これって結局「俺たちにチヤホヤされる若い子が羨ましいんだろ?」って話だろうし、「ジジイ、めちゃくちゃ自己評価高けえな」と思ってしまう。 t.co/FsG1VKKUMm
ドンキで店員さんが弁当に箸をつけたら後ろの客が「こんなにレジに並んでんのに箸なんかつけてんじゃねえよ!」と怒鳴りつけてるのを見たことがあるんだけど、店員さんはビー玉みたいな目で「申し訳ございません」と言ったあと何事もなかったかのように仕事を続けててスゴかった。
「なぜかポイントカードがないんだよね」「ご登録の電話番号を」「登録した覚えない」「会員様ですよね?」「知らないよ。そっちでわかんねえの?」「登録されますか?」「面倒だからポイントカードだけくれよ」ってやり取りを聞いて、接客業は本当に大変だなと思った。
今日からスタートする「鬼滅の刃 遊郭編」をリアルタイムで見るために起きてる。「明日は学校でしょ!テレビなんか観てないで早く寝なさい!!」とお母さんに怒られないので、オトナは本当に最高。
ウーマンラッシュアワーのネタは街頭演説だと思うようにしてる。
ある日突然、いわゆる「マイノリティ側」の立場になったことがある。それまで普通に付き合ってた人から憐れまれたり距離を置かれたり攻撃されたりして、本当に混乱した。組織のトップがたまたま多様性に理解があるタイプだったから生き延びられてるけど、「不寛容な社会は人を殺す」はガチだと実感した
「『悪あがき』って何?」って聞かれたので「お母さんが体重計に乗る時におなか引っ込めるじゃん?アレ」って答えたらすぐに伝わったので是非みなさんも使ってみてください。
「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう。会いに行かねえけど」の気持ちでやっていきたい。
自分とは別の考え方を持つ人間に対して「お前は間違ってる!大至急正せ!」と己の価値観を押し付ける人がいるけど、「価値観に正しいも間違いもない」と認識することが、すなわち、多様性を認めることだと思ってる。
「多様性を認める」を「世の全ての価値観を受け入れること」と考えるから反発するんだろうけど、そもそも世の全ての価値観を受け入れることなんてのは不可能なので、「コイツはクソ」と思っても「クソは失せろ」と攻撃せず、クソからそっと離れるだけにとどめる。それが多様性を認めることだと思う。
根性が捻じれまくってるので「キミのためなら死ねる」みたいなことを言われても「『キミのためなら死ねる』って言っちゃう自分が好きなんでしょ?」と思ってしまう。死んでくれなくていいんで、とりあえず風呂の掃除でもしててほしい。
「なんやかんやでモテるのは事後に股を拭いてくれる男」と主張すると半笑いで流されがちなんですが、これは「放出直後の賢者タイムでさえも相手を思いやれる人格者」の意であり、あながち見当外れではないと思ってる。
「○○は最高」と個人の感想を述べただけなのに「○○以外」を否定されたと解釈する人が出てくるので、世の中から戦争はなくならない。
「疲れてるのにポテサラなんて最高に面倒なものを作って偉い」とお褒めに預かった。肉体的に疲れてる時にはネギを刻むのすらイヤなんだけど、メンタルがやられてる時にはめんどくさい料理に救われる。作業工程をこなすことに集中できるので余計なことを考えなくて済むし、達成感もハンパないからである
KinKi Kidsはデビュー25周年らしいんだけど、堂本光一さんの変わらなさは異常。
セブンでドリップコーヒーを買ったんだけど、「おいしいコーヒーができあがりました」って表示を見て「おいしいかどうかはこっちで判断するんで」と思ってしまうくらいには余裕がない。晩御飯作りたくない。
モノが行方不明になるたびに「定位置を決めればいいじゃん。使ったら元の場所に戻すだけのことがなんでできないの?」と言われるんだけど、使ってる最中に「あ、ゴミ出し忘れてた!」とか他のことを思い出して作業してるうちに、気づいたらなくなってる。常に頭の中が騒がしいので集中できない。
紛失したリップクリームがカバンの中から3つ出てきたり、さっきまで手に持ってたスマホが行方不明になったり、話がいちいち脱線して途中でなんの話をしてるのかわからなくなったり、みたいなことが日常茶飯事なんだけど、ある種の特性持ちだと医者に指摘されるまで”人間あるある”だと思ってた。
あるエッセイに感動して「私には絶対書けない。能力もさることながら、インプットが足りないんだろな」と夫にこぼしたら「扉の前にカバンをボンと置く等思いやりに欠ける場面が多々ある。そういう想像力の欠如が文章に表れるんであって能力やインプットの問題ではない(要約)」と真顔で言われて瀕死。
女風呂を覗きたがる変態、女湯に幻想を抱きすぎだと思う。
公的文書なのに「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない姿勢」って一文があって10度見した。私の中でみずほ銀行は小5男児として認識されてしまった。 fsa.go.jp/news/r3/ginkou…
昔、育児ノイローゼ気味になったとき「2時間だけ独りにさせて」と子供を夫に渡して独りでお茶しに出掛けたことがあるんだけど、「泣いてないかな?」「おなかすかせてないかな?」と赤子のことが気掛かり過ぎて全然リフレッシュできず、コーヒーを一気飲みして秒で帰宅したことがある。
起きている時間のほとんどが「誰かのために何かをしている」状態なので、「自分のためだけの時間」を死ぬほど欲してるんだけど、いざそれを手に入れると「カフェでツイッターを延々眺めてるだけ」みたいな感じになるの、本当にアレ。
若いころは「とにかく美しくありたい」とダイエットに勤しんだけど、最近は「とにかく足腰に負担をかけたくない」が先行するし、ストレッチや筋トレは健康に死ぬためにやってる。
野球のルール、全然わかんないのに日本シリーズがめちゃくちゃ面白い。