しんつるみゆき(@Hiroshi651059)さんの人気ツイート(古い順)

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ホキ800いっぱい。 #みんなのホキ見せてくれ
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20年前の宮原操のひとコマ。客車・電車・新幹線、まだまだ国鉄型が幅を利かせていました。
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2010年3月、上り最終「能登」の返却回送を兼ねて、片道のみ設定された特急「とき」美しきボンネット。 #489系の日
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オヤ31の矢羽根は「木製」と知り驚きました。
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映えスポットにもなっているらしい門司港駅のホーム。改修前はこんな感じでした。DDのアイドリング音を唸らせながら、直方行き客レが停車中です。
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96年6月、方南町支線用として増備された営団02系182F編成の甲種輸送。大船で211系との出会い。
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9/4、DD55 17+西武鉄道マルタイの甲種輸送。かつて新製のマルタイが市営埠頭から川崎貨物に向かうことはありましたが、千鳥町行きは極めて稀な運用でした。
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自分が初めて長崎を訪れたのは93年夏。中学生の頃に青春18で大垣夜行とムーンライト九州を駆使した長旅でした。ホームから見える広大な留置線にはブルトレが4編成。さくら・みずほ・あかつきに加えて、臨時急行「雲仙」の姿がありました。当時は新幹線が乗り入れる未来なんて想像もできなかったです。
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本日がラストランとなる北陸鉄道浅野川線8802F。鶴見川で見送った甲種輸送の時以来、26年ぶりに再会しました。
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碓氷峠に挑むロクサンの4重単。毎年のように「横軽廃止から◯年」と言ってたら、あっという間に四半世紀が経ってしまいました。
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団臨で東海道エリアに乗り入れることもあった長野色の169系。新鶴見信を通過するシーン。
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かつて房総方面行きのターミナル駅として賑わった両国駅3番線ホーム。2002年11月に急行犬吠が復活運転した時のカットです。ロープなどの規制もなくヲタの数も少ない。
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白い布に覆われていても、そのシワから伝わる圧倒的な存在感。
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終着の浜松町を目指して尻手短絡線へ進む「カートレイン北海道」もっと真剣に狙っておけばよかったと思う列車です。
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2001年9月、東京タ−竜王で行われたEH200-901+コキ14車の試運転。うち2往復はパンタグラフをPS22に載せ替えて運転されました。意外と似合っている気もしますが如何でしょう。
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98年3月、田浦で発車を待つタキ35000の米タン。たしか川崎貨物を経由して厚木基地向けの輸送です。不定期ながらも一時的に専用線が復活したのには驚きました。
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JR貨物のニュースリリースを見るとEF210が15両増備されてEF65を追い出しそうな勢いだけど、試作機の登場から26年経っても製造が続く形式って他にあるのかな。両数こそEF65に遠く及ばないけど、ベストセラーな名機関車だと思うよ。
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東横線の渋谷駅が地下に潜って3月で10年になります。ホントあっという間だよな〜
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2000年8月、米原で発車を待つ上郡行き。貫禄を感じるデカ目113系です。
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ラウンジカーとして「あさかぜ」に連結されたスハ25形300番台。2基のパンタグラフが搭載されていますが、正真正銘の客車です。カニ24を連結しない代わりにスハ25から給電が行われていました。 #みんなのブルトレ見せてください
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市営埠頭にて元カートレイン用のワキ10147。12系や14系客車と共にフィリピン国鉄へ譲渡されました。 #火曜日の貨車
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横川に到着後、ファンに見守られてゆっくりと鉄道文化むらエリアに吸い込まれるゴニマル。展示場所の手前にはレールが仮設され、最後はモーターカーが押し込みました。
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越谷タにて陸送準備中の「夢空間」
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稲沢で解体を待つEF64 1015号機、製造銘板を外した後にかつての更新色と思しき塗り分けが見られるようで懐かしくなりました。1000番代としては初の更新機でしたが、この塗装は普及しませんでした。