セブンでドリップコーヒーを買ったんだけど、「おいしいコーヒーができあがりました」って表示を見て「おいしいかどうかはこっちで判断するんで」と思ってしまうくらいには余裕がない。晩御飯作りたくない。
事故で亡くなった男性が恋人に宛てたプロポーズの手紙をテレビで涙ながらに読み上げるアナウンサーの図、全方位的に気持ち悪いんだけど、仕事とはいえこんな非人道的なことをやらされるアナウンサーが不憫でならない。
「好きだからついつい意地悪しちゃう」「可愛いから泣かせたくなる」理論、「『愛情』なんだから喜んで受け止めるべき」が根底にあるんだろうけど、愛情があろうがなかろうが相手がイヤだと思ったらそれは単なる「イヤガラセ」でしかないんですよね。
「旦那が死ぬほど嫌いで離婚したいけどひとりでは生活できない(子供を育てられない)ので我慢するしかない」みたいな話を聞くたびに、自由で幸せな人生を送るために最も重要なのは自活できる能力なんだなと痛感する。
リアルな子供のラブドールに対する「欲望がエスカレートして生身の子供に手を出す可能性がある。規制すべき」って主張、本音は「キッモ。こんなもん売るなよ。キッモ」であり、己の生理的な拒否感にそれらしい理由を後付けしてるだけだと思ってる。
「『体調不良』とウソをついてズル休みをした」って言うけど、ウソをついてまで休もうとするのは明らかに心身がヤバい状態であり、まったくもって「ズル休み」ではないので正々堂々と休むべきだと思う。
「中学の時に好きだった彼、今どうしてるかな」って名前をググったら逮捕されてた。
「最も手間がかかる乳幼児育児の期間でもフルタイム労働者よりラク」って話が流れてきたんだけど、乳幼児期は「慢性的な睡眠不足」「隙あらば死のうとする子供」「毎日が予測不能のサプライズ」「片道5分のスーパーに行くのに何故か1時間かかる」といった諸々があるので、会社員と比較するのは無謀。
「金持ちの道楽」と揶揄されてる前澤さんの宇宙旅行ですが、ニュースを見た中学生が「俺らが大人になる頃には宇宙旅行も珍しいことじゃなくなるかもなー。頑張ってお金稼がなきゃなー」と言ってたし、子供たちにはある種の夢を与えたんじゃないかと思う。
「18歳以下に10万円一律支給へ」のニュース、「好きで産んでおいてお金もらうとか意味がわからない」みたいな意見を目にするたびに、いまや”子供”は贅沢品で娯楽の一種になってしまったんだなと実感する。
若い女性の中には「歳を取ったら終わり」と思い込んでる人も多いと思うけれど、負け惜しみでもなんでもなく、ババアになったからこそ得られる楽しみもあるのであまり将来を悲観しないでほしい。
子供用ハーネスに対する「しっかり手を繋いでいればいい。親の怠慢」みたいな批判は、「親は常に子供に全力を注ぐ完璧な存在であるべき」という「親の神格化」が原因なので、他人に苦言を呈する前にまず自分の中の思い込みを払拭するところから始めた方がいいです。
「学校のお勉強なんかできなくてもいい。個性を伸ばしてあげるのが大事」ってのは、それで食っていけるような特別な才能がある子にのみ有効な話であって、凡人が人生をイージーにするのに一番必要なのは、学校のお勉強をしまくることだと思ってる。
小さい子の育児は、「とにかく手がかかる」とか「自分のペースで動けない」ってのも大きいけど、一番のストレスは「ちょっと目を離すと死ぬ」なんじゃないかと思う。
実母は同じクラスにいたら絶対に友達になれないタイプなんだけど、義母はズッ友になりたいくらい最高な人なので実の親の傍よりも義実家の方が落ち着くというおそらく世間的には非常に稀な現象が起きている。
「他人の幸せに難癖をつけて攻撃したところで、自分が幸せになれるわけではない」ってのに気づかないのは愚かだなあと思ってたけど、おそらく、彼らは誰かが幸せになると自分が「損」したような気分になるタイプであり、相手に不快感を与えることで己の「損」を回避しようとしているんだと思い至った。
若い頃は私も「30過ぎたらババア」と恐怖に打ち震えてたけど、中年になった今は「30歳なんてピチピチギャルじゃん」としか思えない。つまり、10年後20年後の自分から見れば、現在の私は紛れもなくピチピチギャルであり、理論上一生ピチピチギャルでいられることがわかった。
河村たかし氏が「最大の愛情表現だった。金メダル獲得は憧れだった。迷惑をかけているのであれば、ごめんなさい」とコメントを出したらしいけど、この手の「好意なら何をやっても許される」と考える人間は同じことを何度も繰り返すので、メダリストの皆さんはもう二度と表敬訪問しないほうがいいです
「赤ちゃんはママを選んで生まれてくる」説。母親には「選ばれたんだからすべてを受け入れるべき」とプレッシャーを与えるわ、授からない人には「私は選ばれない人間なんだ」と絶望を与えるわ、子供とっては究極の自己責任論になるわで、最高にクソな言説だと思う。
「多様性を認めよう」だと「いや、認めん!」と反発を食らうことがあるので、「みんな違ってどうでもいい」くらいの気持ちでいるのがベストだと思ってる。
我々は惣菜を買っているのではない。心のゆとりを買っているのである。
今日9/25は、日ごろ家事や育児を頑張る主婦がリフレッシュする「主婦休みの日」らしいんだけど、今日休んだところで明日が「主婦2倍デー」になるだけじゃねえかと思ってしまってアレ。
「『ママかわいいね』ではなく『おいババア』と言うような息子ができあがれば子育て正解」って話。私はどちらも言われたことはないが、小学校低学年の頃だったか、息子が私に抱きついて「お母さんって、ドクダミの匂いがするね!」と満面の笑みで言ってきたことならある。正解だと信じたい。
夫に「私、太陽を見るとクシャミが出るんだよね」と話したら「え、奇遇。俺、耳かきすると咳が出るよ!」って嬉しそうに言われたんだけど、よくよく考えると何が奇遇なのかわからないな。
「ごんぎつね」の肝は「改心したところで一度押された烙印は消えない」というある種の脅迫だし、小学生向けの教科書に載せるにはなかなかヘビーな内容だと思う。