子さんを急にかわいがるようになった。
3
父が「酸っぱくて、ゴロゴロしてて、鶏肉とか、そんな感じの食べ物、あれは、とても美味しかったから、また食べたい」と言っていて、私の中で『鶏肉』という言葉が頭にこびりついていて、なんだか全く想像できなかったけれど、認知症の母に聞いたら、「酢豚よ」と即答していて、すごいな…って思った。
4
私は息子が2歳の時、もしも失踪してしまったときのために、町中の人に私たち親子の顔を覚えておいてもらおうと思って、親子で街の清掃をしていた。
通り過ぎていく人に挨拶をすることで、声をかけていただけるようにもなって、「いつもありがとうね。」と言われるたびに息子は嬉しそうに笑った。
5
息子がまだ小さかった頃、外食時、息子に取り分けていた時期があった。
私は息子に多めに取り分けて、息子が残したらそれも食べるという感じ。
ある時、水を汲みに行って、戻ってきたら、お皿になにもなかったから
「え?全部食べたの?」
と聞いたら、
夫が「残したから、俺が食べた」と答えた。
6
共通の友人の結婚式に同じ衣装を着て行けない…というツイートをみかけたけれど、私、若い頃(20代前半)、仲の良い友人に、「私、毎回制服みたいにこの服で出席すると思うけれど、お祝いしたい気持ちはちゃんとあるから許してほしい。」って言ったら、「じゃ、みんなでそうしよう🤣」ってなって、
7
母「最近のケータイショップの店員さんは知識がなくて全然話が通じない。桜子に聞けばいつも答えて解決してくれるのに」
私「それは間違いだよ。私は知識がないから、お母さんがわからないことがなんなのかがわかるだけで、お母さんはいつも、なにが知りたいのか伝わらない質問の仕方をしているの。」
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#フォロワーが体験した事が無さそうな体験
ATMで10万円おろし、お金を取り忘れたことに三日後に気づき、絶望的な気持ちで銀行に問い合わせてみたら、「通帳記帳してみてください。戻っている可能性があります。」と希望が持てるお返事をいただき、実際戻っていた。
「取り忘れ」と印字されていた。
9
「◯日、暇?」
引っ越しの手伝いをする体力はないが、お茶くらいはできるよ…みたいなときに、漠然と「暇か」と聞かれると、たとえ暇だとしても「その日は都合が悪いけれど、どこか行きたいところでもあった?」って、都合は悪い前提で、要件を聞き出すことにしている。
暇でも要件次第じゃない?
10
義母が私に服を買ってきて、「これ、良かったら着て。」と。
んと…良くない…と思って、
「ありがとうございます。でも、私、だいたいの服が袖丈が足りなくてサイズが合わないので、着てみますね。」って答えて、目の前で着せてみせて、
「あらぁ…たしかにサイズが合ってないわね。返品するわ。」
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発達障害の子の療育に関して、「私に任せてください。お子さんを変えて見せます!!」と目がギラギラしているタイプの人には、ASD児は、100%心を開かないので、療育施設を選ぶ時の参考にしてほしい。
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でもさ、もしも、子どもの頃の私の目の前に、大人になった私が現れて、それを伝えたところで、たぶん、私は使わないんだ。
大事に大事に引き出しにそっとしまって、時々眺めて、幸せな気持ちになっていたのだから。
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エレベーターの優先利用について
「車椅子の人がなぜ優先なの?健常者も車椅子の人も、来た順番に並んで乗れば良くない?」という書き込みをよくみかける。
健常者に見えても、内部疾患のある人はいるし、当然、車椅子の方限定で優先なわけではないのだけれど、
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自分の中では「誰かこの子を育ててください!」という感情は、愛情がないから、辟易としているから湧くのだと思っていたけれど、違うんだ…大事だから、すごく愛しているから、こんな私なんかじゃダメだと思うから、誰かお願い!って思うんだ…あ…私にもちゃんと愛情があった…とそのとき気づいた。
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先日、父の車椅子を押していたら、ベビーカーからのぞいた小さな足を見て、父が「おぉ…かわいいねぇ〜宝だねぇ〜。」ってか細い声で言ったの。
そしたら、女性はベビーカーを父の方に向けてくださって、赤ちゃんのお顔を見せてくれたの。
最近出逢う人が、優しくしてくださる方ばかりで嬉しい。
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このエピソード一つだけなら、
「私が食べようと思っていたのに、食べちゃったの?じゃあ、私、なにか追加で注文していい?」って言えば済む話なんだ。
こういう些細な出来事がいくつも重なって、当時、自分の気持ちを伝える元気まで奪われていたのだと思う。
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夫が、「息子は返事をしない」という話をしてきたので、
「あなたも、私が『ご飯できたよ』って言って返事してくれたことないよ。いつも、聞こえているのか、いないのかわからないよ。たぶん、心の中で了解してて、声に出してないだけだと思ってるけど、私も返事はしてほしいと思ってる。」と伝えた。
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当時の私は、他人事ではないくらいに育児ノイローゼで、「もう無理です。誰かこの子を育ててください。手をあげてしまいそうな私からこの子を守ってください。」と心の中では叫んでいたのだけれど「代わりに育てるからちょうだい。」と言われたら、やっぱり簡単には手放せないよな…と思った。
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息子は、今でも、ボランティアを当たり前のようにする。
街中で困っている人がいたら、すっと声をかけたりもできる。
認知症の両親の話も、丁寧に聞き、耳の遠い母からの質問も、何度でも答えてくれる。優しい子に育った。
幼い頃に積んだ経験は、その後の人生にきっちり反映されるのだと思う。
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その子は気持ちを楽にするのが目的で「みんなで」とは言ったものの、違うのを着てきてももちろん気にしない人で、私も気分で小物を変えたりして同じ服で出席できて、出費が嵩まずとても助かった。
こういう会話をしてもドン引きされない関係自体がありがたいのに、のってくれるその友人最高だ。
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熟年離婚を言い渡されて、「俺はなにもしていないのになぜ?」って言う人、一言で状況を説明できててすごいと思ってしまう。
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今ならそう思うけれど、当時、そういう会話をする元気が本当になかった。
ただでさえ育児が辛いのに、なぜ成人であるあなたに一つ一つ説明しないといけないの?
なぜあなたは子どもと一緒に食事しても、辛い物を迷わず選んで、好きなだけ食べて…ができるのに、私の分まで奪うの?って思ってたけど。
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その日から、こんな私じゃダメだから誰か育ててください!と思うのなら、「こんな私」をやめたらいいだけだわ…と考え方を変えた。
私は、「こんな私」を卒業した。私が変わったら、息子も少しずつ変わっていった。
あのお母さんの言葉を聴いていなかったら私はずっと苦しいままだったと思う。
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「じゃあ、私にちょうだい。大事に育てる。」
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これ、上辺だけの言葉ではなくて、本気のトーンだった。本気で育てる覚悟があったと思う。その方を救いたい気持ちでおっしゃってたと思う。
そのお二人の信頼、日頃の関係性があってこそ成り立つ会話なので、安易に使って良い言葉ではないと思う。
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いう気持ちが大きかった。
こういうことの積み重ねで、心は病んでいくのだと、今ならわかる。
子のことが最優先で、自分の不満を(いいの、いいの、私が我慢したら平和にことが進むのならそれでいいの。こういう些細なことで、穏やかで平和な時を壊したくないの。これでいいの)って思っていた。