きしもとたかひろ(@1kani1dai)さんの人気ツイート(新しい順)

本気で相手を説得したいのなら論破してはいけない。完全に否定したら逆に固執してしまうかもしれないから「確かにそれも一理ある」と自分で思えたときに、こっそり考えを変えられるように。引っ込みがつかないのは本人の頑固さではなく、追いつめて逃げ場を無くしている人がいるからかもしれないから。
【子どもにおもちゃをせがまれた時に、ぼくが気をつけたいこと】 その場しのぎの嘘で乗り切ろうとしそうになったときに立ち止まって気をつけたいことです。
子どもの思いに応えるときに、僕が気をつけたいこと
「子どもと遊ぶだけの仕事」と言われたら、そうだよそれが子どもにとって大事なことだからねって胸を張りたい。やりたくないことをやらせたり、叱ったり怒ったりする仕事より、楽しく遊んでいるだけの仕事の方が断然いいでしょう。ただ遊ぶことに価値があるの。僕らがそれを軽んじないようにしたいな。
これは、特定の立場の人たちを非難するためのものではなく、子どもたちや教育保育現場で働く人たちの安全が保障されるための問題提起です。よろしくお願いします。
人たちも少なくないんじゃないかと友人の話を聞いていて思う。そんな時にどういった機関に相談すればいいのか、そういった問題を解決する機関を知れたら助かる教員や保育士たちは多いんじゃないかな。真摯に向き合おうとしてる人から潰れていって辛い。なにができるだろう。
起こりうることなのではないかと。重大な問題であると考えています。子どもたちにとっても、子どもを守る立場の人たちにとっても一番に心身の安全が保障されるべきであるのに、学校の評判や保身のためにそれが保障されない現状は見過ごせないです。そういった時に声を上げられなくて辛い思いをしている
中学校に勤める友人が、陽性反応が出た生徒が出席していたにも関わらず「短時間の滞在だったため出席していなかったことにする」と、学校長がこっそり処理したことを知って、何もできない自分が辛いと病んでいる。僕もどうしたものかと悩んでいるんだけど分からなくて、ここで書くべきか迷ったけれど、
濃厚接触した可能性がある生徒が罹る可能性もあるわけで、直接命に関わることだから、不適切かもしれないけれどここで問題提起させてください。その自治体では9月から、濃厚接触者にあたる可能性のある人の特定を学校が代わりにして保健所に提出することになっているため、このような問題は繰り返し
子どもが嘘をついていると気づいた時に、その嘘を見抜いて良い気になってしまうことがあるんだけど、子どもの嘘を見抜くのが僕の仕事ではないよなって最近思う。なんで嘘をついてしまうのか、嘘をつかなきゃいけない環境を自分が作っていないか。その嘘を責める前にできることはたくさんあるよなって。
「見守るって具体的にどうするの?」という時に活用できたらいいなと思って試しに作ったチェックシートです。いつか完成させたい…いつかね…
「今日は子どもたち荒れてるなあ」と感じることがある。その日も、立て続けに何人かの子どもを怒っていた。しばらくして2年生の女の子から「今日きしも元気ないけど体調悪いん?」と聞かれて、めっちゃ元気なのにと不思議に思いながら「めっちゃ元気やで〜」と返した。怒った後にも不機嫌そうな顔を
親や保育士が持っているのは、子どもを思い通りにする「権利」ではなく、子どもの権利を保障する「責任」であって。その責任感で「子どものために」と思ってすることが逆に子どもの権利を侵害してしまうこともあって、それを断罪するのではなく、その難しさや葛藤に寄り添い支援することが必要だよね。
「習い事に行きたくない」と言う子がいた時に、学童保育の支援員の立場からすれば保護者から「何時に習い事に出発させてください」とお願いされているわけだから「そうは言っても行かせないと」と思ってしまうんだけど、「子どもの権利」を考えたときにそれは正しいんだろうかって話になって。もちろん
子どもの権利を尊重しようって話になると「個性を大切にするのも大事だけれど、集団の秩序も大切ですよね」と決まって言われるんだけど、それも含めて「人権の尊重」の話なんだよね。個性と集団は天秤にかけられるかもしれないけれど、人権は組織の秩序のためであっても侵されてはいけないよねって話。
生徒が行動して校則を変えたってニュース見て思うのは、それ自体はすごいことだけど「子どもたちが切り開いた」という美談にしちゃいけないんじゃないかってこと。大人が変えなきゃダメだろうと。少し過激な表現かもしれないけれど「大人が守れなかった」なんじゃないか。明らかな人権侵害となるような
現場の職員同士の関係が悪くなったり不平不満をぶつけ合うようになった場合、その原因は人間関係以前に「そもそもの労働環境が悪くて疲弊してしまっているから」というのはあると思う。十分な環境を用意してもらえず業務に支障がでて、ミスしたり怠慢に見える職員にぶつけてしまう。問題は運営なのに。
「差別はよくないことだと分かっている」ことと「自分が差別をしない」ことはイコールではなくて、「差別的な心を持っている」ことと「差別的な言動をする」ことも別もので。自分が差別的な心を持っていることと、意図せず差別をするかもしれないことを受容することが、差別と向き合う第一歩だと思う。
今回は「テレビを壊したい、ただガラスを割りたい」と言った子との関わりで感じたことです。 正しい答えとしてではなく、色んな葛藤を共有する気持ちで書いています。 chanto.jp.net/childcare/baby…
講習の最後に「では質疑応答に移らせていただきます」って言ってもなかなか手が挙がらないのは、「話を聞きながら内容も理解して疑問点を整理しつつ質問を考える」のが高難度だからだと思う。「5分後に質疑応答に移りますので整理してみてください」って時間を作ると有意義な質疑が生まれると思うよ。
問題を解決していくということについて
友達が怒られているのを見て「気持ちいい」と言った子がいて、その時に感じたことを書きました。 正しい答えというよりは、色んな葛藤を共有する気持ちで書いています。よかったら感じたことや思ったことを、それも答えとしてではなく共有する気持ちでもらえたら嬉しいです。 chanto.jp.net/childcare/baby…
危険な思想や人権を無視した発言を「許せない」と表明して、それをみんなが確認し合うのは大事なことだけど、その人をみんなで徹底的に叩き潰そうとする空気はただのイジメじゃないか。ダメなやつは排除していいという考えこそが許せなかったはずなのに、自分がそれを体現してしまってないか。怖いよ。
教育や指導をする時に「できていないことを指摘する」のではなく「できていることを伝える」ように気をつけていて、その時にイメージしていたことを簡単にまとめてみました。
連載コラム第15話公開です。 自分の言った言葉が誰かに劣等感を抱かせることもあれば、なにかの支えになることもあると思ってて、できるなら気休めでもいいから。って思いで書きました。長いけど読んでもらえると嬉しいです。 grapee.jp/995780