自分の過ちを認められない人って、きっと過去に間違ったことを否定された経験があるのよね。理由も聞かれず「なんてことをしたんだ!」とただ責められた人は失敗に臆病になるし、事情を受けとめて「次はこうしたらいいよ」と言えたら前を向ける。過ちは犯した側だけでなくて、出くわした側も大事だよね
日本はOne for allだけど、All for oneではないよな、とふと思った。 個人が全体を気遣えるのはとても良いことだけど、全体のためにその個人を犠牲にしがちなんだよなと。 全体も個人も大事にできるようになれば、今よりもっといい国になるんじゃないかなぁ。
誰かの為に頑張れる、というのは素晴らしいことだけど、自分の為にも頑張れるようにならないとその誰かを失った時に虚無になるので気をつけた方がいいよ。例えば「恋人の為に綺麗になる」だと別れて荒れたりするから「自分がテンション上がるからお洒落する」とか自分の為の理由も持てた方がいい
人の好き嫌いはどうしようもない。 どんなに頑張って料理をふるまっても、相手が嫌いな物だったら仕方ない。 無理して食べてくれることもあるけれど、もし「まずい」と言われて「こんなに頑張ったのになんで!」と怒ったらお互い苦しいだけだ。 頑張ったら必ず喜ばれるのではなく、頑張る方向が大事。
自分にできない事があった時は、「できないからダメだ」と思うより「自分には“まだ”できない」「これはできないけど他の事ができる」と思えばいいんだ。 小学生に高校の勉強を教えても難しいように、できるまで時間がかかる事は大人も沢山ある。 焦らず打ちこむもヨシ、選択肢を増やすもアリだよね。
相手に距離を取られた時に、すぐ「私、何か悪いことしちゃったのかも」「私、嫌われているのかも」と自己否定する人は要注意。 何でもかんでも自分のせいにする癖は、人生を生きづらくする。 そういった時は自己否定するのではなく、タイミングややり方がまずかったんだなと思って改めるといいよ🙆
新しくなりたいなら、新しいものに触れてみればいいよ。 新しいものを見る事。 新しいものを聞く事。 新しいものを探す事。 変わりたいと言いながら、来る日も来る日も同じところをグルグル回る。 それじゃ何も変わらないんだ。 いつもと違う道に目を向けてみる事、ちょっとした事で人は新しくなれる。
努力は大事。 才能も大事。 でもそれ以上に、タイミングが重要なこともある。 少しくらい足りなくたってやりさえすればできる時もあれば、どんなに条件が揃っていてもできない時もある。 誰のせいでもなくタイミングが悪かった時には諦めないこと、思わぬ機会が訪れた時には迷わず掴むことが大事。
理不尽な目にあっても耐え忍ぶことは、誰が気づいてくれなくたって立派なことだ。誰もほめてくれなくたってすごいこと。感情に任せてグーで殴るのは簡単だけど、それをしないで歯を食いしばったあなたは無条件偉い。でも抱え込み過ぎて潰れちゃならんから、頼るとこは頼っていいし愚痴ったらいいんだよ
ネットでなら中傷もOKじゃなくて、むしろネットに書き込んだものこそ確実に残ると思った方がいいよね。実際一度ネットに書いたものは削除しても履歴に残るし、専門家が調べれば匿名でも足がつく。後から情報開示依頼して訴訟もできるし、対面でボイスレコーダー取られるよりリスクあるものなんだよなぁ
色々あった家庭で育った身としては、子どもの頃町で両親と笑いながら手を繋いで歩く別の子とかを見ると正直切なかった。 でもこの間知人の子どものお誕生日会で、プレゼントもらって照れ笑いしてる子どもたちを見て、ほんとかわいいなぁ幸せになれよと思えた時大人になったなぁと実感した。
私には一生かけて恩返ししたい恩師がいるけど、最高に嬉しかったのは「あなたがあなたを諦めても私はあなたを諦めない」と言ってもらえた事。自分でも「もうだめだ」って諦めちゃうような時にも信じてくれる存在はこんなに偉大なのかと実感したし、私も同じように誰かを信じられる人になりたいと思った
精神科・心療内科に行く=弱者・異常者 こういった偏見が未だにあること自体驚きなんだけど、ほんっっとうにそんな人の目なんて気にしなくていいから!! そんな人のせいで受けるべき治療を受けられない方がよっぽど問題。 倒れてからじゃなくて、気になることがあるだけでも迷わず行ってみてほしい。
自分が大人になってわかったけど、子供のわがままに振り回されたり損をするのはべつに嫌じゃないなって。それを過度に責める大人が周りにいると萎縮していつも人の顔色を伺う子になるし、命の線だけ守ってあとは寛容に育てれば自分で好きなことして自分で痛い目みて自分で学んで育つ子になるんだよね。
悩んでいる事に対して「気にしなくていいよ」と言われて心が軽くなる人と、「気にしている私がおかしいのかな」って追い討ちかけられちゃう人と両方いるんだよね。その人が辛かった心は否定しちゃいけないと思うし、誰かに「そんな事」扱いされても「私にとっては辛かった」も大事にしていいんだなって
人間なので自分と合わない人がいるのは当然なんだけど、それを「みんなもそう思うでしょ?」って他人にまで同意を求めるのは違うと思うんだ。自分がしっかりしてればサシでケリをつければいいこと。仲間を呼ばなきゃ戦えない相手なんて、ちっぽけな存在だと思えばいいよ。
自分を作ったら生きるのも楽だ。 怒りやすい人はカーッとなる時に一呼吸するように作ること、忘れっぽい人は必要なことをメモで確認する癖を作ること、落ち込みやすい人は気分を上げる手段をいくつか用意しておくこと。 自分を変えることは難しいけど、自分とうまく付き合っていく方法は沢山あるよね。
「失敗したら終わり」と考えるのか「失敗したら何とかしよう」と考えるのかで人生の幅が変わる。はじめから100%ミスなく完璧を目指そうとしたら何もできなくなってしまうよね。失敗こみで仕事、失敗こみで挑戦、失敗こみで人生と思えば、ハードルもだいぶ下げられる。肩の力を抜いて生きていこう。
夢を叶えた人の中で、途中諦めたいと思わなかった人はほとんどいない。誰にも反対されず、皆に応援されて成し遂げた人もほとんどいない。成功者の今だけを見る人は嫉妬するけれど、誰もが時には反対されて、上手くいかない時にも耐え忍んだから今があるんだよね。嫉妬するより努力を学ぶ方が糧になる。
一番成長が早い人は「自分は必ず間違える」ということを認めている人だ。 認めているからこそ、失敗したり間違えた時にはすぐに改めて、どんなことでも成長に繋げることができる。 「自分は絶対に間違えない」「失敗したらいけない」と思い込むのは、自ら成長の芽を摘んでしまうことだから。
どうして「自分には価値がない」なんて誤解して生きるのか。できないことも沢山あるけれど、できることも沢山あるんじゃないか。まだやってみたこともないこと、これからできることも山ほどあるんじゃないか。今だけを見て自分を決めつけず、足りなさだけを見て自分を誤解しないでほしい。
「こうあるべき」っていう考え方が縛られているようでキツいなら「こうありたい」に転換してみたらいいよ。理想や目標を持つこと自体は悪いことじゃないし、何かに向かって努力できるのは素晴らしいこと。「こうでなきゃいけない」という否定じゃなくて「こうなれたら嬉しいから」って思えたらいいよね
効率化を突き詰めすぎると非効率になるよね。 たとえば睡眠時間を削りに削って病院送りになったり、ある日本当に突然目が覚めなくなってしまったりすることは意外と身近にある。 自分が経験してみないと実感が湧きにくいけれど、倒れる前に気づけた方がいいんだよ。 適度な休息が一番の効率化。
岡村さんの発言が問題だったって批判するまでは分かるけど、番組降板を求める署名活動っていうのは方向が違うんじゃないかなぁ… 性的搾取の問題発言→「岡村を叩いて追放しろ!」じゃなくて、「じゃあ今貧困層で困っている女性達を支援しよう」って問題解決の方に力を注げばいいと思うんだよね。
妊婦さんのお腹を蹴るのは言語道断だけど、そもそも思い通りにいかない相手を暴力で何とかしようとするのが間違ってるよ。マタハラの話を聞く度にゾッとするけど、妊婦さんって見るだけでも応援したくなったり微笑ましくなったりするもんじゃないのかな…当たり前に子育てを応援できる社会にしたいよね