嫌がる子供を無理やりジェットコースターに乗せた後、大泣きしている子供に「楽しかったでしょ?ね?」と何度も確認する親御さんを見たことがある。おそらく我が子を楽しませたい一心だったんだろうけど、その思惑は成功したとは思えない。子供を「別の人間」と考えられないことが生んだ悲劇だと思う。
もういい歳した中年なのに、心の中にお母さんに褒めてもらいたがってる幼いままの自分がいることに気づくと情けなくて悲しくてどうしようもない気持ちになる。
ATSUGIのアレ、なんであんなトンチキなことをしたのか考えたんだけど、タイツ着用のエロ絵を募集&公開→タイツフェチ男群がる→「エロい!」「タイツ女子最高!」といった声が集まる→それを見た女子が「タイツを履くと男性にモテる」と思い込む→タイツ爆売れ、という目論見があったんじゃなかろうか
金メダル、本来なら最高に嬉しい思い出の品になるはずだったのに、それ見るたびに市長に齧られた記憶が蘇るの地獄すぎる。河村氏は、本当に取り返しのつかないことをしたと思う。
「人によって態度を変える人間」はクズ扱いされがちだけど、私は、相手が敬意を示してくればこちらも敬意を示すし、相手がウンコ投げてくればウンコを投げ返す。これはもうある種の礼儀だと思ってる。
「母親の一番の不幸は息子と結婚できないこと」って台詞を考えた人、「息子チャンは小さな恋人♡」みたいな層にウケると思ったんだろうけど、「小さな恋人」と「結婚」では生々しさが段違いなことに気付いてほしい。
NHKのニュースでデカデカと「固定概念」ってテロップが出てて衝撃。「的を得る」同様、もう日本語的にアリになったってことなんだろうか。
10近く年下の女性との会話から誕生日を推測してプレゼントを買ってくるというキショさ極まりない行為も坂口健太郎だとなんとなく許されてしまう。「人間は所詮顔」の現実を突き付けてくる朝ドラ。#おかえりモネ
「彼女や嫁の浮気って圧倒的に『男性側の甲斐性なし』(が原因)なんだよね。残酷だけど、男より女はその辺の嗅覚鋭いので」ってツイートに「嗅覚が鋭いのにわざわざ『甲斐性のない男』を選ぶ理由って何ですか?」ってリプライがついてて最高だった。
ちむどんどんで「母親の一番の不幸は、息子と結婚できないこと」って台詞があったらしいけど、婚約者と別れて数日で別の女にプロポーズもそうだし、今期の朝ドラはどんだけ視聴者にキモがられるか選手権を開催してるとしか思えない。
スカッとジャパン的な解釈で絶賛コメントがたくさんついてるんだけど、私には年長の娘さんが無自覚にいろいろ背負いすぎているようにみえて、非常にしんどい気持ちになってしまった。 twitter.com/sayomamas/stat…
晩御飯のメニューについて聞かれたので「夜は揚げ物」と答えたら「そんな”春はあけぼの”みたいなノリwww」と草を生やされる非常に文化水準の高い会話をした。
とんでもない名文を読んだ。ランジャタイはふたりともセンスの塊。 jasonrodman.tokyo/ranjyatai-ito-…
河瀬直美監督が撮影中の「東京オリンピック2020」のドキュメンタリー映画、史上最高のパニックムービーになっちゃうだろうな。
担任の先生と雑談してたら「私、小学生の娘がいるんですが、今年度PTA役員に選ばれちゃったんですよー」と言い出して「教師すらも??」とビックリしたことがある。
1.マッシュルームを10個くらい用意してスライス 2.マッシュルームと水を鍋に入れて火にかける 3.ふつふつとしてきたら火を止めて10分置く 4.10分後、強火で沸騰させる 5.沸騰したら火を止めて味噌を投入 白くて軟弱そうなキノコなのに干し椎茸ばりに旨味を出してくる。騙されたと思って試してほしい
夫に「『人生を辞めたい』とか思ったことない。せっかく生まれたのにもったいなくない?」と真顔で言われたことがある。脳の設計が違いすぎる。
婚活女性は相手の学歴や収入にこだわりがあるみたいだけど、私個人の経験からいえば、楽しい結婚生活を維持するのに一番最適な相手は「自分のことは自分でできる人」だと思ってる。
どうしてもひとりで「あつ森」がしたくて自分専用のSwitchを買った。私は子供の頃、親の方針でファミコンをはじめゲーム機の類を一切買ってもらえなかったので、誰にも遠慮せずに好きな時に好きなモノをすぐに買えるオトナってやっぱ最高だなと思った。
「好みでTLを作ると思想が偏るから、嫌いな人間もフォローすべき」って話が流れてきたので試しに絶対に友達になれないタイプをフォローしたことがあるんだけど、視界に入るだけでスマホをぶん投げたくなった。私にとってツイッターは娯楽でしかないので、今後も好きな人だけフォローしていくつもり。
「日本に生まれた時点で成功なんだから親ガチャ云々言うのは甘え」って意見、「死ぬこと以外はかすり傷」と同種の嫌悪感がある。自分を鼓舞するための言葉を他人に投げつける暴力性について今一度考えてほしい。
求人広告に「アットホームな職場です!」をウリしてる会社があるけど、ぶっちゃけ面倒臭さしか感じないし、むしろ「馴れ合い厳禁!割り切った職場です!」とアピールした方が人が集まると思う。
夏に「高齢者は熱中症対策を」と注意喚起しても亡くなるお年寄りが絶えなかったときに、実母(70代)が「老人は自分を高齢者だとは思っていない。実際あたしも気持ち的には40代」と言ってたので、コロナ対策しかり「高齢者」みたいな曖昧な表現はもう廃止した方がいいんじゃないかと思う。
夫の厳しくも冷静な一言にいつも救われていて「彼と出会えたことが人生最大の幸運」くらいに思ってるんだけど、先日その厳しくも冷静な一言にブチギレて「離婚だ離婚」と役所に走りそうになった。今思えば彼は平常運転だったし、同じ言葉も己のメンタルの調子で受け取り方が全然変わるんだなと実感した
「ツイッターには冗談の通じないバカが多い」と嘆く人もいるけど、「冗談」には信頼関係が必要であり、見ず知らずの有象無象に冗談を飛ばして受け入れてもらえると思うのがそもそもの間違いではなかろうか。