安倍前首相の会見の司会者が当然のように「一人一問でお願いしている」と記者に強調していたけれど、それを「当たり前」にしてしまっている状況でまともな「会見」はできないと思う。追加質問できなければ、答える側はいくらでもはぐらかしたまま逃げきれてしまうよね。
安倍首相の、ごく限られたメディアしか入れない「会見」。知らなかった、”結果的に”事実とは違う答弁をした、責任を痛感、とこれまで繰り返されてきた言葉がまた上塗りされていく。責任は「痛感」するものではなく、「とる」そして「負う」ものだと思う。
「捜査に関わることなので、お答えを差し控えさせて頂きます」がこの問題に限らず政権側の常套句になってきたけれど、捜査が終わってもまっとうな答えが返ってきたことがない。 mainichi.jp/articles/20201…
コロナ禍で、どんな政治家を選ぶかが、どれほど人の命を左右するのか、改めて痛感した人たちも多かったはず。そんな最中、 #検察庁法改正案に抗議します と抗議の声が一気に広がった。「よりよい社会」は受け身では築けない。新しい年を前に、絶望している場合ではない。 comemo.nikkei.com/n/ne9ef992536a5
政治側から何度、誤ったメッセージが発せられてきただろう。「説明しなくてもそのうち周りは忘れるよ」「法を破っても”お答え”は控えさせてもらえるよ」「事実と違う発言をしても、118回も重ねれば押し通せるよ」、と。もうこれ以上こんなことを、次世代に、子どもたちに見せたくない。
何度でも言いたいのだけれど、「桜を見る会」にあがる「まだやってるの?」という声、正確には「まだまともな説明してないの?」だと思う。もちろん、元首相側が。「まだやってるの?」という言葉に喜ぶのは結局、不都合を隠したい側だよね。
今朝もサンデーモーニングをご覧下さった皆さま、ありがとうございました。菅首相は「問題を解決しない人はリーダーではない」という言葉を引用していましたが、説明責任を果たそうとしない人もリーダーではないと思う。「誤解」の問題にすり替えず、まっとうな会見を。
「日本人」とは誰か?を考えてみる。日本国籍の人?(日本国籍でも日本で殆ど過ごしたことがない、もしくは日本語を話さない人もいる)日本語話者?(外国籍でも流暢に話す人もいる)日本在住の人?(暮らしていてもルーツやアイデンティティは多様) 「純粋な日本」という言葉が、いかに空虚か。
《自民党内から家族の絆が損なわれるなどの批判が相次ぎました》 別姓という「選択肢」が増えることで、なぜ絆が損なわれるのか、同姓なら絆は損なわれないのか。根拠のない精神論、もう終わりにしませんか。 news.yahoo.co.jp/articles/b4876…
ずっと、問題だと思っていること。日本の性交同意年齢はいまだ13歳。13歳以上で性被害にあった場合、「暴行・脅迫」があったか、「抵抗できる状況だったか」など、高い立証のハードルが課せられる。この明治時代に設定された年齢が、次の法改正でも変わらないかもしれない。 huffingtonpost.jp/entry/story_jp…
父が在日コリアンだと知ったのは死後だった。なぜ父は家族と縁を絶ち、出自を隠したのか。家族は朝鮮半島のどこから渡ってきたのか。もう死者に尋ねることはできない、と諦めていた。ところが今年、外国人登録原票が交付され、そこには確かに家族の生きた証が刻まれていた。 d4p.world/news/8032/
長時間手足を拘束され死亡したネパール人のアルジュンさん。「日本語分からない方が悪いでしょ」「取り調べなんだから仕方なくね?」そんな言葉に違和感があっても、自分には何もできないのではないか。そう諦める前に、まずはリツイートでこの声を広めてほしい。漫画で興味を持ったら、サイトもぜひ。 twitter.com/CALL4_Jp/statu…
首相が繰り返す「お答えを差し控える」は許されるのか。40年以上前、相次ぐ汚職を受けて成立した「政治倫理綱領」には「みずから真摯な態度をもつて疑惑を解明し、その責任を明らかにするよう努めなければならない」とある。綱領の存在自体が蔑ろにされていないだろうか。 d4p.world/news/7926/
都構想の住民投票の結果は、「大将の首をとられた」ではなく、「民意が示された」ととらえる必要があるものではないでしょうか。そして、「命がけ」なのはその間にも奔走してきた医療関係者の方々ではないでしょうか。 twitter.com/hiroyoshimura/…
昨日のサンデーモーニングでも触れましたが、国会の会期を延長せず、そもそも先週金曜日までまともな首相会見を開いてこなかったこと自体が、人命よりも、保身や、疑惑追及から逃れることを優先しているようなものだと思う。「国民のために働く」を掲げるなら、こうした時こそ示すべきでは、と思う。
今朝のサンデーモーニングご覧下さった皆さま、ありがとうございました。ひっ迫する医療現場はじめ、「自助」が事実上の「自己責任」になってしまっている現状。一刻も早い、さらなる「公助」の投入を。
是枝監督の言葉を、今でも時折思い返し、心に刻み直している。 「自分の声をより大きく遠くへ響かせる拡声器としてテレビを使おうとする人の道具になるよりも、声にならない声に耳を傾ける社会の聴診器としての役割を果たすこと」 note.wowow.co.jp/n/n81c529a03241
菅首相は答弁が苦しくなると、学術会議は「既得権益だ」と論点をずらそうとしてきた。この言葉を出せば、市民を思考停止させられると思わないでほしい。「既得権益」という言葉は、説明責任を果たさなくてもそのポジションにに居座り続けることができてしまう、政治リーダーたちにこそ向けられるべき。
首相会見、日本学術会議の問題について「これほど反発が広がると思っていたか」という質問に、笑いながら「思ってた」と答えた。国会で正面から議論をせず、突然、法を蔑ろにして任命拒否して大きく報じられることまで「想定の範囲内」なら、「炎上商法」と変らない。笑っている場合ではない。
菅首相会見、10月の自殺者数が前年同月比で大幅に増えていることについて。そのこと自体には触れず、「会見は官房長官がやっている、あとはぶらさがりで」とだけ。10月末まで、再三の要求があっても政権は臨時国会を開かなかった。ただ「自助」を掲げ続けた責任には何も触れなかった。
社長の罵倒音声も凄まじいけれど、執行役員の「我々はコンプライアンス上、問題がないと思っています」「言葉が乱暴というのは逆に(社長に)信頼してもらっているのかなと」というコメントが、組織としての自浄作用のなさを浮き彫りにしている。 bunshun.jp/articles/-/419…
「ウイグルの人たちへの人権侵害にもっとコメントしろ」と突然リプを送ってくる一部の人たちが、日本の中のマイノリティーへの差別、誹謗中傷を繰り返す矛盾。それは本当にウイグルの人たちの人権を考えているのではなく、ウイグルの人たちを自己主張の道具にしているのでは、と思う。
「自分にとって苦手な人、意見が合わない人、どちらかというと嫌いな人がいたとする。無理に仲良くする必要なんてない。でも、その人がものすごく不当な扱いを受けていたとき、”その扱いは違う”、と声をあげられるかどうかだ」 尊敬する人が語った、人権を守る、ということ。 comemo.nikkei.com/n/nc68dece8b517
「集団的ナルシシズム」という言葉があります。 「日本」という大きな主語と自分自身を一体化させてしまい、「日本政府」や「日本人」を批判されると、「自分」を批判されたかのように感じがちな状態を、心理学の世界ではそう呼ぶのだそうです。 comemo.nikkei.com/n/n68bb847a6aff
このCMに投げつけられた「日本人の多数が差別してるかのようで不快」という声。誰しもの心に何かしらの「加害性」があると思う。そこから目を背け、差別やいじめの矛先を向けられた当事者が声をあげると「日本を貶めるな」と耳を塞ぐ態度こそ、社会に閉塞感をもたらすと思う。 huffingtonpost.jp/entry/story_jp…