真剣に小説に向き合っててもスキルや経験が足りないから文章表現や各種演出に幅がでない人(そしてその構造に気が付けない)も居るし、逆に『読み手にストレスを与えないよう』にとにかく表現を簡素化する、削りまくる事に血道を上げる書き手も居る訳で。
あまり他人様の文章をどうこう言えた立場ではないのだけど、教え子の文章とか見てると、『ああ勢いやノリだけで書いてるな』というのに遭遇することがある。 『追っ手が目と鼻の先に迫っていた』 絶対ダメって事もないだろうけど。違和感覚えてページめくる手が止まる人が居る可能性はあるわね、と。
ふと。もともと『たわわ』という言葉は、私などは『たわわに実った●●の果実』という表現を一番見かけた気がするが、アレの騒動のせいで、いつしか『巨乳の表現』という性的な意味が『後付け』で『定着しそう』で、面倒臭いなあと思う。 言葉は生き物だとは言うが....
昔、『手塚治虫の本に漫画家は漫画読みになってはいけないと書いてあったので、漫画は一切読んで無いし好きな漫画もありません!』という漫画家志望者の人と会った事あるけど、その人の描いている作品てのがその、あの、画力から構成力から何まで、無茶苦茶だった記憶がが。 twitter.com/dozinchi2/stat…
しかし真面目な話、今後はなろうやweb系で出てきた作家の講師や教授も必要になってくるだろうなぁとは思う。私のような新人賞出身の書き手とは色々スキルが違いすぎて、web系で成功したい、という生徒さんをケアするのが難しい。
まあ、何にしても、十年二十年創作畑でのたくってても、「つまんねえもん書いてんじゃねえよばーか」って顔を隠して一方的に石投げてくる人は一定頻度で湧くので、同じような石を投げられた若い創作者さん達はその辺、めげずに頑張って戴きたい。マジで。
ついでに編集者も担当作家のツイッターは当然のようにこっそりチェックしていて愚痴をこぼすといきなりメール飛んできたりするので気をつけましょう。私のように連絡がひどく遅い担当編集者への呼び出しベル的に使うのはお勧めしません。〉RT
念の為、亡くなられたラノベ作家は既にそれなりにおられますが(ぱっと思い出せるだけでも7人)いずれも若くして、まだまだこれからの時期と認識しておりますので、『大往生』には数えておりません。
昔、某レーベルの授賞式で、ある編集さん(古参)が『ラノベ作家の平均寿命って1・4「冊」なんですよ』とか言って周囲を戦慄させていたが、それはそれとして、前にもネタにしたが『ラノベ作家のまま大往生した作家がまだ居ない』『一生続けられるかどうか確定データがまだない』のは事実っぽいの....
小説の文章書くのが『好き』である必要はありませんが(正直、本文より、企画書やプロット書いてる時の方が楽しいって物書きは、そこそこいる)、仕事にしたいなら、好きだろうが嫌いだろうが、十万文字から十五万文字の『ひとつのコンセプトに沿った文章の塊』は、3~4ヶ月で書ける力は必要ですね。
@sow_LIBRA11 「屋」もダメになってきてるみたいすね。 八百屋、魚屋、などなど。 青果店、鮮魚店、まではいいとして、豆腐屋さんとか「豆腐販売店」とかいうと風情がw
@elizabeth_munh それこそ、現代社会で、『戦地からの難民の女子供をさらって人身売買する連中』が出てくる訳で、言葉だけ無くしてもねぇと、徒労感を感じたり。
前にも書いたけど『奴隷』という単語に校正さんのチェック入った事あるしね。『ファンタジーなのでとりあえずは見逃しますが』(意訳)的な事が書かれてて、もうこんなところにまで影響出てるのか、と嘆息した覚えが有る。〉RT
まぁ創作者に『⚫️⚫️みたいなのをひとつ』と発注するのがどんだけ失礼かはさておき(気にしない人は気にしないし)、その『⚫️⚫️』ってのが件の作品のどこの面をつまんで言ってるのか、言ってる方が把握してない場合も多いので、事細かに確認せんと脱稿後から『コレジャナイロボ』祭りが始まるという地獄。
一人称のメリット> 1:口語調で書きやすい、読みやすい 2:情報量の提示が、あくまで一人称の主観人物に依るので、選択肢が増える。例えば現代日本人が『郵便ポスト』と書く場合に、赤いとかなんとか描写する必要が無いとかそんな 3:コメディ、ギャグの瞬間的な一言とか使いやすい。
その辺意識して、企画書にもどこでこの世界観やキャラ配置の設定が、『効いてくるか』を書き添えておくと良いのでは、とか。 や、本職のゲーム屋さんからすると的外れな話かもしれませんが。 物書き、物語屋から考えるとそうなるよ、という話でした。
つまり、『この企画にシナリオが要らない』と言われた場合、相手がただのマウント取りたがりのボンクラでもない限り、それは『現状の設定(世界観、キャラ配置)は、そのお客さんがゲーム世界に入り込んだり愛着を感じたりする形に最適化されてない』っつー事だとも考えられるので、
ここで全て語るのはかなり無理があるのでかなり割愛しますが、こう考えると(システム的に物語が必須でないタイプの)ゲームにおける物語の機能は、おそらく、インターフェイスというか、親近感や没入感の構築に役立ってるとも言える訳で。
シューティングゲームでも、頭にムービー入るやつとか、それ見る前と見た後だと、プレイヤーにどんな認識の変化が有った? エースコンバットは? パンツァードラグーンは?
逆に考えよう。 シナリオ(あえてここでは物語の意味で使います)がなくても成立するゲームで、シナリオをつけたものがあったとしたら、それはどんな効果をもたらした? 例えばテトリスの進化系とも言うべきぷよぷよは?
テトリスとかは確かにシナリオなくても成立するしね。 まぁゲーム(電源系ね)と一口に言ってもブロック崩しからファイナルファンタジーだの美少女ゲーだのまで色々あって、後半のやつはシナリオなくても成立するし、シューティングゲームだと、ほとんど何もないままいきなり始まるやつあるし。
昨日生徒さんに聞かれた話。 『ゲームの企画書、自分がシナリオ書くつもりのやつを提出したら「これ、別にシナリオ要らないよね」と言われてしまったのですが、ゲームにおけるシナリオの機能、必要性はどこにあるのか、どこで判断されるのでしょう?』 あー。なるほど、そうきたか。
なんか『俯瞰がどうの』というツイートが予想外に延びてるなと。 そういえば、昔、知り合いの先生が、「榊さん、ラノベ作家志望なのに、誰も『マリーセレスト号事件』を知りません」と嘆いていて、「いや、それはさすがに知らなくても不思議はないのでは」と返した思い出。小中学校で習わんし。
なんか勘違いされてるっぽいですが、パクリ認定された訳ではないし、喧嘩売られた訳でもないです(当時)。 『あなたも月姫大好きなんですね、わかります!』的なことを言われたので、『はい?』となっただけで。腹立てた訳ではなく戸惑ったってのが強い。 ちなみに相当前(二十年以上)です。
昔、『俯瞰』という言葉を作品内で使ったら『月姫』リスペクト認定された事あったなーと。 いや、月姫は好きだが、俯瞰なんて言葉使っただけで、特定作品からの影響どうのと言われても。 『普通の小説では使わない』だそうだけど、使うよ。普通に。 俯瞰、鳥瞰、小学校だか中学校だかで習ったし。 twitter.com/tobiranoizumi/…