確かにパッと見て(大雑把にではあるだろうが)書き手の技量が分かる絵と違い、文章はある程度読まないと判別つかない。 ぱっと見、本屋に並んでいる本と同じ『文字』で出力できるのだから尚更。 実際に書いてみればそう簡単ではないと分かるんですがね。
>>これはつまり、いいとか悪いとか以前に、大量のエンタメ作品を我々は摂取できる環境にいて、「お約束」というものを自分の中に構築できる状態にあるからこそ、デウスエクスマキナのように、「このセリフが出てきたら話がオチた証拠ね」という風に>>
前にも言ったけど一人だけ、『あかん、こいつには勝てない』と思った生徒が居て、実際その子は徳間の新人賞で賞取ったが、天才ゆえの不安定さがあったようで、二作目がどうしても書けずに居た。 そう考えると小説一本書き上げるというのは、諸々の条件が揃った奇跡のようなもんで、
バッドエンドにすると何か格調高く見えてしまうのは、基本、子供向けがハッピーエンドがほとんどで、挫折とかを知った大人は、バッドエンドにも納得できてしまう(リアリティを感じる)から.....ハッピーエンドが子供向け、バッドエンドはら大人向けに見えるって事なのかも、とか。 ただし、
否定による設定は、このコンセプトに言及しないので、役に立たない、という事なのだろう、と私は先述の作家氏の言葉を理解している。
悪いことは言わないからデビュー前の若いうちに数読んどいた方が良いよ。 年取ると小説一冊読むのにも疲れを感じる(楽しめるのとは別に)し、物書きになってからだと純粋に楽しめない可能性があるし(それこそ仕事に役立てられるかどうかって視点で読みがち)。マンガでも小説でも専門書でも。
前にも何度か言いましたが、物語構造の分解、物語の要約のコツは「とことんパーツそぎ落として5W1Hレベルに簡素化する」「その上で改めて特徴的なパーツで肉付けする」です。
編集者に限らないけど、創作者に対してきちんとした考えもなくダメ出しをしたがる人はあちこちに居る。 だが筋が通ったダメ出しでないなら、単にマウントとって悦に入りたいのか、あるいは『仕事したつもり』になりたいだけか、それとも本当に真摯に作品をよくしたいと思っているかの区別がつかない。
キャラクター創造論でも書いたけど、この『最初の印象が最悪』パターンは、好悪が『ひっくり返る』からこそ劇的に見える、という典型的手法なのだけど(ゼロが100になるより、マイナス50がプラス50になる方が感情変化が劇的に見える)、この手法を『より効果的に使おう』として、
>>無意識に判断する癖がついているのではないかなあとも。それが読み手の場合には別に問題ないが(作者の意図が伝わってない可能性はあるとしても)、書き手の場合には「なんとなくそれらしいいい雰囲気の会話だけさせておけばお話が一本出来ちゃった」的な判断をしてしまう危険性があって>>
>>例えば「自分の居場所は自分で見つけるしかないのだ」というのがテーマの物語で、その生徒さんが持ってきたプロットは、退魔師の家系の末裔で、異能故に周囲から差別されてきた主人公が、現代の退魔師の組織に所属して、自分を助けてくれた先輩(冒頭に死亡)の後釜に座るという話。>>
ラノベの値段が高い、というのはラノベの部数が減ってきてる事にも絡みそうだけど(ものすごくざっくり言えば初版部数が多ければ多いほどに理屈の上では単価は下がる)、元々中高生をターゲットにしているからこそ、ハードカバーや新書より単価が安い文庫形式をとってるはずで。
セカイ系って言葉、私は「個人の感情やトラウマが家族や所属組織、社会をすっ飛ばして世界の存亡や謎に直結する」話だと理解してたんだけど、最近は「非中世ヨーロッパ的ハイファンタジー世界観=独自設定の世界観」の事を指すって認識になってんの!?
>>プロットを見る限り、主人公は何も能動的に動いていない。流されて、組織に求められて、先輩の後釜に座って、最後に『これが俺の居場所だ』という。全然自分で見つけてない。>>
私も一度、某巨大掲示板に『新人声優と一緒に夜の街に消えてった』とか嘘八百を書かれた事が有るが。 さすがにラノベ作家に声優側が枕営業するとか虚言もええとこやぞ。 そもそも大抵の現場で、ラノベ作家にアニメの声優決める権限無いと思うけど。(スタッフから声のイメージを聞かれる程度はあるが) twitter.com/tamamaru/statu…
この手の話してると、また短絡的な人が『編集者不要論』をぶち上げたりしそうだけど、不要なのは『一部の困った連中』であって、大多数の真っ当に仕事している編集者は、それが地味で真っ当な仕事であるが故に話題にならんのです。 お間違えなきよう。
これも前に書いたけど。 情報提示の話。 なんでも良いですが、『オリジナルのアニメの第一話』(シリーズものの第二シーズンとかは向きません)を時計片手に、十秒ずつ止めて、『この時点で自分は何が分かったか』を書き出していく。
バッドエンド信仰(バッドエンドこそ尊い的な考え)みたいなのの背後には『ハッピーエンドは幼稚』とかいう考えがある気がするんだよな....
新人賞とかに添付を要求される「あらすじ」について。 本当に、いつまで経っても、説明しても、「オチを書かない」「あらすじ」を書く人が出てくるけど。 ぶっちゃけ、あれ、なんのためにつけろと言われてるか、理解してる人あんまりいないのでは? (いや、私も推測でしかないんですが)
つまり、『この企画にシナリオが要らない』と言われた場合、相手がただのマウント取りたがりのボンクラでもない限り、それは『現状の設定(世界観、キャラ配置)は、そのお客さんがゲーム世界に入り込んだり愛着を感じたりする形に最適化されてない』っつー事だとも考えられるので、
(某所見ながら) 「主人公の名前、性別、性格、容姿、為人やモチベーションをまず最初に提示(描写)すべき!」というのは分かるし同意するんだけれど。 作品コンセプトとして、あるいは物語構造として「それらを明示しないから成り立つ」ものも例外的にあるのは、言い添えておいた方がいいですよ。
念の為。 大学のラノベ論の授業でも教えてるけど、『ライトノベルの歴史は読み易さ、読書のハードルを下げる方法論の追求の歴史』だと私は思ってるので、意識的に描写を簡略化する事は、ある意味で正当進化とも言えるのよ。意識的にしてるならね。
でもってこの試験、普段から授業で構造分解だの換骨奪胎だのは言及してるんだけど、それをある程度、実践してないと、大体、対応出来ない。(九割の子が対応出来なかった)
件の漫画の連載中止の件。 けいたん。書いた私が言うこっちゃないが、元ネタの原作者や編集部に確認も取ってなかったって事だよなあ。 (一応、けいたん。ではお名前お借りしている方には予め根回ししてます) 原作者と担当編集はともかく、作画の漫画家さん気の毒に。
専門学校時代『日本語なら誰でも書けるからラノベ学科来ました』とか『声優って喋るだけだから声優になります』とかいう生徒さんは毎年一定数見たが、『誰でも出来る』ならそもそも専門職として成立せんのよ。当たり前だけど。大体は授業重ねると『こんなはずじゃなかった』と来なくなるけども。