二階幹事長は以前「子どもを産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考えて(いる人がいる)」「皆が幸せになるためには子どもをたくさん産んで、国も栄えていく」と発言している。森喜朗氏同様、同じ過ちが繰り返されているし、そんな人物が権力を持ち続けているのも深刻。 digital.asahi.com/articles/ASP28…
こうして「どうせそのうちほとぼりが冷めるだろう」「どうせ世間はそのうち忘れるだろう」がまかり通ってきてしまったのだと思う。だから、「瞬間風速」に終わらせてはいけない。 twitter.com/asahi/status/1…
4年前の2月8日、 森友学園への土地売却額開示を巡り、豊中市議が国を提訴。この問題が世に知られることになった。その後、改ざんを強要された赤木俊夫さんが自ら命を絶つ。今日という日になったのは偶然だそうですが、俊夫さんの残したファイルの提出を国に命じるよう、雅子さんが大阪地裁に申立。 twitter.com/oshakaibu/stat…
森喜朗氏の発言に対して多くの声があがる中、「男性も生きづらいんだ」という言葉も耳にします。それが、男性偏重社会の息苦しさなのだとしたら、「男性だって大変なんだから女性も我慢すべき」ではなく、一緒にその生きづらさの構造を変えることにエネルギーを向けませんか。
今朝のサンデーモーニングをご覧下さった皆さま、ありがとうございました。森喜朗氏の中身の伴わない"謝罪"がまかり通れば、これがまるで"とるに足らない問題"かのような誤ったメッセージを、日本社会に、国際社会に、次世代に発してしまう。だから今日も、わきまえない、黙らない。
「わきまえておられて」という森喜朗氏の言葉には、自分にとって都合のいい女性とそうではない女性を恣意的に選別できると考えている、ある種の”特権意識”がうかがえます。この発言を「下支え」してしまっている社会の構造について思うことを書きました。 comemo.nikkei.com/n/n69771246ee01
「怒りでは何も変わらない」という人がいる。こうして差別を受ける側の態度や受け止め方の問題に矮小化することこそが、変化を阻むのだと思う。今大切なのは、その怒りの元となった理不尽な発言が繰り返されないための、具体的な行動だと思う。
会見時間は20分ほど。内容としても「謝罪会見」というより「ひとまず"謝罪会見"をしたという形を作る」ためのもの、という印象。本質は全く伴っていなかったと思う。
森喜朗氏の会見、記者の質問を遮るように発言したり、開き直るような態度をとったり、「いくつか発言します」という記者に「一つにして」と注文をつけたりしながら、「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」発言について問われ「最近女性の話聴きませんから分かりません」と。さらに後退。
森喜朗氏の求める「時間のかからない会議」は、「異論」のない非民主的なものなのでは。例えばJOC山口香理事の五輪延期の提言に、山下会長は「力を尽くしていこうという時に極めて残念」と発言していた。「水をさすな」と精神論で語っても説得力はない。異論があって初めて思考停止せず議論ができる。
銀座のクラブをはしごした自民党議員が離党したことを問われ、「財務大臣の記者会見だから」「あんた時々、そういう質問、社会部的な質問がすごく多い人なんだよね」と高圧的に開き直る麻生大臣。この態度こそ、なぜ同じ失態が繰り返されるのかを物語っていると思う。 news.tv-asahi.co.jp/news_politics/…
ニューヨーク・タイムズにも。 「Tokyo Olympics Chief Suggests Limits for Women at Meetings」 nytimes.com/2021/02/03/spo…
「女性は子どもを生む機械」とか、「生んで国家に貢献」とか、「子どもを産まなかった方が問題」とか、公職、政治家からの蔑視、差別発言は繰り返されてきた。そして多くが、「”誤解”を与えたのならお詫びし撤回する」と、”受け取り方”の問題にすり替えられてきてしまったのではないだろうか。
こうした蔑視、差別の発言が繰り返されてきたのは、問題視されても「どうせそのうち、ほとぼりが冷めるだろう」がまかり通ってきたから。「通ってきた」というよりも、「通らせてしまった」のだと思う。だから、うやむやにしてはいけない。
森喜朗さん、五輪憲章を読まれたことがありますか。 「適切な手段により、あらゆる階層および組織において女性のスポーツ振興を強く奨励する。とりわけ国内ならびに国際スポーツ組織の執行部においてこれを推進し、男女平等の原則の完全実施を目指す」 mainichi.jp/articles/20210…
過去、森喜朗氏は「子どもを一人もつくらない女性が、年とって税金で面倒みなさいというのはおかしい」など女性蔑視の発言を繰り返してきました。そこから何も学んでいないのでしょうか。 digital.asahi.com/articles/ASP23…
菅首相会見、「一人一問ずつ質問」「質問が終わったら自席に戻る」「自席からの追加質問はなし」のアナウンスは今日も変わらず。つまり、答える側がいくらでもはぐらかしたまま逃げきれてしまう。
突然「被害者」の顔をすれば、責任から逃れられるわけではありません。 digital.asahi.com/articles/ASP21…
こういうことをもっと、政府や公的機関自ら広げていく必要があるのだと思う。 《「生活保護」は、働いていても、若くても、持ち家があっても、車があっても申請可能です》 #生活保護は権利 bigissue-online.jp/archives/10175…
今日、ホロコーストの日。収容を生き延び、アウシュビッツ博物館の館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんが若い世代に語りかけた言葉を改めて。 「君たちに戦争責任はない。でもそれを繰り返さない責任はある」 d4p.world/news/6349/
故・翁長知事に対し、当時は官房長官だった菅首相が「戦後生まれなので沖縄の歴史はなかなか分からない」と発言していたことが先週の国会でも言及されていた。 政権がこれまで繰り返してきた「沖縄に寄り添う」という言葉と、市民に「極秘」で事を進めることは相反するはず。 okinawatimes.co.jp/articles/-/697…
拝見。日本の入管政策がどれほそ理不尽か。収容施設で、のたうち回ってベッドから転げ落ちたカメルーン出身の男性を、職員がそのまま放置していったシーンも。男性は苦しみながら亡くなった。たくさんのSOSがエリザベスさんの元に届く。彼女自身も、過酷な日々を送っていた。 nhk.jp/p/etv21c/ts/M2…
自殺対策に携わる人が、ポスターに使った言葉を思い返す。この言葉が改めて今、問われているのだと思う。 「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」 www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
先日取材で「コロナ禍での気付きをどう、次に活かしたらいいですか?」という質問を頂いた。今年は衆院選や補選、東京は都議選などが控えている。特にこの1年、どんな政治家を選ぶかが、どれほど生活や命を左右するかが浮き彫りになってきたと思う。その実感を行動に移す一つが、投票だと思う。
JOC森会長の「毎日毎日神様にお祈りする。天を敬う。それしかない」発言は、感染拡大がおさまらなかった際の対応について「仮定のことについて、答えは控える」という菅首相の姿勢と重なる。様々な可能性を想定し、先回りして対応する姿勢を示さず、結局そのしわ寄せは誰にいくと考えているのだろう。