そういえばファンタジー世界に銃が魔法と併存し得るかどうかなんて話もあったけど、世界観の整合性よりも、銃で何がしたいかってだけだとも思う。整合性は後から確保できる。 それよりも銃が存在しない世界の、一人称小説で『争いの引き金になる』とかって表現を『敢えて選択するか否か』....
榊「例えばだけど、テレビアニメ1話分(実質20分)の脚本情報量って、四百字詰め原稿用紙で何枚位だと思う? もちろん、監督やスタジオによって変わるけど平均値的に」 生徒「百枚くらい?」 榊「実は二十枚とかなんよ」 生徒「....マジすか!?」 榊「漫画でも同様で、小説とはスケール感違うよ」
この手の話してると、また短絡的な人が『編集者不要論』をぶち上げたりしそうだけど、不要なのは『一部の困った連中』であって、大多数の真っ当に仕事している編集者は、それが地味で真っ当な仕事であるが故に話題にならんのです。 お間違えなきよう。
編集者が作家のSNSフォロワーで本を出す出さない決める云々だが。 ラノベに限って言えばそりゃそうなるだろうとは思う。「なろうの高P作品を漁って右から左に書籍化する」事だけしかしてこなかった(それこそが今風の編集仕事だと思っている)編集者は、純然たる数字が無ければ何も判断できないからね。
頻繁に言うけど―― 「程度はどうあれ最後まで完成させられる人間」と 「完成度を気にして延々と原稿があがらない人間」なら、先に「こいつと仕事をするのは無理だな」と周囲から諦められるのはどっちか、という話です。  特に、新人は。
編集者に限らないけど、創作者に対してきちんとした考えもなくダメ出しをしたがる人はあちこちに居る。 だが筋が通ったダメ出しでないなら、単にマウントとって悦に入りたいのか、あるいは『仕事したつもり』になりたいだけか、それとも本当に真摯に作品をよくしたいと思っているかの区別がつかない。
私のような仕事として文章書いてる書き手ですら、例えば『なろう系のよくある異世界転生小説』を実際に書いてみると、結構独自のノウハウが有るのが分かる。 シナリオなんてより極端ですよ。 正直、私も甘く見ていた時期が有るが、職業として分化しているのには意味が有ると今は思い知ってます。
件の漫画の連載中止の件。 けいたん。書いた私が言うこっちゃないが、元ネタの原作者や編集部に確認も取ってなかったって事だよなあ。 (一応、けいたん。ではお名前お借りしている方には予め根回ししてます) 原作者と担当編集はともかく、作画の漫画家さん気の毒に。
確かにパッと見て(大雑把にではあるだろうが)書き手の技量が分かる絵と違い、文章はある程度読まないと判別つかない。 ぱっと見、本屋に並んでいる本と同じ『文字』で出力できるのだから尚更。 実際に書いてみればそう簡単ではないと分かるんですがね。
しかし反ワクチンの極端な人達が唱える諸々(電波とか遺伝子改造とか)がぶっ飛び過ぎていて、迂闊に創作物で使うと『リアリティが無い』とか詰られるレベルなの、本当に現実のレベルが測れなくてしんどくなってきた。(あくまで物語創る者としての個人的感想です)
日本は企画レベルだとお金を出さない事も多いので、凄く気楽に「たくさん企画を書かせる」傾向がある。    ぶっちゃけ、超有名イラストレーターに絵を付けて貰えるなんて「権利」を商品に、企画コンペ(勿論、優勝者以外全員ただ働き)をさせた編集部もあるよ。何処とはいわないが。
何にしても「出来るだけ本を読む手間かけないでラノベ作家になりたい」っていうのは、「出来るだけ身体動かさずにスポーツ選手になりたい」ってのと同じなので、まあ、才能の有る無しはさておき、そういう子は、この商売に向いてないなあとは思った。
これ、ラノベとかの専門学校業界にも当て嵌まる話だったりもする。 「とにかく現実は教えないでください」「褒めるだけで間違いを指摘しないでください」(そうしないと来期の授業料払わずに辞めちゃうから)的な事を言われた事がある。 twitter.com/dreaming_wave/…
ちなみにこの『打算』だけど、『甘える』とか『助けを求める』的なものとも見ることが出来るので、だからこそ本当の原因相手ではなく『親しかった人』に攻撃が向かうのかもなあとも思う。どっちも救われない話だけど。
新人賞とかに添付を要求される「あらすじ」について。 本当に、いつまで経っても、説明しても、「オチを書かない」「あらすじ」を書く人が出てくるけど。 ぶっちゃけ、あれ、なんのためにつけろと言われてるか、理解してる人あんまりいないのでは? (いや、私も推測でしかないんですが)
とりあえず一晩頭冷やして細部いじったやつ。 昨晩ツイートしていた『ガンダム 水星の魔女を、ノベライズすると仮定した第一話冒頭サンプル』です。 ちなみにミオリネと出会うところまでいってませんが、四枚を越えそうだったのでここで中断。
実際には多くの否定文は定義として機能してない。仮に二択の様なものであったならまだしも(死者ではない、なら生者になる)、たとえば鳥ではない、だけなら獣かも魚かも、あるいは機械かもしれない訳で。
そして私がよく言う『キャラが勝手に動き出す』という事の本旨はコレ、という話でもあります。 きちんとキャラができて(立って)いれば、特定条件を与えた時の言動について『まぁこいつならこうなるよな』と自動出力される感じ、作者の都合で動いてない、確固たる自我があるが如し、という。 twitter.com/kasai_sinya/st…
専門学校時代『日本語なら誰でも書けるからラノベ学科来ました』とか『声優って喋るだけだから声優になります』とかいう生徒さんは毎年一定数見たが、『誰でも出来る』ならそもそも専門職として成立せんのよ。当たり前だけど。大体は授業重ねると『こんなはずじゃなかった』と来なくなるけども。
バッドエンドにすると何か格調高く見えてしまうのは、基本、子供向けがハッピーエンドがほとんどで、挫折とかを知った大人は、バッドエンドにも納得できてしまう(リアリティを感じる)から.....ハッピーエンドが子供向け、バッドエンドはら大人向けに見えるって事なのかも、とか。 ただし、
>>これは良い悪いとか勉強不足がどうのとかいう話でもなく、エンタメ作品を大量に(浴びるように)摂取できる環境にいるが故の事なのだとは思うけれど、お話を作る側の人間はその辺、少し気にするだけで物語の説得力が増すので、気に留めておくといいのかもね、と。
そういえば、先日、『完全オリジナルの世界設定のファンタジーを描く際、世界設定を延々見せつけられるのは読者にとって苦痛だと聞いたが、読者に負担を強いない上手いやり方は無いのか』と生徒さんに聞かれたが。 そもそも普段とか苦痛とかの定義から考えないと色々見失うなあと思ったり。
鈴木先生もよく同趣旨のツイートしておられるけど。 「ラノベ作家になるために、これだけは読んでおけって本を教えてください!」とは学校でよく聞かれた。  大体それ聞く子は、出来るだけ本を読む手間をかけずにラノベ作家になりたいから、それだけ読んで『ノルマ果たした』と思いたいのな。>RT
キャラクター創造論でも書いたけど、この『最初の印象が最悪』パターンは、好悪が『ひっくり返る』からこそ劇的に見える、という典型的手法なのだけど(ゼロが100になるより、マイナス50がプラス50になる方が感情変化が劇的に見える)、この手法を『より効果的に使おう』として、
これも前に書いたけど。 情報提示の話。 なんでも良いですが、『オリジナルのアニメの第一話』(シリーズものの第二シーズンとかは向きません)を時計片手に、十秒ずつ止めて、『この時点で自分は何が分かったか』を書き出していく。