以前いただいたテレビの取材依頼で、放送する内容や方向性が依頼前からほぼ決まっていて、かつ誤りがあったので指摘すると取材は「なし」になったことがあります。 「誤りに気づかない人」か「誤った情報を話すのに抵抗がない人」が引き受けてくださったのかなと思うと微妙な気持ちになりますね。
Twitterに疲れてしまった人は容赦なくTwitterに触れる時間を減らすといいと思います。寝る前にサクッと見るくらいでいい。 Twitterにどっぷり浸かっていると、さもこれが世界の全てかのように錯覚しますが、外から見ればほんの小さな世界です。心と時間の多くを割いて疲れるなら割りに合いません。
努力を重ね経済的にも成功した人が、家族が病気になった時「大切な人を守るためなら金は惜しまない。何のためにこれまで努力してきたというのか」と大枚をはたく決意をすることがある。だからこそ、健康保険制度の整った日本では「効果が確かな治療ほど安い」という事実を発信し続ける必要がある。
ワイドショーにおいて何より重視されるのは「みんなで一緒に何かに怒ること」なのだなと思う。 番組にとって優先すべきなのは「正確な情報」よりも「高揚感」とか「強い結束」とかであって、そのためには「共通の敵」が必要。 なお、その敵のパワーが大きいほど視聴者の満足度はおそらく高い。
坂本先生の取材記事です。 『アメリカ小児科学会も、「子ども、そしてできる限り10代も水害後の清掃には関わるべきでない」とし、「清掃されていない場所には、子どもは近づけないようにすべき」と呼びかけています』 周囲の大人と報道機関が知るべき内容と思います。 buzzfeed.com/jp/sumirekotom…
私の本を読んだ方から「メリットもデメリットも書かれているから結局どうすればいいか分からない」という感想をいただいた。 「結局どうすればいいか」だけがクリアに書かれた健康本が売れる理由がよく分かる。 何かを食べたりどこかを揉んだりするだけで健康問題が解決するなんてことはありませんよ。
明日放送のフェイクバスターズで、私たち #SNS医療のカタチ が作った、情報を見極める7つのポイント、その名も「だしいりたまご」が紹介されます。 ぜひ、覚えていただけると幸いです。 クロ現の公式サイトでも詳しく解説しています↓ nhk.or.jp/gendai/comment…
息子(幼稚園児)の大好きな本。 このRPGっぽさが超お気に入りの様子。何度も何度も繰り返し読んでいて、薬の名前やワクチンのこと、細菌とウイルスの違いなど、すごく詳しくなっている。 自分自身も、情報発信するものとして大きなヒントをもらっている本。 amzn.to/3dfxX9r
Twitterでは、目立つ意見ほど多数派に見えやすい。 何かに怒っている人、何かを否定したい人、何かを許せない人の声は特に大きい。 一方で「何かをちゃんと理解している人」は、大声で「私は分かってます」とは叫ばない。 だからその思いは可視化されにくい。 そういうバイアスはある。
家族が非科学的な言説を強く信じ込み、適切な治療を受けようとしてくれない、と悩む方に出会うことは少なからずある。 このとき決してやってはいけないのが、その「信念」を科学的な正論で真っ向から否定すること。それにより誤った信念がさらに強化され、取り返しがつかなくなる恐れがあるからです。
誤った情報を発信した人が、懸命に訂正しようとしてくれる人の助言に全く耳を貸さない姿を見るにつけ、「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」と一瞬でも振り返れなくなった時に一切の知的成長はなくなるのだなと恐ろしく思うし、そうならないよう気を付けねばとの自戒を強くするのである。
日本人が発明した、世界的に広く使われる医療機器といえば、パルスオキシメータです。 現場では決して欠かせないこのデバイス、一体何がすごいのか、開発までどんな道のりがあったのかを書きました。 (新刊「すばらしい人体」の内容をダイヤモンドオンラインで紹介です) diamond.jp/articles/-/280…
問題の原因が「知識が足りないこと」にあるのなら、「知識を提供すること」が解決につながる。 ところが、「知識はあるが特定の信念や好き嫌いによってその知識を利用したくはない」というケースでは、問題解決が一層難しくなる。 実はこれは熱中症に限らず、医療における普遍的な悩みでもある。 twitter.com/keiyou30/statu…
仕事でも恋愛でもSNSでも何でもそうだけど、もし「一種類のことだけに脳を占拠されている状態」になっていたら、それは結構リスキー。その一種類で嫌なことがあったら途端に心がダウンするから。 だから「色々なことで脳を埋めておくこと」は割と大事。ゲームでも漫画でもスポーツでも何でもいい。
ここ数年で本当に変わった。 Twitter、インスタ、YouTube、note。「コロナウイルス」と検索すると全て公式情報へのリンクが表示される。賛否あるかもしれないが、人命に関わる情報である以上こうした操作はある程度許容されると思う。 ネット情報の管理者がいかに慎重に真摯に医療と向き合ってきたか。
社会情勢が不安定な中、今後ますますデマが増えます。 皆さま、より一層防御力を高めてください。 たった1回のリツイートが、誰かの健康を傷つけるかもしれません。 警視庁HPにある「デマの見抜き方」をまとめましたので、ぜひ参考にしてくださればと思います。 keishicho.metro.tokyo.jp/smph/kurashi/c…
「今日も家族が生きていた」というのは実は尊いことで、「私が今日を無事に終えられる」ということもまた当たり前ではない。 これは繰り返し言い続けたい。
「突然怒る人」って、実はそれまでに小さな怒りの蓄積があり「この程度ならいいや」とスルーしてきたのがついに限界を超えたというケースがあると思っていて、でも相手にとっては「突然」になる。 逆に「怒らない人」は、たぶん「感情を制御できる」というよりは小さな不快をスルーしない技術がある。
ネット上のデマには確かに注意が必要なのだが、経験上は書籍もかなり怖くて、根拠のないデマの書かれた本を気づかずに読んでいると、自覚なく思考がじわじわと侵食され、頭の中がゆっくりゆっくりとデマに置き換わっていくような変化が起き、元の道に戻るのが相当難しくなることがある。
最近テレビや新聞等の取材を受けた方が「言ったことと全然違う意図に編集された」とおっしゃるのを目にする機会が特に多い気がしますが、これが続くとメディアの価値は取り返しのつかないほど失墜しますし、まじめに誠実に取り組むメディア関係の方々は苦々しい思いで見ているのではないでしょうか。
「辛そうじゃない人」を「頑張っていない人」だとみなす考えは、運動に限らず、様々な場面でよく見てきたように思う。 でも努力してしっかり結果を出している人ほど、余力があったり努力の過程を楽しんだりしているから、たいてい「辛そう」ではない。
怒らない人は他人に無関心なだけ、という話はよく見るけど、これを逆手にとって「怒られるうちが花」と言いつつ怒りの感情を制御できない自分を正当化するタイプの「怒る人」もいる。 一方で「怒らない人」の中には、他人に関心を持って「怒らずに指導する手段」をいつも模索している人もいると思う。
「あの人がこんなことを言うとは思わなかったショックだ幻滅した」という話を時々聞くけど、他人に対して「こう思っていてほしい」と強く望むことは結構危ういと感じる。 脳を共有しない赤の他人が自分の期待通りの思考回路であるはずがないし、そう思っていないと心が疲れるだけではないかと思う。
「専門的知識はないが言葉は巧みな人」が専門家と論争すると、明らかに専門家が正しくても傍目から見ると「喧嘩両成敗」的に見える現象、本当に注意しなければと思う。 自分の主張を広めたい人にとっては、「喧嘩両成敗」でも十分目標が達成できてしまう。 見る人のリテラシーが試される。
デマを信じ込んでしまった人に対し、「懸命に説得すれば改心させられるはず、何とか救いたい」という強い善意で真正面からぶつかって行くと、かえって誤った信念が強化され、人間関係も悪化して取り返しのつかない事態になることがある。 「話せば分かる」と考える、正直で誠実な人が陥りがちなこと。