私のボスがよく使う言葉に、“trust but verify(信じよ、されど確認せよ)”というのがある。 「信頼できる他者から得た情報はひとまず信じてみるが、ソースを自分で確認するまでは判断を保留にする」という習慣は大切。ただし「自分で確認するまで納得はしない=相手を信頼しない」ではない点も重要。
本当の専門家って、くどい、煮え切らない、細かい、断言しないなど、本質的に「テレビ向きじゃない」と思うんですね。特に医療は不確定要素が多く、知識がある人ほどクリアカットに説明しない。 逆に言えば「白黒はっきりしたメッセージだけを求める人」は良質な情報になかなか出会えない。
以前にも書いたことがあるけど、「わかってもらいたい」という思いが強すぎると、当然「わかってもらえなかった時のダメージ」は大きくなる。 だから「そもそも他人には分かってもらえなくて当然」を基本とし、「偶然にも分かり合えそうな部分だけ共有しよう」というスタンスがたぶん楽だと思う。
Twitterで論争が起こっている時、傍観者からは「どちらにも一理あるように見えてしまう」のは本当に恐ろしいこと。どちらも賛成意見が同じくらいあるように見え「やっぱり賛否両論あるのだな」と思う人が増えていく。 だが学問をちゃんと理解している人が見れば、片方に「一理もない」ことはよくある。
医療者にとって悩ましいのは、「軽症なら自宅療養」を強調することにより、症状は重いにもかかわらず「迷惑をかけるわけにはいかないから」と必死で我慢してしまう性格の人にばかりこうした呼びかけが強く刺さってしまうことではないかと思う。 啓発とは、かくも難しいもの。
たくさんの医療者が、誤情報を必死で訂正し、日々活動している。無償で。 何も趣味でやっているわけじゃない。「あきらめてしまえばどれほど楽か」と心のどこかで思っている。 でも自分が声を上げないことで万が一にも誰かの健康が害されるかもしれない、という恐れには耐えられない。
連載中のメディアに「テレビの誇大な発信にご注意を」という趣旨の原稿を書いたら、 「新型コロナに関しては、ネットは分かりませんが、テレビを含めた報道は結構まじめで慎重。悪意のあるもの、ひどい誤解を生むような内容が多数あるとは思いません」 と反論され頭を抱えています。
傷つきやすい人ほど、むしろ自らが傷つく方向に突き進んでしまいがちで、分かってもらえない相手に理解を求めたり、自分が苦手とする相手にこそ好かれたいと願ったりする。 でも心の傷を回避するには、こうした自分の「癖」に気づき、安全地帯へ定期的に軌道修正することが大切だと思う。
どこかで終わりが来るとしても今回だけで終わらせてはいけないのは、風邪気味、発熱などの症状があれば早めに休むという生活様式を習慣化することだと思う。これまでもインフルエンザで亡くなる人は毎年大勢いた。 学校でも、体調が悪い時に休む生徒が過度に背徳感を抱かない環境は大切だと思います。
本当に当たり前すぎる話なのだが、他人の趣味や嗜好を馬鹿にせず、「好きな理由」に興味を持ってくれる、そういう人たちに囲まれている環境というのは最も幸せだと思う。 「好きなことを好きだとストレスゼロで言える場所」が最も心地良い。
本好きの息子、星新一にハマった後、作者がもう亡くなっていることを知って落ち込み、少年探偵団シリーズにハマった後、江戸川乱歩もすでに亡くなっていることを知って落ち込んでいた。新作はもう出ないのかと。 一見当たり前に思える「推しの新作を待てること」がいかに貴重かと改めて思い知った。
ことあるごとに医療者や病院を追い詰めるような発信をするメディアの中の人と話したことがあるのだが、困ったことに「自分は医療者を尊敬しているし病院の力になりたい」という強い正義感があり、「そのためには内部の"悪者"をやっつけて浄化しないといけない」と思っているらしいことが分かった。
「突然怒る人」って、実はそれまでに小さな怒りの蓄積があり「この程度ならいいや」とスルーしてきたのがついに限界を超えたというケースがあると思っていて、でも相手にとっては「突然」になる。 逆に「怒らない人」は、たぶん「感情を制御できる」というよりは小さな不快をスルーしない技術がある。
「今日も家族が生きていた」というのは実は尊いことで、「私が今日を無事に終えられる」ということもまた当たり前ではない。 これは繰り返し言い続けたい。
頼まれた仕事を驚くほど速くこなす人は、必ずしも「時間に余裕がある」のではなく、むしろ手元に仕事があまりに多くて激しく忙しいために「早く済む仕事は即座に終わらせないと回らない」という事情があると思っている。 忙しい人の方が仕事が速いのはそれが理由だと思う。
思わずムッとして「一言言わないと気が済まない」と思った時も、すぐに発言せずに少し時間をおけば「全然言わなくてもいいこと」だとあっさり分かることも多い。 ふとした感情のたかぶりは、「言うべきか言うべきでないか」という判断力を相当鈍らせてしまう。
Twitterでは、「素人は黙っとれ」という言葉をよく見るのですが、このセリフの良し悪しはおいておいて、まず「黙っていられない」が素人の定義だと思います。 もちろん自戒を込めて言ってます。 素人には「どこで黙った方がいいか」が分からないからです。
大人になってアウトプットの機会が増えると、やっとその意味が分かり始めた。誰かに何かのメリットをプレゼンするとか、我が子に何かを教えるといった場面での頭の動きの滑らかさ、使う言葉の豊かさ、思考の奥行きのようなものに「これまでどれだけ色々なことを考えてきたか」は現れる。
努力を重ね経済的にも成功した人が、家族が病気になった時「大切な人を守るためなら金は惜しまない。何のためにこれまで努力してきたというのか」と大枚をはたく決意をすることがある。だからこそ、健康保険制度の整った日本では「効果が確かな治療ほど安い」という事実を発信し続ける必要がある。
学校での学びは「試験で高得点を目指して知識を暗記する」という行為に矮小化されがちであるが(むろんその価値も否定はしないが)、本来学びの効果というのは、人生の遥か先の未来で、目に見えにくい形でもたらされるものなのだろうと朧げながら思う。依然「朧げながら」の域を出ないのではあるが。
今後、「病気の体験談」を善意で投稿される方がますます増えると思います。 もちろん参考になることもあると思いますが、どんな病気でも症状の出方や進行の速さなどは患者さんによって様々、ケースバイケースであることにご注意ください。 一人の体験談が "あなた" に当てはまるとは限りません。
多目的トイレは、人工肛門や人工膀胱を持つ方が排泄物を処理したり、装具や腹部を洗浄したりする「オストメイト対応トイレ」となっているところも多く、そこにはオストメイトマークが表示されています。街中でよく見かけますが、知らない方は多い。 この機会にぜひとも知っていただきたいと思います。
以前はがんの患者さんに「ネット情報は危険なものが多いのでググらない方がいいです」と伝えていたが、今は「ネットで調べる時は国立がんセンター『がん情報サービス』をお使い下さい」と伝えている。 自分や家族の病気について調べずにはいられないと思うし、「調べ方」を伝えるのがベターかと思う。
前にも書いたけど、医療ドラマごとに「専門的な内容の扱い方」を比較すると面白い。 ドクターXはリアリティより分かりやすさ優先、専門用語は少なめで、毎回大門の手術を解説してくれる役回りのキャラが必ずいるうえに、テロップとイラストまで表示される親切さ。視聴者を置き去りにしない配慮がある。
Twitterに疲れてしまった人は容赦なくTwitterに触れる時間を減らすといいと思います。寝る前にサクッと見るくらいでいい。 Twitterにどっぷり浸かっていると、さもこれが世界の全てかのように錯覚しますが、外から見ればほんの小さな世界です。心と時間の多くを割いて疲れるなら割りに合いません。