「最初から何かができる人」は「全然できなかった頃」がないので、「できない気持ち」が分かりにくい。 モチベーションを維持しやすいので努力を厭わず、ゆえに自分を努力家と見なす傾向があり(実際「努力家」ではある)、「私は最初は全然できなかった」とすら思っている。 これが時に不和を生む。
自分に攻撃的な言葉を投げつける人に対し「なぜそんなことを言うのか」と悩み苦しむのは割に合わない。 幼い頃から「相手の身になって考えよう」と言われ、それを素直に守ってきた誠実な人ほど何とか相手の気持ちを知ろうとして疲弊してしまう。 そもそも他人の頭の中などさっぱり分からないのが普通。
人は信じたいものを信じ、信じたくないものは信じない傾向がある。 どれほど正確で分かりやすい情報発信がなされても、「信じたくない人」は最初から受信していない。 ニュートラルに情報収集しているつもりで、自分の観念を補強する情報のみを集めている人は多い。 もちろん自分自身も注意している。
医療マンガ大賞を企画している横浜市が、漫画家こしのりょう先生(@koshinoryou)とタッグを組んで素晴らしいページを作ってくださっています。 「乳がん月間」である10月に合わせた、行政からの分かりやすいコンテンツの発信。 ぜひ体験してみてください。驚きますよ! iryo-manga.city.yokohama.lg.jp/nyugan/
偏った情報収集を避けるには、自分の「信じたいこと」と「信じたくないこと」を頭の中でいつも整理しておく必要があると思う。 「信じたくない真実」を受け入れるのは、本当に苦痛を伴う行為。 でも自分の耳に心地良い話だけを集めていては、知的な成熟はなかなか得られない。
SNSの中にいると「世間を賑わせているように見える物事」でも、外にいる人は全く知らない、どころか、知らなくても全く困らない、ということは普通にある。 SNSは確かに便利で楽しいが、一つの小さなツールにすぎないということも頭のどこかで分かっておいた方が身は守れると思う。
優秀な人はたいてい他人を褒めるのがとても上手いが、この理由を考えるに、優秀な人は他人の良いところを一つ一つ的確に言語化できる能力を持っている、ということと、他人の良いところをじっくり探せるだけの精神的な余力がある、ということにあるのではないかと思っている。
とてもいい記事だと思います。まず医師に相談してくださる時点でありがたいこと。 『問いつめるようなことはせず、どんなことでも語ってもらえるような雰囲気を大事に』 『「健康食品なんて効果がない」と否定するのは簡単ですが、それだけでは患者さんの不安は解消しません』 yomidr.yomiuri.co.jp/article/202010…
時事メディカル連載 よくツイートしていますが、便意を我慢しすぎると便秘の原因になります。 友達にからかわれるなど、恥ずかしくて学校ではトイレに行かずに我慢するという子もいますが、医学的に良くないよ、ということは伝え続けていきたいし、先生からも伝えてほしい。 medical.jiji.com/topics/1868
自分も何度か経験があるのだが、何か体に異変があって精密検査を受けることになった時、結果が出るまでの時間って震えるほど怖い。 この不安度は、自分自身が当事者の時と、医師として他人に検査を受けてもらう時とでは天と地ほど違う。 当事者にとって精密検査とは、それだけで怖いもの。
私も全く同じことを何度か経験しています。 私が騙されていると思い込んで心の底から心配するように、「これさえ読んでいただければ目が覚めますから」と完全なデマサイトを勧められ、頭を抱えたこともあります。 twitter.com/SatoruO/status…
科学的根拠がないにもかかわず効果があるかのように宣伝してサプリや健康食品を売る手口、今年だけでもかなりの数が摘発されています。 健康で心に余裕がある時なら「騙されるはずない」と思うかもしれませんが、いざ病気になると「治りたい」という一心でこのような商品に助けを求めてしまいます。 twitter.com/SatoruO/status…
どれほど努力しても報われないことなどいくらでもあるし、「努力は嘘をつかない」と言える人は、自分の強みを生かして戦えるフィールドを上手に選べる人だと思う。 「努力を生かせる場所を選べる」というのは一つの才能。
『ボタン電池誤飲の3歳女児、食道に穴が開き大動脈まで達し死亡』 この例のように誤飲した瞬間を目撃されていない場合(そして本人からの訴えもない場合)、気づかれるのに時間がかかってしまい、重症化してしまうこともあります。 twitter.com/oshietedoctor/…
何度も書くのだけど、抗がん剤の副作用をコントロールしたり、がんの痛みを緩和したりする技術が進歩したおかげで、たとえかなり厳しい状況の患者さんでも、それが見た目からは分かりにくいことがあります。 このことを知らないと、何気ない一言が患者さんの心を傷つけてしまう。注意したいことです。
もちろんこれは、がんに限ったことではありません。定期的に病院で治療を受けつつ日常生活を維持する、といった形で「共存できる病気」が増えています。 病気と共に生活する方々には、疲れやすい、痛みが出やすい、といった症状が周囲の人から見えにくい、という悩みがあると感じます。
医療に関して「私は勉強したので詳しいです。こういうことですよね?」と言う人の認識に間違いがあった時、訂正するのは少し難しい。 一方で「あまり詳しくないんですが」という人の方が実際には詳しかったりする。ある程度「詳しい」からこそ自分の「詳しくなさ」を知ることができるのかもしれない。
選択に迷った時は誰かに相談して意見をもらいたいと思うものだが、経験上は「大事なことほど自分で決めないとあとで後悔する」というのも確実にある。 少なくとも「自分で決めたと思えること」が大切だと思うし、「あの人が言うなら…」が決め手になりそうな時は注意している。 あくまで私見ですが。
すぐに怒りの感情を爆発させて誰かを怒鳴ってしまう人は、まず第一に「大きな声を出さないようにする」だけでずいぶん実害が少なくなるのではないかと思っている。 情動そのものをコントロールするのは難しいので、まずは声のボリュームから、という。
「人生経験が足りない」とか「知識が整っていない」がゆえにまださっぱり理解できない物語というのが世の中には山ほどあって、昔国語の教科書で読んで特に印象に残らない話だな、などと思った小説も、大人になって読み直すと一瞬で腹落ちし、そのすごさを初めて思い知ったりする。
何かに失敗した時に、「こんなにがんばったのに」と努力の「量」を振り返るより、「こういう方向性、こういう戦略でがんばった結果こうなった」と「質」を振り返る方が次につながるし、何より大切なのは、最初の時点で「のちに振り返って質を計測すること」を見越して動き始める必要があるということ。
「死ぬ気でやってやる」と漠然と意気込んでがんばり始めると、結果が成功でも失敗でも、その要因をのちに振り返って考察できない。 その上、失敗した時は「死ぬ気でがんばったのに報われなかった」という心の傷が残るばかりで、自分を追い詰めることになる。
ご自身が肺がん、脳転移で治療を受けられている、緩和ケア医の関本先生のインタビューです。 一言一言が胸に突き刺さります。 nhk.or.jp/osaka-blog/liv…
一人で楽しめる趣味が豊富にあると得だ、と思う最大の理由は、自分が楽しいことをしたい時に「他の人も楽しいと思ってくれているか」を心配しなくていいということ。 誰かに気を遣うことなく、誰かの時間を奪うことなく、いつでも、ほぼ無限に自分の機嫌を取り続けることができる。
「偽陽性」って一体何!?と思われる方は、一度この短い動画をご覧になってみてください。 話を単純にしてはいますが、そもそもあらゆる検査が「病気か病気でないか」をスパっと教えてくれるものではない、ということをお分かりいただければと思っています。 youtu.be/-4k7LscvMoY