セックスアピールの対比で「巨乳」に対して「巨根」を持ってこられると全然わかってねえなと思う。そこは「ネクタイを緩めた時に見える首筋」であるべき。
「これは正解なのだろうか?」と日々迷いながら手探りで育児をしている人間なので、ベリーの「意味があるかどうかわからんことをやる。だれかのことを思いながらやる。それでええんちゃう?」がめちゃくちゃ刺さってしまった。#カムカム
安子、オールスター感謝祭のミニマラソンで森脇健児と対決してほしい。#カムカム
またNHKが最高の番組を始めた模様。 nhk.jp/p/ts/MKP974JQR…
もう長いこと圧力鍋を使ってるのに、いまだに”調理中に爆発、フタが直撃して頭が吹っ飛ぶ”のイメージが拭えない。シュッシュッ言い出すとサッと持ち場を離れて遠巻きで眺めてしまう。
仕事を終えたのに家に帰ると「晩飯づくり」という名の第2ラウンドが始まるのしんどい。座ったら二度と動けなくなるので、無の感情で台所に直行してる。
本来なら号泣必至の安子の独白なんだけど、「大放送事故じゃん…」と思ってしまって集中できなかった。国語5なので、宣伝してもらうはずだった映画関係者や番組ディレクター、とんでもなく動揺してるであろう磯村吟、通訳さんなんかの心情を勝手に想像していたたまれない気持ちになった。#カムカム
悪口でストレス解消しようとすると、負の感情が蓄積された挙句、精神はひたすら消耗していくだけ、と気付いたので、最近はしんどい時はとにかく好きなモノに首までどっぷり浸るようにしてる。
夫に「子が友達と楽しくやってる姿を見ると非常に嬉しい気持ちになる一方、ああ、もう親のいない世界で生きていけるのだなと寂しくもある」って話したら「え?俺は寂しさ1ミリもないわ。親のいない世界で生きられるようにするのが最終目標なんだし、喜びしかないわ」と言われて自分の未熟さを痛感した
「死ぬ勇気があればなんでもできる」ってフレーズ、なんで何かをやりたい前提なんだよと思う。この手の励ましは「もう何にもしたくない。とにかく人生を終了させたい」ってタイプの人間にはまったく響かないと思う。
4か月ほどガチダイエットをして6㎏ほど体重を落とし、体年齢は実年齢-10歳になったんだけど、少しシュッとした体を鏡で見るとウキウキするし、訳もなく出歩きたくなる。ダイエットは身体の健康だけでなくメンタルのそれにも効果的なんだなと実感してる。
4月なのに気温5℃をぶっこんでくる地球規模のエイプリルフール。
「ウィル・スミスの平手打ちは、妻の名誉を守るための勇気ある行動なんかではなく、メンツを潰された腹いせ。妻を侮辱されて恥をかかされたので男性性を誇示するために殴った」っていう解釈をみて、それが正解かどうかはさておき、「あー、そういう男いるよねえ」と納得してしまった。
昔は、お笑いウルトラクイズの「人間性クイズ」で息ができなくなるくらい笑ったのに、ある頃からドッキリ番組が苦手になってしまった。人が騙されて恥をかいたり困惑したりする様子を見せられると居たたまれなくなるし、ただただ地獄みたいな気持ちになってしまう。
子供の頃から「苦労すれば報われる」と刷り込まれてきたのに「休みもロクに取れず肉体的にも精神的にもキツいのにめちゃくちゃ給料の安い仕事」が存在するの、本当に意味がわからない。
夫は「結婚記念日に花束を買ってくる」みたいな派手な愛情表現はしないんだけど、「私の作った食事にダメ出ししない」「趣味を押し付けない」「私がツイッターに集中してる時には完全放置」のような地味にありがたい対応をしてくれるのでかなり好き。
「何もしなくてもご飯が出てくる」「何もしなくても部屋が片付いている」ってのは本当にありがたいことなんだな、と温泉旅館に泊まるたびに実感する。
お台場にある「ドラえもん未来デパート」の「どこでもドア」、本当に指定した場所に行けるのでスゴい。
大好きだった人を大嫌いになる時ほど悲しい瞬間はないなと実感した。人を好きでいられることの幸せを噛み締めたい。
「怒り」に対する反射神経が鈍い。失礼をされてもその場ではニヤニヤ受け流してあとで「え、あれ、めちゃくちゃ失礼じゃない?」「言い返せばよかった」と時差で悶々としてしまう。ウィル・スミスの一件については暴力は論外だけど、あの手の怒りの瞬発力は羨ましく思ってしまう。
ラベルの裏のおみくじ。「ラベルを剥がして捨ててください」よりも遥かに効果があるだろうし、人の気持ちを動かすためには、こういう斬り口を変えたアプローチって大事だよなあとしみじみ思った。
夫に「タイムリープして子供を赤ちゃんから育て直したい。きっともっといい親子関係が築けると思う」と話したら「『クソッ、何度タイムリープしても”テスト前にゲームするんじゃない!”とブチ切れながらコントローラーを戸棚に隠す母親になってしまう!』ってなるだけだから無駄」と言われてつらい。
母親になったことは後悔していないけど、「あの時、ああすればよかった」が人生の大半を占める私なので、今の記憶を保持したままタイムリープして、もう一度、子供を新生児から育ててみたいと思うことはある。ていうか、ありすぎる。
ただ心のモヤモヤを吐き出したいだけのツイートに正論めいた批判がぶら下がってるのを見るたびに、ツイッターは愚痴を吐いてスッキリできる場所ではなくなったのだなと思う。
「子供の読解力や語彙力を高める効果があるので、幼い頃から積極的に読み聞かせをすべき」って話をよく聞くけど、読み聞かせの一番のメリットは、親と子が親密で楽しいひとときを共有できることだと思ってる。