ここだけのはなしだけど。 青山真治監督×三浦春馬の映画『東京公園』が野外上映されるらしいよ。 スケジュールは近日発表。 わたしもタイミングあえばぜひ行きたい。 肉まん片手に。
ま、結局、推しのことが好きなんじゃなくて、推しのことを好きな自分の気持ちが好きなんだよな。 どの界隈にも、その手のタイプは一定数いて、なんだかやたら自己主張が激しくて、声がデカいので、純粋に推しのことが好きなひとたちの邪魔ばかりしてる。 はっきりと迷惑です。環境が汚染される。
才能というものが、ファンに独占されることなく、ひろく開放されることを祈っています。 それが文化だから。 それが芸術だから。 ニノのことをよく知らないひとが、二宮和也のアルバムに耳を傾ける未来がきますように。 そうなれば日本も少しはよい国になると思います。
二宮和也論。 脱稿。 サスティナブルでダイバーシティな表現者だとあらためて想いました。 ずっとそうだったんだよな。このひとは。 雑誌に掲載されます。 またお知らせします。
シンガー二宮和也を歌唱力の観点から捉えるのは片手落ち。 彼の独自性は【うたの歩幅】にある。 現世から乖離したり遊離したりするのではなく【この世に共にあること】こそがうたなのだという確信が表現にはある。 単に上手いだけの人は歌唱が遠くなる。 ニノはマウントをとらない。だから信用できる。
このツイート、いろんなファンの方から、いいね、いただけていて、うれしいです。 じぶんの推しをたいせつにする。 だれかの推しを傷つけないようにする。 このふたつは矛盾しない。 このふたつはなかよし。 そう信じています。 twitter.com/aidatoji/statu…
推しとファンの関係性を構築するのは、ファンだよ。 推しでもないし、事務所でもない。 ファンの想いはひとりひとり違うものでしょ。どんなにマメな推しでも、どんなに行き届いてる事務所でも、それぞれの面倒は見きれない。 自分で、自分の想いの面倒がみれないひとはファンに向いてないよ。 twitter.com/aidatoji/statu…
なぜ、推しを、自分の思い通りにしようとするのか、わけがわからん。 あらゆる問題は、そこから起きているよ。 推しは、自分の思い通りにはならんよ。 でも好き。 それでいいじゃん。 なんで、不満なんだろう。なんで、不満なのに、ファンを名乗るんだろう。
佐藤勝利 綺麗すぎ
赤の天使 中本悠太の 誕生について 書きました❤️ twitter.com/qj_web/status/…
前も書いたけど 大倉忠義は 日本の宝 twitter.com/j_ohkura_88/st…
キネ旬で中島健人にインタビューしたとき、「自分は木村拓哉と亀梨和也の系統なんだ」と冷静なリスペクトをこめて話していたのがヴィヴィッドで。 歩き方のパフォーマンスにつながるものがあるよね。 と他人事のように微笑んでいて、ジャニーズすげえ! となった。 佳き佳きおもひで。
たぶん怒られると思うけど、世の女性は、大きくみっつにわけられると思うんだ。 ひとつ。亀梨和也を選ぶタイプ。 ふたつ。赤西仁を選ぶタイプ。 みっつ。亀梨でも赤西でもないひとを選ぶタイプ。 それぐらい亀梨と赤西は日本の男性像として大きな存在だと思う。
映画『HiGH&LOW THE WORST X』の中本悠太(NCT)は、かつての赤西仁のような憂いと艶気があった。 この佇まいは、日本映画史に連綿と受け継がれている男の風情だと思うし、長身ならではの孤独感と一途さが蒼い炎をゆらゆらさせていた。 強靭な陽炎。 9.9公開。
山下智久と正直不動産(なんかユニット名みたい)について書きました。 2022年を代表するドラマであり名優であると確信しています🍃 twitter.com/tsuhan_seikats…
二宮和也のカヴァーアルバム、絶賛されてるんやね。 しかし、これでも絶賛が足りないと思うんだよね。 名人の域なんよ二宮和也は。 演技にしても、うたにしても。 上手いとかじゃないの。名人なの。 敬意とか尊敬が全然足りてへんよ。 ファン以外の全世界の絶賛を求む。 もっと。もっともっと。
全国の髙木雄也さんファンのみなさん。 これが、髙木さんが「ザ・タクシー飯店」第1話で美味しそうに頬張っていたセキネのシューマイです。 ほんと、美味しいですよ。 髙木雄也さん、毎回すばらしいですね。彼がはやく町中華にありつけますように。
彼の歌唱力・声量なら、ドラマティックに歌いあげることはいくらでも出来るはず。が、しない。アレンジを簡素に組み立て直し、うたが孕むエモーションは際立たせるが、ボーカルが誇示に陥る瞬間は皆無。つまり陶酔とは無縁。劇性を退け、楽曲=音楽を讃えることに注力している。それが二宮和也マナー。 twitter.com/aidatoji/statu…
歌が上手いだけでは表現に成り得ない。歌い手の個性は不可欠。だが、そこに依存するのではなく、固有性を普遍性に変えるサムシングが必要なのだ。二宮和也は、ニノらしさを高音や語尾にギリギリ残しつつも、歌唱そのものの恒久的生命力を尊重し、むしろ「誰のものでもある」地点へと楽曲を連れていく。 twitter.com/aidatoji/statu…
門外漢ではあるものの四半世紀にわたって音楽評を雑誌に書かせていただいている。 わたしのあらゆる文章を支えているのは音楽の力だ。 二宮和也のカヴァーアルバムは永年にわたって考えてきた【歌唱とはなにか】に ひとつの答えを授けてくれた。  これは解放=抑制の美がきらめく歴史的名盤である。
秀逸なカヴァーを評して「自分のものにしてる」とかいう言いまわしがあるじゃん。あれ、全然違うと思うんだよね。もし「自分のものにしてる」とか感じさせてるなら、あんまりいいカヴァーじゃない。 世界でたったひとつのスタンダードナンバーに向きあう敬虔さ。 二宮和也のアルバムは教えてくれる。
うたうこと。 それはじぶんじしんの ステージを更新すること。 独唱というより 無数のわたくしが織りなす コーラスワークを 耳にしているような気がした。 澄んだ格闘に絶え間ない波が宿る。 きのうより地平線が のびた気持ちを授けてくれる。 まあたらしい宇宙かんじる全八曲。
ソングライター二宮和也とシンガー二宮和也は完全に別人な感じ。大抵は地続きで互いに補完しあってるものなんだけど。 すごく潔癖なの。その境界線のありようにそれぞれの誠心が宿る。「ふたり」は対等でミーティングを重ねた末にこうなった感が美しい。 往年の歌謡曲のプロフェッショナリズムがある。 twitter.com/aidatoji/statu…
ニノの歌って自分で作詞作曲して自分で歌ってるひとたちとは違う。 ニノの歌唱は曲への敬意にオリジナリティがあって、うっかりすると彼の自作であることを忘れる。 知られざる名曲をニノが想いをこめてカヴァーしてるしてるみたいに聴こえる。 ツボの押さえが洒脱。背中に目がついてるんじゃないか。
大倉忠義は国の宝なので、どうかご自身をたいせつになさって、その上で表現活動されてください。 どうか。 こころからお祈りいたします。