私の本を読んだ方から「メリットもデメリットも書かれているから結局どうすればいいか分からない」という感想をいただいた。 「結局どうすればいいか」だけがクリアに書かれた健康本が売れる理由がよく分かる。 何かを食べたりどこかを揉んだりするだけで健康問題が解決するなんてことはありませんよ。
家族が非科学的な言説を強く信じ込み、適切な治療を受けようとしてくれない、と悩む方に出会うことは少なからずある。 このとき決してやってはいけないのが、その「信念」を科学的な正論で真っ向から否定すること。それにより誤った信念がさらに強化され、取り返しがつかなくなる恐れがあるからです。
怒らない人は他人に無関心なだけ、という話はよく見るけど、これを逆手にとって「怒られるうちが花」と言いつつ怒りの感情を制御できない自分を正当化するタイプの「怒る人」もいる。 一方で「怒らない人」の中には、他人に関心を持って「怒らずに指導する手段」をいつも模索している人もいると思う。
昨日やむを得ぬ用事で大阪の中心部に立ち寄ったが、目を疑うほど人が少なかった。 普段の1〜2割くらいしか人がいない。 生まれて初めて見る光景に泣けてくるほどだった。今までごった返す人混みにあんなに辟易していたのに。 みんな頑張ってる、必死で耐えている。そんな話も広まるといいなと思った。
優秀な人はたいてい他人を褒めるのがとても上手いが、この理由を考えるに、優秀な人は他人の良いところを一つ一つ的確に言語化できる能力を持っている、ということと、他人の良いところをじっくり探せるだけの精神的な余力がある、ということにあるのではないかと思っている。
専門的知識を持たない知人から「この治療は危険だから受けるな」「病院に行かず〇〇で治せ」という誤った助言を受け、それを信じた結果健康を害しても、その「知人」が助けてくれるわけではない。こうして辛い思いをした末に病院に来る方を多く見てきた。信頼できない情報ソースには本当に注意が必要。
今朝の #あさイチ のテーマが医療情報で私が少し出演したのですが、視聴者から「市が感染者情報について住んでいる区すら公表してくれない」というお便りがありました。 「病気に関する個人情報は公表されるべきでないし、そもそも公表されてもされなくてもやるべき感染対策は同じ」とお答えしました。
誤った情報を発信した人が、懸命に訂正しようとしてくれる人の助言に全く耳を貸さない姿を見るにつけ、「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」と一瞬でも振り返れなくなった時に一切の知的成長はなくなるのだなと恐ろしく思うし、そうならないよう気を付けねばとの自戒を強くするのである。
Yahoo!ニュースで新しい記事を公開。 指定難病の一つ、潰瘍性大腸炎について書きました。 再燃と寛解を繰り返すこの病気。 病状をうまく維持できればできるほど、皮肉にも周囲には「治療中であること」が分かりにくいという悩みもある。 十分な知識と理解が大切だと感じます。 news.yahoo.co.jp/byline/yamamot…
仕事でも恋愛でもSNSでも何でもそうだけど、もし「一種類のことだけに脳を占拠されている状態」になっていたら、それは結構リスキー。その一種類で嫌なことがあったら途端に心がダウンするから。 だから「色々なことで脳を埋めておくこと」は割と大事。ゲームでも漫画でもスポーツでも何でもいい。
以前いただいたテレビの取材依頼で、放送する内容や方向性が依頼前からほぼ決まっていて、かつ誤りがあったので指摘すると取材は「なし」になったことがあります。 「誤りに気づかない人」か「誤った情報を話すのに抵抗がない人」が引き受けてくださったのかなと思うと微妙な気持ちになりますね。
息子(幼稚園児)の大好きな本。 このRPGっぽさが超お気に入りの様子。何度も何度も繰り返し読んでいて、薬の名前やワクチンのこと、細菌とウイルスの違いなど、すごく詳しくなっている。 自分自身も、情報発信するものとして大きなヒントをもらっている本。 amzn.to/3dfxX9r
Twitterでは、目立つ意見ほど多数派に見えやすい。 何かに怒っている人、何かを否定したい人、何かを許せない人の声は特に大きい。 一方で「何かをちゃんと理解している人」は、大声で「私は分かってます」とは叫ばない。 だからその思いは可視化されにくい。 そういうバイアスはある。
「あの人がこんなことを言うとは思わなかったショックだ幻滅した」という話を時々聞くけど、他人に対して「こう思っていてほしい」と強く望むことは結構危ういと感じる。 脳を共有しない赤の他人が自分の期待通りの思考回路であるはずがないし、そう思っていないと心が疲れるだけではないかと思う。
ワイドショーにおいて何より重視されるのは「みんなで一緒に何かに怒ること」なのだなと思う。 番組にとって優先すべきなのは「正確な情報」よりも「高揚感」とか「強い結束」とかであって、そのためには「共通の敵」が必要。 なお、その敵のパワーが大きいほど視聴者の満足度はおそらく高い。
最近テレビや新聞等の取材を受けた方が「言ったことと全然違う意図に編集された」とおっしゃるのを目にする機会が特に多い気がしますが、これが続くとメディアの価値は取り返しのつかないほど失墜しますし、まじめに誠実に取り組むメディア関係の方々は苦々しい思いで見ているのではないでしょうか。
病気になった方に対して、「〇〇したのが原因じゃないか」とか「〇〇しておけば病気にならなかったんじゃないか」と言って安易に自己責任を求める人がいますが、医学知識として、「どれほど努力と用心を重ねても防げない病気はたくさんある」ということは何度も伝えたいと思っています。
いま現在、病院を利用している人、医療によって命をつないでいる人の多くは "感染症以外" の病気です。 がんの人も心筋梗塞の人も脳梗塞の人もたくさんいる。 決して医療を崩壊させてはならない。 みんなの協力が欠かせない。 感染防止対策と、医療のリソースへの理解と。
「辛そうじゃない人」を「頑張っていない人」だとみなす考えは、運動に限らず、様々な場面でよく見てきたように思う。 でも努力してしっかり結果を出している人ほど、余力があったり努力の過程を楽しんだりしているから、たいてい「辛そう」ではない。
全身熱傷は本当に怖くて、救急搬送された時は意識清明で普通に話せるのに、見る見るうちに命の危機に陥っていく。 皮膚が失われると体液が保持できず、とてつもない速度で大量の水分が失われ、感染症への抵抗力を喪失し、生命維持機能が破綻する。 皮膚という外界へのバリアがいかに大切かを思い知る。
『屋外で人と十分な距離(少なくとも2m以上)が確保できる場合には、熱中症のリスクを考慮し、マスクをはずすようにしましょう』 あと、必要のない時にマスクを外している人に対して、「なぜマスクをつけないのか」という非難の目を向けないことも大切だと思います。 twitter.com/mhlwitter/stat…
ネット上のデマには確かに注意が必要なのだが、経験上は書籍もかなり怖くて、根拠のないデマの書かれた本を気づかずに読んでいると、自覚なく思考がじわじわと侵食され、頭の中がゆっくりゆっくりとデマに置き換わっていくような変化が起き、元の道に戻るのが相当難しくなることがある。
ご存知の通り、世の中には「〇〇すればがんが消える」「〇〇を食べてがん予防」といった医学的根拠のない情報は膨大にあるわけですが、今後は「がん」が「コロナ」に変わりますので、皆さまにおかれましては "そういう情勢" として備えていただければと思います。 出典が明示された根拠ある情報を。
繰り返しお伝えしているのですが、各種学会の公式サイトには、一般向けに分かりやすくて信頼できる情報集が載っています。 これらがあまり知られていないのは、ググっても上位に表示されないことが多いからです。 ググる前にまずは学会サイトへ、という検索行動は一つのオススメできる手法です。
誠実な人ほど「他人を批判するなら誰もが納得できる理屈や裏付けが必要だ」と考えるものだが、世の中には「嫌いな人をバッシングするのに理屈なんてどうでもいい人」はいて、その人の歪んだモチベーションは、「嫌いな人の悪口を言ってもらえるだけで満足できる取り巻き」によって支えられている。