悪意を持ってクレームをつける人よりも、正義感でクレームをつける人の方が悪質なんだよな。悪意でやる人は自分が飽きるか満足すればやめるけど、正義感でやる人は周りに正義を認めさせるか、自分で間違いを認めないとおさまらない。間違わないことは無理だけど、間違えたら認める強さを持てたら。
がんばったら、自分にごほうびをあげてね。「がんばっても報いてもらえない」と思える時には、いっとう自分にやさしくしてあげてね。みんなが認めてくれても自分が自分を認められなきゃ苦しいし、たとえ分かってくれる人がいなくても自分が自分を認めてあげられるなら前に進めるから。
できなかったことは「だから自分はダメだ」とか「あの人はできているのに」と否定するほど苦しくなるけれど、認めてやると軽くなる。「今の自分には難しかったね」、「でもできないことがあるのは悪いことじゃない」と認めてあげること。今を認めてこそ「次はどうしよっかな」って未来に繋げられるから
自分のがんばっていることは、自分がきちんと認めてあげなきゃならない。何かができたことはもちろん、上手くいかなくても努力したこと、何気なくやっている家事や習慣、ささやかに誰かを気遣ったことも全部ほめてあげたらいいんだ。誰かに認めてほしいという前に、自分が自分の努力に気づいてやれたら
別に答えとかは求めてないんだけどただ今抱えてるものをどあああって誰かに話したい時は、「私は今からとにかく話したいから話すけど答えはいらないし『はいはい、あっ注文お願いしまーす』くらいのノリで聞いてほしい」と一言前置きするとお互い楽やで。
ガーッとがんばっていた人ほどバタッと倒れるのを何度も見てきた。 コツコツがいい。コツコツ、地味でも目立たなくても、一歩ずつ、最後まで。それが一番すごい。
何にもなさそうな子に限って何かを抱えながら生きているんだ。元気そうに見えるのはそう見せているだけ。間違っても「○○って悩みとか全然なさそうだよね〜」とか言っちゃいけないし、言えばその子の悩みは一層深いところに落ちていくし、そんな子が打ち明けられる場所を作ろうとする方がずっといい
ついカッとなりそうな時は、自分の前に鏡があると考えてみよう。 はたしてきれいな顔か、醜い顔か。 叱るべきこと、きちんと指摘した方がいいこともあるけれど、感情任せに怒るのは別の話だ。 理不尽に怒るのが習慣な人には、ちょっと鏡突き出してみたいよね。 人生いい顔して生きた方がいい。
何があっても肯定してくれる存在は貴重だけど、道を誤りそうな時に「それは違うんじゃない?」って言ってくれる存在はもっと貴重だし、そう言われたらきちんと耳を傾けられる人でありたいな
【がんばりすぎチェックリスト】 ・何をするにも「がんばらなきゃ」と思う ・上手くいかないと自分の力不足のせいにする ・完璧主義で、いつもできなかったことに目を向けがち ・休むことに罪悪感を感じる 当てはまった人は、まず一息ついて、自分を労わってあげよう。 休むことも仕事です。
「高校生の時、駅で知らないおじさんに突然ブスって言われてから自分に自信が持てなくなった」というツイートを見かけてお怒りなんだけど、ブスって言われたら「私は貴方様の美しさを理解できないほど低脳な人間です」に変換しとけばいいと思うわ。ブスなんて言うような人はアイドルにだって言うからね
「こうしたらいいよ」「こうするのもアリじゃない?」を「何がなんでもこうしろ」と捉える人がいるし、「これってどうなのかなぁ」を「こういうやつ大嫌い絶対許さない」と解釈する人がいるけど、多分本人が普段0か100かの思考なんだよね。極端な思考は人にも自分にも牙をむくから認識の自己点検大事。
「差別をするのも多様性」って言い出したら「人をナイフで刺すのも多様性」って言うのと同じになる。人の自由を加害するものまで権利やら自由やら多様性って言い出したらひっちゃかめっちゃかになるんだよね。多様性って合理化しやすいし、自由の意味を履き違えないようにしたいなぁ、と思う今日この頃
先日26歳の友人が「私はもう26なのに何もできないダメ人間だ…一生日陰で生きていくしかない」って言っていたんだけど、26なんてまだ人生の4分の1でしかない。春夏秋冬でいうならまだ初夏。春が上手くいかなかったからって「今年はもうダメだ」って諦めるようなもん。最後の一日まで人生に遅いはないよ
「私はもっと頑張らなきゃいけないのに」 と焦ってた。誰に言われたわけでもなく、自分が勝手に人と比べて落ち込んで。「このままじゃいけないのに」と追い込んで。 でも人にはそれぞれ段階がある。1段登ってこそ2段目を踏むように、瞬間移動で屋上に飛ぶことはできない。自分らしく踏み出せばいいんだ
なんかあってメンタルズタボロの時何も聞かず側にいてくれる存在は偉大だし、理不尽なことされても不満を言い出せない時自分の代わりに怒ったり泣いたりしてくれる存在は尊いし、しょーもないネタで一緒に笑いあってくれる存在はすこすこのすこ。
誰かの幸せを妬んだところで、幸せは返ってこない。誰かを蹴落とせば自分が幸せに思えるのは錯覚で、むしろ足を引かれて一緒に落ちていくこともある。幸せは誰かと比べるものじゃないし、他人から評価されるものでもないんだ。自分の心にストンと落ち着いて、人に揺すぶられないような幸せを持てたら
好きな人の全部を好きにならなくてもいい。「この人のこと好きだけど、ちょっと合わない所もあるな」って思えたらそれでいい。一個嫌いな所が見えたからって今までの好きを全否定する事もないし、自分を無理に合わせる事もない。逆に嫌いな人に「いい所もあるじゃん」って好きな一面があってもいいしね
昨晩人がガラガラの銀行に行ったら隣のサラリーマンが突然「てめぇんだよ!」「ふざけてんのか?!」「なんとか言ってみろよ!」ってATM相手にキレだして最終的に「てめぇなんかこうだ!」ってしょぼい蹴りをして出てったんだけど、多分Twitterで荒れてる人も機械に当たってる感覚なんだろうなと思った
なんと…! この度、Webメディアsoarさんに取材していただきました! ・アダルトチルドレンとして生まれ育った経緯 ・克服のきっかけ ・Twitterで発信をするようになった理由など 今まで書ききれなかったことを記事にしていただきました! 読んでもらえたら嬉しいです🐧 soar-world.com/2019/09/04/nan…
「自分ひねくれてるな」と思ったら「よし次はもうちょっと素直に受けとめてみよう」と思えばいい。「やらなきゃ」じゃなくて「やってみよう」と肩の力を抜いて荷を降ろすようにすればいい。「だからダメだ」じゃなくて「次はこうしよう」と希望を持てばいい。いつも緊張して生きてたら疲れちゃうもんね
「今がダメだから変わろう」と思うと、なかなか変われないからつらいんだよね。変わりたいのに変われないからもどかしくて情けなくて。そんな時は「ダメだから変わろう」から「変わったらこう良くなるからやってみよう」に転換してみて。自分を否定してやろうとするより、自分のためにがんばれたら。
同じことをしてもらっても、ある人は感謝し、ある人は「当たり前」と思う。 そして人生得をするのは、圧倒的に前者の方。 感謝する人にはもっとあげたくなるし、与えても価値の分からない人にはそれ以上あげたくないものだ。 どんな些細なことにも、「ありがとう」を忘れない人でありたいね。
とにかく誰でもいいから悪口を言いたいタイプの人には、何を言っても無駄。 こっちがどんなに誠実に対応したり、誤解を解くために言葉を重ねたところで、また別の文句を見つけてくるだけだ。 そんなくだらない人の言葉には、構ってやる価値も傷ついてやる価値もないよ。
人生を決めるのは自分だけど、決めた通りになるとは限らない。 それでいいんだ、思い通りにならない事が当然なんだ。 進路を決めるのも自分、努力するのも自分、でもどうなるかは分からない。 合格先で嫌な奴に会う事もあれば、落ちた先で親友ができる事もある。 思い描くものが全てとは限らないからさ